見出し画像

沖縄四泊五日旅行記:バスケとオリオンビールの夏

八月末から九月の頭にかけて、配偶者と一緒に沖縄に旅をしてきた。四泊五日、国内旅行としてはやや長めの旅程である。旅立つ前は不安要素が多かったのだが、結果的にとてもHappy Funny Luckyな旅になった。

一日目 旅立ち、豚と猫の夜

旅立つ日の朝は早い。こういうとき、可能な限り早い便を取ってしまうところにわれわれの貧乏性が出ている。
アラームは五時十五分に鳴る。ちょうどポケモンスリープ初のイベント開催日と被っており、たくさん眠れると思っていただろうポケモンたちは驚いたことだと思う。申し訳ないことをした。代わりと言ってはなんだが、前日眠る前に「かいふくのおこう」をセットしておいた。ポケモンたちはわたしよりも元気だった。

出発は成田空港。空港のターミナルに向かう途中で、歴代御三家たちが描かれたパネルがあった。赤緑から始まり、どんどん時代が新しくなっていく。周りの人たちは「金銀までしか分からん」「知らないポケモンばっかり〜」などと言っていたが、わたしは全部わかった。いや、全部は嘘だ。ハヤシガメとかフタチマルとかチャオブーとか、中間進化の名前は怪しかった。
そしてついにガラル地方にたどり着き、いた。わたしの推しである。

青っぽくて全体的に細長いのが、インテレオンさんである。好きなのだ。最初は『弱虫ペダル』の巻島裕介みたいだなと思っていたのだが、気がつくと大好きになっていた。
わたしはあまり「推し」という言葉に馴染めず、普段は好きな男たちのことを「好きな男」という呼び方をしている。しかし、インテレオンさんは個体ではなく種族(という言い方が正しいのか)なので、当然ながら雌雄がある。そのため、インテレオンさんだけは紛うことなく「推し」である。
先日発売されたポケモンSVのDLC、生活がバタバタしておりわたしはまだ着手できていないのだが、最強インテレオンさんから生まれたメッソンさんと旅をしようと思っている。

まさか飛行機に乗る前にこんなに文字数を費やすとは思わなかった。インテレオンさんの力である。

飛行機が怖い。乗り物全般が怖いのだが、その中でも飛行機は特に怖い。可能ならば乗らずに生きていきたい。会社の海外出張の打診も断ったし、そもそも旅行自体も本来そこまで好きではない。家にいたい。しかし今回は配偶者たっての希望で沖縄に行くことになった。バスケットボールのW杯を観戦するためだ。一年以上前から決まっていた。

東京からすでにバスケのユニフォームTシャツを着ている乗客がちらほらいた。赤いから目立つのだ。わたしたちも、リュックの中には赤いTシャツを二枚忍ばせていた。こちらが一方的に仲間だとわかっている状況、なぜだかむず痒くなる。決して悪い意味ではない。

飛行機の中では、ほとんどの時間を寝て過ごした。暫くして目覚めると、眼下に海があった。白波が静止画のように見える。随分高いところを飛んでいるのだと思うと怖くなったのでまた寝た。この睡眠はポケモンスリープに記録できなくて損だなと思った。

飛行機は無事に那覇空港に着陸した。台風の心配をしていたが、晴れていた。空港周辺のあちこちにW杯の巨大なポスターが張られている。空腹だったので写真は撮り忘れた。とにかく飯を食べに行こうと決め、モノレールで国際通りへ。この日、沖縄はちょうど旧盆だったらしく、閉まっている店も多かった。
記念すべき沖縄一食目はやはりソーキそばだ。店内は観光客で賑わっている。ここにもやはり、バスケTシャツを着ている人がいる。

食後、国際通りをうろつく。暑い。東京より気温は低いのかもしれないが、亜熱帯の暑さが纏わりつく。肌が湿り気を帯びる。化粧も日焼け止めも流れ落ちていく。かわいく切り揃えた前髪もおでこに張り付く。
道すがらブルーシールアイスを見つけ、涼を求めて入店した。沖縄といえばブルーシールだ。東京にも店舗があることは知っているが、東京でブルーシールを食べたことはない。今後も食べることはないだろう。沖縄で食べることに意味があるのだ。

ホテルにチェックインできる時刻までまだ間があったので、コンビニからコンビニに渡り歩く。沖縄のコンビニには、沖縄限定の商品がたくさんあった。沖縄そばやサーターアンダギーが限定なのは分かるが、北海道牛乳使用グラタンが沖縄限定なのが謎めいていた。北国への憧憬だろうか。
そして、やはりオリオンビールが幅を効かせている。色々な種類がある。午後二時頃、一番暑い時間帯だった。もう耐えられなかった。「ワァ!プレミアム!ワァ!」「飲んでいいよ」「ワァ」
飲んだ。青い輝き。

