見出し画像

3月3日、うなぎとケーキ

また今日も気の利いたことが言えなかった。

うなぎ弁当を買ってきてもらったのに、「ありがとうございます」というありきたりな言葉しか出てこない。たとえば、「とてもおいしかったです!ありがとうございます!」とか「ごちそうさまでした!ありがとうございます」とか、何か一言つけるだけでも相手の印象は違う。

そうわかっていても、じゃあどのタイミングで言えばいいのか? 今なのか? いや、もう少ししてからなのか? ……そんなことを考えていると、もう相手は私の前から去っていく段になる。

相手は私に気の利いた言葉をかけることができるのに、私はいつも誰に対しても気の利いたことを言えない。頭の中に文章は思い浮かぶのに、それを口に出すのは難しい。そんなささいすぎることで悩み、人とコミュニケーションを取ることの難しさを勝手に実感する。

そういえば私は幼い頃からこういう人間だ。中学生のとき、全校集会で表彰のため名前を呼ばれ、「はい!」と元気よく返事をして、前に歩いていく。私にはそれができなかった。「はい!」と、勢いよく返事をすることができないのだ。自分が今出せる声量がどのくらいなのかわからず、さらに「次に呼ばれる!」という緊張感もあり、結局、蚊の鳴くような弱々しい声になってしまう。一度、それを担任に注意されたことがある。

しょうがないじゃん!と思った私は、毎日一言書いて担任に提出する日誌的なものに、つらつらと声が小さくなってしまう理由を書いた。声に出して、面と向かって担任に言うのは難しいのだ。今と同じだ。文章ならすらすらと言葉が出てくるのに、なんだって言えるのに、人と向き合うと何も言えなくなってしまう。「それは違う!」「絶対に違う!」と思っても、言うことができない。最近は、特にそういう日々を過ごしているような気がする。世の中が自分とは違う方向を向いている。多くの人は大きなものに流されている気がする。小さいけれど、どういうかたちであれ、声を上げないとならない。そう強く思う。

「ひな祭り限定」につられ買ってみた、700円もするケーキを一人で食べながら、私は今日も文章を書いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?