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こんなおっさんができあがるまで【11】
皆さん、こんにちは。かんおさです。
少し間が空いてしまいましたが、いつもお読み頂いている読者の皆様、写真を提供して下さる撮影者の皆様、そして、スキやフォローをして下さった方、本当にありがとうございます。
今回と次回で、とりあえず自分語りは終わりとしたいと思います。
長い間、こんな読みにくい文章に付き合って下さった皆様には、改めまして感謝をしたいです。
あと少しで私の恥だらけの人生も、現在に追いつきますので、最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。
さて、前回は自分と向き合う過程をざっくりとご紹介しました。
その結果、朧気ながら自分がしなければならない事が見えて来た訳です。
そうして行動の指針と申しましょうか、目標のような物が出来た事で、ようやく私は動き出すことができる……と思いきや、そんな簡単には事は運ばなかったりします。
やらなければならない事 出来る事 その狭間で悩む
前回の自己分析のような物で、私はとりあえず、今までの行動を振り返って、変えれるところを変えようと決めました。
それには前回でも書きましたが、幸せになるのに必要なのではないかと、当時の自分が考えた事を実践する事をにしたのです。
① 自分が幸せそうなとき
=(人より自分が優れていると感じたとき)
② 人に感謝された時
③ 自分のしたい事が出来た時
①については、正直、どうすれば良いのかわかりませんでした。
なんせ当時は天下の引きこもりニート生活を送っている自分です。
正直に申し上げて、当時の自分は人より優れているところなど、ある訳がないと本気で思っていました。
なので、一番現実的であろう②の人に感謝される事を目指そうとしました。
しかし、やはりこれまた当時の私からすると、非常に難易度が高い目標だったのです。
色々と考えてみたのですが、芳しくありませんでした。
そもそも、人と話すどころか人が幸せそうな姿を目にするのさえ苦しかった当時の自分です。
そんな自分が感謝される方法など、冗談でも何でもなく、本当に全く持って思いつかなかったのです。
そうして、悩んだ末、結果として私は開き直る事にしました。
感謝される方法が分からないから、自分から感謝するようにしてみよう
自分が感謝する状況を分析できれば、人に感謝される方法も理解できるのではないかと考えたのです。
何ともまどろっこしい話だと読者の皆様はお思いかもしれませんが、結果としてこの凄く稚拙な方法が、思った以上に良い効果を過去の私へ及ぼすことになります。
感謝するのは思った以上に難しいと知る
皆さんが真っ先に思い浮かべる感謝の言葉は、きっと多くの方が同じものでしょう。
ありがとう
ひらがなで、たった5文字です。
この言葉を言う事なんて、簡単じゃないか。
そう思われる方が殆どかと思います。逆に、この言葉を使う事の難しさを知っている方は、きっと本当の意味で、感謝の仕方を知っている人でしょう。
しかし当時の自分は、凄く簡単な事だろうと思っていました。
とりあえず適当に「ありがとう」ってつけ足せばいいじゃないか。
何だ楽勝だな。よしやってみよう。
正直、こんな感じの軽いノリで始めます。
そして、思った以上にこれが難しい事なのだと身をもって知ることになるのです。
とりあえず、まずは実験台……と言う訳では無いですが、練習として、いつも顔を合わせる家族に対して、ありがとう作戦を実施する事にしました。
朝起きて挨拶して……朝食を食べて、片づけをして、掃除をして……そして部屋に戻り、昼食を食べ、洗濯物を畳み、部屋に戻り、夕食を食べ、部屋に戻り、夜中まで好きな事をして、薬を飲んで寝ます。
……って違ぁあう!?
何でそのまま普通に一日が終わっているのでしょうか。ありがとうは?どこにいったのでしょうか?
結局初日は、ありがとうという事も無く、いつも通りの日常が繰り返されてしまいました。
それは、次の日も似たような物で、更に次の日も……ただ、いつも通りのニートな日常が過ぎて行くことになります。
実は考えが致命的に甘かったと、ようやく気付いた訳です。
事前にある程度、ありがとうと言うタイミングを想定してないと、自然に言葉に出すのは難しい事を実感してしまいました。
それぐらい当時の私は、ある種のねじれた感情に支配されていたのだと思います。
これではいけない
そう思った私は、より大袈裟に、しかも積極的にありがとうと言うタイミングを計る事にしました。
ご飯を受け取る時。
お風呂が空いたと教えてくれた時。
何かちょっとしたお土産があった時。
そんな些細な所から始まりましたが、これすら最初は言うのを忘れたりする事もある始末で、改めて感謝するって難しいんだと実感しました。
それでも感謝できるタイミングを見付けながら、意識して「ありがとう」と言えるように、練習していきました。
感謝する事で得られたもの
そうして感謝の言葉を意識するようになって数か月が過ぎたある日、母からかけられた何気ない一言に、私は驚きました。
「最近、何だか雰囲気が丸くなったね」
最初私は、自分が感謝するようになった事で、母から見た私の見え方が少し変わったのかな? 位に思っていたのですが、母曰くそういう訳ではなく、私の表情や雰囲気が柔らかくなったとの事でした。
その時まで、私自身はそれ程変わったとは思っていなかったのですが、どうやら傍から見るとかなりの変化が起きている様に見えていたようです。
父や妹からも、笑顔が増えた、とか、優しい感じになったと言われました。
確かに振り返ってみれば、感謝する事を意識するようになって、私の心にある種の余裕のような物が出て来たとその時になって理解しました。
そう言われてみれば、前まであれ程、嫌だなと思っていた子供達のはしゃぎ声が、気にならなくなっていました。
感謝するという事で、他の人に何となく良く見られるようになるというのは分かりそうなものですが、自分にも変化が起きるというのは意外でした。
ですが、実はこの感謝するという行為は、ある種のスキルを伸ばすのにとても重要な物だったのです。
この時の私は、それを意図した訳では無かったのですが、結果として、この状況を打破する為の一番重要な力を、この時にしっかりと育てていたのでした。
感謝するにはネタ(きっかけ)を見付ける必要がある
世の中には、自然と感謝の言葉が口に出せる方も多いと思います。
実際、私も心を病むまでは普通に、そして平然と感謝の言葉を口にしておりました。
ですが思い返せば心を病んでからは、何かに感謝するという事は、殆どなかったように思います。
あれ? 感謝の言葉ってこんなに意識しないと出せないものだったか?