そしてこんなものも買った。沖縄限定、泡盛コーヒーである。名前の通り、泡盛をコーヒーで割った飲料で、こんなカジュアルな見た目なのにアルコール度数が14%ある。炎天下で飲むのは危険だと判断し、こちらはホテルに持ち帰ることにした。ちなみにこの日の夜に飲んだところ、泡盛とコーヒーが混ざった味がした。それ以外に言い表すことができない。

一旦ホテルに荷物を置き、身軽な状態で壺屋やちむん通りへ。やちむん(沖縄の焼き物)屋が数十店ほど軒を連ねている通りだ。せっかくだから一枚くらいほしいなと思って、配偶者を付き合わせて一軒ずつ真剣に見ていった。
派手な色使い、独特な柄の皿が好きだ。やちむんの色使いはどれも可愛いが、たくさん見ているうちに訳がわからなくなった。皿を皿として認識できなくなってくる。無理して買わなくてもいいか……と思ったときに、遂に出会ってしまった。
他とはちょっと違う、でも確かにやちむんだという一枚。すぐにこれにしよう!と決めて、五寸サイズを二枚購入した。帰ってから実際に使ってみたところ、やはり惚れ惚れするほど可愛い。見てください! 可愛いね。いま調べたら通販でも買えるみたいなので、スープカップを買い足そうか迷っている。

夜ごはんは、配偶者が予約してくれていたアグー豚のしゃぶしゃぶ。かなり有名なお店らしい。豚しゃぶで食べログ日本一位なんです!とのこと。明るい店員さんが丁寧にしゃぶしゃぶ方法を教えてくれる。いい豚だから、ほんの数秒だけ湯通しすればいいですよ、と言われる。
ちょっと赤み残ってるけど大丈夫か……?と半信半疑ながら口にすると、本当に品のいい脂で美味しかった。豚独特の臭みが一切ない。驚く。お店の人におすすめされた、豚肉に海ぶどうを巻く食べ方がとても美味しかった。プチプチが楽しい。
お野菜も、見たことのない沖縄独特のものが多くて嬉しい。青いパパイヤ、なんか名前のわからないお花の花弁、なんかヘチマみたいなやつ。

お値段もさほど高いというわけではないので、那覇に行ったときにはかなりおすすめできる。とても満足したので、帰り道にまたコンビニに寄って見たことのないオリオンビールを買った。そのあとスマホをアスファルトに落として背面をバキバキに割った。落ち込んでいたら、周りを三匹の黒猫に取り囲まれていた。フィクションだなと思って笑った。元気が出たので、ホテルの近くのドン・キホーテでスマホケースを買った。今もまだ割れているが、もう気にしないことにした。むしろお洒落じゃないだろうか。 わたしはポジティブだ。ホテルに帰って大きな風呂に入り、部屋で買ってきたオリオンビールを飲んだ。ビールではなかった。一日目が終わった。

二日目 魚と戯れる青春めいた夏

元々この日は台風予報で、もしかしたらホテルに缶詰になるかもしれないと覚悟していた。しかしいざ当日の予報を見ると、終日晴天となっている。前日に買っておいたポーたま(ポークたまごおにぎり)を食べてから、バスに乗って美ら海水族館に行くことにした。

美ら海水族館、あまりにも有名な観光施設なのに市内から離れすぎている。われわれは車の運転ができない。今回の旅もレンタカーなど借りず、移動手段は専らモノレールとバスである。美ら海水族館には、バスで二時間弱かかる。酔い止めをしっかり飲んで、バスに乗り込む。すぐに眠った。
目が覚めると、バスは海沿いを走っていた。そのときちょうど耳元でノクチルの『あの花のように』が流れていて、かなり良かった。夏の終わりだった。

美ら海水族館に行くのは三度目、大学の卒業旅行ぶりだ。
平日ということもあり、かなり空いていたほうだと思う。ゆっくりと観られた。大きな魚が、飛んでいるように見える。動物園とか水族館とか、楽しみつつも心の片隅に「可哀相だな」という気持ちがある。実際に可哀想なのかどうかはわからない。でもそう思っている。しかし、好きだ。きれいだから。身勝手か? そう、人間だから。

