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2月の日記

近所のスーパーが閉店した。

他にもスーパーはいくつかあるのだけれど、このスーパーが一番開店時間の早いスーパーだった。滅多にないことだが、やけに朝早く目覚めてしまったときに、ここで買い物をして、普段より少し豪華な朝食を作ったりした。

寂しいことだ、と思う。このスーパーの常連でもなく、無くなったらとても困る部類の人間でもないけれど、寂しく感じる。「閉店」という二文字には、なんだか考えさせられるものがある。

数年前には、近所の個性豊かなお店たちがコロナ禍を乗り越えることができずに閉店した。コロナ禍を越えても、それから程なくして無くなってしまった店もある。本当の理由はわからない。選書の素晴らしい古本屋、オムライスの美味しい喫茶店、ちょっと背筋の伸びる鰻屋、お通しが大盛りな上に毎回驚くほど美味しい居酒屋。それぞれに思い出があり、その場で交わした会話があり、お別れは辛かった。きちんとお別れを言えたお店もあれば、言えなかった店もある。その寂しさを抱えたままに生きることしかできないな、と、なんとなく物悲しい曲を聴きながら、最寄りの一つ前の駅から歩いて帰ったりしたものである。そんな行動に何の意味もないのだけれど。

似たような寂しさとして、twitterの青い鳥、そもそも「twitter」という名前が消えてしまったこと、ニューアカオがクローズしてしまったこと、VOGUE GIRLの終了に伴い、しいたけ占いも終わってしまったことなどがある。しかしtwitterは名前こそ変われど「X」として存在しているし、ニューアカオは復活したし、しいたけ占いだって帰ってきた。昨年の様々なニュースの中でも、私にとってはとても希望的な知らせだった。「別れは出会い」というけれど、再会だってあるんだな。その例があるだけで、これから向き合わねばならない「別れ」の痛みが、少しは癒されるかもしれない。

あっという間に明日から3月。別れの季節だ。学生でなくなってからというもの、卒業シーズンを意識することは減ったが、ラジオの改編であったり、やっぱり寂しい知らせはつきものである。花粉症のせいで普段よりも2割くらい元気が足りなくて、ちょっとおセンチなせいでもある。それでもいいや、生きていれば、きっと少しは、楽しいことも面白いこともあるでしょう。暗いニュースに向き合う強さと、温かいニュースを迎え入れる、心のゆとりだけは持てるようにしたいものだ。


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