そう不思議に思ってしまう位に、本当に口から出て来ないのです。
この感謝作戦を実施するようになってから、嫌という程思い知ったのですが、そもそも感謝するには、そのネタ(きっかけ)を見付けられないと実行に移せないのです。
じゃあ、そのネタって何だ?
取りあえず半ばこじつけの様に、感謝する機会を作ってきていましたが、そもそもからして、感謝する法則や原理のような物がわかれば、もっと効率的に感謝できるのではないか?とか考えてみたりしていました。
なんだ、効率的に感謝って……と思う人もいるかもしれません。
「そもそも心から感謝してないのに感謝するなんて相手に失礼だ」とか、
「感謝なんて心から湧き上がった時にすればいい」とか、
自然に湧き上がる感謝の念じゃないと、それは偽物だと思われる方も多いんじゃないかと思うのですよね。
事実、私も当時は似たような事を考えて、止めようかと思った事もあったんです。
ですが、冷静に考えてみて、止めた所で元に戻るだけだと分かっていましたし、そもそも誰かに迷惑をかけてる訳でも無いので、あんまり気にする必要が無いと言う事実に行きつきました。
当時は、まだ外に出れてない時だったので、実験台は家族だけだったので気楽だったと言う面もありました。
元より、ここまで落ちぶれて不安定になっていた時分ですから、これ以上失うものなど無いと知っていましたしね。
そんな状況から私は考えました。感謝するネタはどこにあるのか?
当たり前と言えば当たり前ですが、感謝する為には相手が必要です。
ですから、鍵は相手が握っていると言うのは今迄の実践から分かっていました。
そういう中で、感謝できた時の状況や共通点を考えると、これまたごく当たり前の単純な事に気が付きます。
誰かが自分の為に何かをしてくれたと分かった時に感謝の言葉が生まれる
いや、当たり前じゃん! って思いますよね?
私もそう思います。けど当時の私には、そんな当たり前のことを明確な意思を持って理解できたことが、本当に凄い発見だったんですよ。
今迄、何気なくしていた事にもしっかりと理由はありました。
感謝する場面は、そういう下地があったからこそ生まれると知りました。
私はこの事が分かった事で、人の行動に対する興味がわきました。
自分の身近にいる人が、私に対してしてくれている事を考えるようになったのです。
一番身近にいる家族に対しては、本当にこの意識が芽生えた事で、見え方が劇的に変化しました。
誰かが自分の為にしてくれている事が見えると世界が変わる
母親は、典型的な昭和の専業主婦です。
なので父親や私達家族を、本当に陰ながら支えていてくれました。
母は毎朝は5時起きです。
満員電車を嫌った父が6時には会社に出るので、早く起きて朝食を作るのです。
その頃、子供達は基本的に寝ているので、両親二人で本当に早い朝食を食べていました。
そして、私達が起きて来て仕事に向かい、その後で家事全般です。
私と母だけが家に残るので、分担して家事を行っていました。
ですが、私の体調が悪化してからはやはり母一人で行っていました。
昼は簡単に残り物をつまみ、買い物に出かけ、夕方には帰ってくる父と妹の分も含めて夕食を作ります。
家族全員が揃うのは大体、20時前後。
しかし揃わない事の方が多いです。皆の食事をその都度、分担して用意し、そして片づけます。
そうして、21時位にはうとうととし始め、22時には完全に床に就いています。
一見すると家では何もして無さそうな父親。
父は、先程も書いた通り、本当に早く家から出て行きます。
早朝のガラガラの電車に乗って会社へと向かい、そして少しだけ残業をして20時前後には家に戻って来ます。
家では暇そうにテレビを観ながら、時々、思い出したように一人で碁を打つ姿を見かけていたと思います。
一時期、ゴルフにハマっていたようでしたが、腰を痛めてからはやめてしまったようでした。
基本的には家では物静かに、何かのっそりとしている。それが父の休日の過ごし方でした。
一方で、母に対してはなかなかの亭主関白っぷりを発揮しておりました。
別にちゃぶ台をひっくり返したりする事はありませんでしたが、食事の時は特に顕著で、「おかわり」「はし」「しょうゆ」と、あんたは単語しか口に出来ないのかと心でツッコミが入る程、不愛想に振る舞います。
本当に言葉を口にする機会が少なく、子供ながらに謎な存在だった事を良く覚えています。
そんな両親の姿を子供の頃からずっと見ていたので、ごく当たり前の日常として見ていましたが、改めてその事実を理解した時、私は涙しました。