昼食は、水族館横のレストランでビュッフェを食べた。時間が早かったからか先客が少なく、窓際の席に案内してもらった。海が見える。沖縄とは何の関係もない焼売や唐揚げを食べながら、海を見ていた。暫くすると、陸側から黒い雲がやってきて、猛烈な雨を降らした。地上で人間が逃げ惑っているのが見えた。少し、ほんの少しだが、愉悦だった。上空の風が強いのか、雲はすぐに海のほうへ流れていって、世界は一気に明るさを取り戻した。海の色が、あっという間に変わった。雨上がりの海は濁るだろうと思っていたのに、なぜだか雨が降る前より澄んで見えた。仕組みが全くわからない。

水族館を満喫した後、歩いて備瀬のフクギ並木に行った。福木という樹木が1.5キロに渡って植えられている並木道だ。近くにレンタサイクルがあったので、二人乗りの自転車を借りて乗って回ってみることにした。実は、かねてより興味があった乗り物だ。配偶者が前、わたしが後ろに座る。彼の背中で前が見えず、ハンドルもブレーキもないので、ただペダルを踏むだけなのだが、楽しい。陽射しが厳しい日だったが、木陰は涼しかった。二人乗りの自転車を嬌声をあげながら乗っていると、道行くひとたちに楽しそうね、と声をかけられる。うふふ、と照れ笑いで返事をして、曲がりくねった並木道を進む。細い道を抜けると、海が待ち構えていた。

自転車を止めて、岩場を歩く。シュノーケリングをしている人たちがいる。しゃがんでそっと浅瀬を覗き込むと、小さな熱帯魚がたくさんいた。さっき水族館で見たのと同じ魚だ。びっくりして、何度もすごいね、すごいねと言った。手を差し入れると、青い小さな魚はすぐに逃げた。黒っぽい魚は、手の中に入っても逃げなかった。水は思ったよりもぬるくなかった。

もう一度自転車に乗って、海辺を走る。ものすごく暑い。焦げる、と思う。あとから確認したら、実際に日焼け止めを塗り忘れた足の甲が、しっかりサンダルの形に日焼けをしていた。そんなに嫌ではなかった。日陰で休み、太陽が雲に隠れた瞬間を狙ってまた漕ぐ。夏だなあと思った。この夏、一番の夏だった。
自転車を返却して、喫茶店でかき氷を食べた。今年の夏、最初で最後のかき氷だ。東京にあるような凝ったかき氷ではなくて、削った氷にシロップがかかったシンプルな氷、冷たいのが嬉しい。冷たさだけが嬉しい。食べても頭が痛くならなかった。「頭が痛くならない! 氷が違うのかな?」「俺はさっきからずっと痛いよ」

またバスに二時間乗って那覇に帰る。那覇に着くと頃良い時間になっていたので、沖縄料理が食べられる居酒屋に入った。名前を忘れてしまったが、何かの刺し身と何かの唐揚げを食べた。本当に忖度なく正直なところを言うと、魚は北のもののほうが美味い。ただ驚いたのは、山羊の刺し身。絶対に臭いやつだと覚悟しながら食べてみたら、癖がほぼなくて驚いた。生姜醤油で食べると美味しい。馬も好きだが、山羊もいける。泡盛も飲んだ。問題なく飲めるが、自ら飲むほど好きではないかもしれない。この旅はやはりオリオンビールにお世話になることを決めた。

三日目 暁を見た日

さて三日目、この旅の本来の目的であるバスケW杯の日本戦を観戦する日だ。この日観る試合は二試合、フィンランド - ベネズエラ と 日本 - カーボベルデ。試合は夕方から始まり、二試合目の日本戦が終わるのは夜二十二時過ぎになる。当然腹ペコになってしまうので、会場に食べ物を持ち込むことにした。
チェックアウトの時間ギリギリまでホテルの部屋で粘り、那覇の街に繰り出す。規定では「軽食の持ち込みOK」となっていたが、軽食の基準がよくわからない。要はカップラーメンとか弁当とか、そういう匂いのするものを食べるなよという意味だろう。那覇の街で食べ物を色々と調達し、景気づけとばかりにステーキを食べた。230gである。
肉塊だぜという感じのステーキ、久しぶりに食べた。年々脂身が身体に合わなくなっていっているので、こういうのでいいんだよと心の内の井之頭五郎もご満悦であった。