こんなにも自分の時間をささげて、私達の生活を守ってくれていたのかと。
母は解り易いです。その仕事量が本当に半端ないです。
しかも、ほぼほぼ自分の為に何処かに出かけるという事をしない人です。
対して父なのですが、この考え方をするようになってようやく、その凄さと違った意味の愛情が見えてきました。
父の凄い所は、沢山あるのですが、正直分かりにくい事ばかりでした。
この辺りは別の機会があればご紹介したいと思います。
兎も角、両親だけを見ても今まで見えなかった事が見えるようになったのです。
普通の人から見れば、本当に当たり前のことかもしれませんが、私はこうなって見るまで真の意味で、感謝する事の意味と本質を理解できていませんでした。
ですが、こうして感謝する事の意味を考えて行った先で、両親が子供に与えてくれていた手間、時間、そして愛情を、この時、欠片ほどではありますが、本当の意味で理解できたのかもしれません。
結局、こうして理解はしたものの暫くの間、私はこの事について感謝を明確な形に口にする事はありませんでした。
しかし、理解した結果、私の中で両親に対する考え方や見え方が変化した事は間違いありません。
それは、私にも良い影響をもたらしたのでした。
感謝する事で 感謝される事を知る
それから、感謝する事を意識し続ける事で、私の中にある種の変化が生まれている事を実感する出来事が起きました。
それは夕方、一人で家にいる時でした。
その日は、とても暑い日で、アスファルトから炎でも出てるんじゃないかって言う位、外が灼熱地獄になっていた事を良く覚えています。
そんな日に、珍しく我が家の玄関のチャイムが鳴りました。
今迄の私でしたら、居留守を使っていたのですが、感謝を意識する事で心に余裕が出ていたのか、その時はフラっと玄関に出て行くことができたのです。
そして訪問者は、どうやら宅急便の配達でした。
荷物の中身は良く覚えていないのですが、お歳暮の何かだったと思います。
扉を開けると、汗だくの若いお兄さんが荷物を持って立っていました。
先程も書きましたが、外は灼熱地獄です。
そして扉から入って来る熱気が頬を伝わって玄関へとなだれ込んでくると感じる程でした。
そんな中、汗をかきながら配達してくれていたお兄さんを見て、私は本当に自然に、
「あ、お疲れ様です。暑い中配達、ありがとうございます」
と、口にしていました。本当にそれ位外は暑かったんですよね。
それに対し、お兄さんはちょっと一瞬、びっくりしたような顔をした後に、
「いえ、こちらこそありがとうございます。持ち帰りになると大変なので、居て下さって助かりました」
と、笑顔で言うではないですか。
「この暑さですから、再配達も大変ですね」
「ええ、皆さん暑いので出て来てくれない人もいるんですよー。あ、ありがとうございましたー」
「あ、はい。ありがとうございました。配達、頑張って下さいね」
そうしてハンコを押して荷物を受け取り、配達員さんは笑顔で一例してから去って行きました。
恐らく皆さんには何気ない日常の一コマだったのでしょうが、引きこもっていた私にとっては革命的な出来事でした。
感謝をしたら感謝された。
この事実もまた、当時の私にとっては衝撃的だったのですが、それ以上に、普通に何気なく他人と会話をして、尚且つ激励してしまうと言う、私にとっては本当に、驚くべきことが、しかもごく自然に行われたのです。
今迄の私でしたら、きっと、まず配達員さんに会った瞬間、イラッと来ていたかもしれません。
玄関から入って来る熱気で私も不快な思いを少なからずしました。
折角、家の中は涼しく私は快適に過ごしていたのに、配達員の方が来た事でその平穏は乱されたわけです。ですから昔の私でしたら、
こんな暑い中、配達なんて来なければいいのに。出るんじゃなかった
とか、思っていたかもしれません。
しかし、その時の私は、配達員さんを見て、真っ先に、
こんな暑い中、この家の荷物を届けてくれた
という事実にまず目が向きました。
感謝する動機を無意識に、しかも率先して探しに行った結果です。
全く同じ事であるのに、とらえ方が180度違う訳です。
そして、そうなった事もまた、明確な理由が存在するのです。
その事が理解できたからこそ、私は引きこもり生活から脱し、そして今の平穏な生活に繋がって行く訳です。
今回はここまで。
お読み頂き、ありがとうございました。
こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。