会場は街から離れたところにある。モノレールで移動して、駅から臨時で出ているシャトルバスに乗る。モノレールにはやはり赤Tシャツを着ている人たちがいる。わたしたちのTシャツはまだリュックの中だ。今夜泊まるホテルは会場の目の前で、着替えはホテルですれば良い。しかしわたしは、こういうとき、Tシャツを着たいタイプだ。恥ずかしいのだが、そうだ。
「こういうとき、Tシャツ着たりしてアピールしたくならないの?」「絶対にしたくない」
尊敬してしまった。わたしはアイドルマスターのライブに行くときも、会場に近づくと担当のキーホルダーをこれ見よがしに鞄に付けたりしてしまう。昔サッカーチームのサポーターをしているときもそうだった。恥ずかしいことなのだ。分かっている。自分の嫌いな部分だ。
自分の好きなものは自分の一部で、その疑いようもない素晴らしさをみんなに知ってほしいという思いがある。大勢のなかではのっぺらぼうになって擬態していたいのに、共感と同意を得られそうな場所では真っ先にお立ち台に上がりたい。わたしはそんなつまらない人間なのだ。だから、配偶者のこういう高潔さには惚れ惚れしてしまう。

まずはホテルにチェックインして、シャワーを浴びる。汗だくであった。夜に備えて仮眠を取る。というか、気がついたら寝ていた。配偶者に起こされ、今度こそ赤いTシャツを身に付けて、会場を目指した。ホテルからわずか徒歩五分である。

厳重に見えておざなりな荷物検査と身体検査を経て会場に入る。席を探す。今回、二日間で四試合を観ることになる席を探す。試合ごとに座席が変わらないというシステム、新鮮だったが中々合理的だ。
どう見てもわたしたちの席に、ふくよかな老夫妻が座っていた。おそらくフィンランドの方だろう。係の方にこっそり伝えて、退いてもらう。すれ違いざまににこやかに「Sorry!!」と手を振られる。何か返事をしようと思ったが言葉が出ず、ただヘラリと笑った。どうやら良い席だから座ってしまったようだった。そんなことある?
しかし、その気持ちも分からないではない。実際、とんでもなく良い席だった。ゴールが近い。ちょっと近すぎる。

ゴール裏の最前列だ。コートの一部分が死角になってしまっているので、試合が観やすい席ではないかもしれない。でも、それだけを求めるならばスポーツなんてテレビで観れば良いのだ。柵に手を置いて身を少し乗り出せば、選手がリングにボールを置く様が同じ地平で見える。ボールがネットを通過する気持ちの良い音が聞こえる。選手の皮膚を伝う汗の質感まで分かる。

試合前に、選手たちが練習している様や広瀬すずさんが取材に答える様を特等席で見ながら、タコスを食べ、サーターアンダギーを食べ、おにぎりを食べた。広瀬すずさんは、テレビで観るよりも大人っぽく、美しかった。

試合のことはあまり上手く書けないし、というかそもそもあまりよく分からないので書かない。散々テレビやニュースで取り上げられていたので、その通りである。
ただ、試合中にひと言も言葉を交わさなかったわたしと配偶者が、試合後に思わず目を見合わせてハイタッチをした瞬間、来て良かったな!!と心から思った。会場全体が自然と声を出して歌った「第ゼロ感」も当然良かったし、何よりこの十年間ずっと代表バスケを愛し続けてきた配偶者が泣いていたのが本当に良かった。試合後に二人で撮った写真のわたしが非常に良い笑顔をしていて可愛らしいのだが、もちろんここに載せることはできないので、飲んだときに見せびらかすと思う。

会場を出て、コンビニに寄ってからホテルに帰った。良さそうなオリオンビールを買った。この旅でオリオンビールをいくつか飲んだが、これが一番美味しかった。勝利の美酒だからというわけではなく、本当にこれが美味しかった。

持ってきたタブレットで試合映像を振り返りながら、ビールをちびちび飲んだ。それからピノの安納芋味を食べた。星型のピノが入っていた。大袈裟ではない幸福のあかしに思えた。
こんな気持ちになれるなら、二人で十万円を優に超えるチケット代も報われたと思った。ピノを食べたら眠くなったので、試合の良い場面を観ずにすぐ寝た。少しだけ気持ちがふわふわしていた。

四日目 邂逅!バスケ強化日

この日も夕方から、バスケの試合を二試合観ることになっている。食べ物を調達するべく、タクシーでアメリカンヴィレッジに向かった。
アメリカンヴィレッジと大阪のアメリカ村を混同していたのだが、アメリカンヴィレッジの方がかなりアメリカだった。わたしはアメリカの中でもグアムとハワイしか行ったことがないので、より正確に言えば「わたしがイメージするステレオタイプ的アメリカ」だった。あちこちカラフルで、玩具の街のようである。

ポケモンとコラボしたフォトスポットもあったりして、とても楽しい。子どもたちがピカチュウに喜んでいた。しかしそもそも、今の子どもたちってポケモンを知っているのだろうか。以前、甥姪がポケモンGOをやっていたので、話を広げようと頑張って「このシルエットはイワンコじゃない? 進化先がね!何個かあるんだよね!」などと言い、反応が薄かったため、更に「アニポケ観てる!?」と言い募り、その場の雰囲気を悪くしたことがある。義兄もおそらく引いていた。彼らはポケモンに全く詳しくなく、雰囲気で遊んでいるだけだった。
関係のない話をしてしまった。沖縄はなぜかあちこちにポケモンがいて、ポケモンおばさんたるわたしはとても嬉しかった。

お昼ごはんには、非常にジャンクなタコライスを食べた。ベーコントッピング、完全にやけくそになっている量で面白かった。

食後、海辺のカフェでコーヒーでも飲もうやということになった。とにかく暑い日で、店はどこも混んでいた。色々と店を覗きながら海沿いの道を歩いていると、隣を歩いていた配偶者が突然「はヮ……」とキャラクターのような声をあげて立ち止まった。何事かと彼の視線の先に目を遣る。そこには、昨日あの激戦を見せてくれたバスケットボール日本代表の選手陣が、自転車に乗って楽しそうに走っていた。彼らとわたしたちの距離、昨日よりも格段に近い数メートルである。
わたしもこれまでに試合を何試合か観て、選手たちの顔は覚えていた。知っている顔がいくつも隣を通り過ぎていく。足が長すぎて、自転車に乗りにくそうだった。みんな黒いTシャツを着ていた。
配偶者は「ちょ、はヮ……」と言ったまま動かない。周りの人たちはザワザワして手を振ったりしていた。わたしも頭が真っ白になっていたが、何かを伝えたくなり、可能な限りの早口で「オメデトゴザイマス」と言った。何人かがありがとうございます、と返してくれた。配偶者は半泣きになりながら、最後尾を走る自分の推し選手に向かって名前を呼んで拳を突き上げた。彼は微笑みながらありがとうございますと言った。

そのあと、海辺のカフェに入った。運良く、海の見える窓際の席に座れた。配偶者はアイスカフェオレを、わたしはドラゴンフルーツのスムージーを頼んだ。選手がまた通らないかな、なんて思いながら窓の外を見ていた。
良かったね……誰がいた? 俺覚えてなくて……誰々と誰々はいたよ……良かったねえ……嬉しいねえ……

カフェを出たあと、食べ物を買い込んでバスに乗った。試合が始まるギリギリの時刻にスタジアムに着いた。昨日と同じような検査を受け、昨日と全く同じ座席に座る。周囲の人たちも、ほとんど昨日と同じ顔ぶれだった。わたしたちと同じ、二日間通しチケットを買っているのだろう。
例によって試合のことは詳しく書かないが、素人目で見てもわかるハイレベルな試合でとても面白かった。いま思い返すと、優勝国の試合だ。面白いわけである。
試合と試合の合間に、ハンバーガーとタコスを食べた。美味しかった。

二試合観終えたあと、コンビニに寄ってホテルに帰った。沖縄、名護、インドと、たくさん地名が書いてあるビールを買った。配偶者は沖縄限定のグァバ味のバヤリースを飲んでいた。

ビールを飲みながらスポーツニュースを観る。色々な映像や写真に我々が映り込んでいた。一瞬ではない。かなりの時間だ。もちろん第三者が見たら何も思わないだろうが、本人からすればもう自分たちにしか目がいかない。わたしたちのことを撮っているのではないかとすら思う。
歓喜の瞬間に立ち会えた傍証が、図らずも様々な媒体から提供された形になる。愉快で堪らなかった。試合が少し観にくいくらいなんだというのだ、あの席で良かった。
ちなみに、後から知ったのだが地方紙の一面にも喜ぶわたしたちの姿がバッチリ載っていて笑ってしまった。新聞の一面に載るのは、これが人生で最初で最後の予定だ。

最終日 蓄積する疲労、帰路

東京に帰る飛行機は夜に発つ。チェックアウトの時間ギリギリまでホテルの部屋でゴロゴロして、那覇方面に戻るバスに乗った。
地元の人たちで賑わう店で、ソーキそばを食べる。食べログのサムネイル画像と、自分の撮った写真が同じすぎる。クオリティが安定している。

その後またバスに乗り、「おきなわワールド」に行くことにした。小学生の頃に一度行ったことがあり、大きなニシキヘビを首に巻いてもらった記憶がある。
冷静に考えると、沖縄に来るのはこれで六度目な気がする。かなり多い方だろう。しかし一度も海に入ったことがない。わたしは学生時代の夏合宿でみんなが海に入っているときも一人部屋に残った人間だ。海が似合わない自覚がある。

「おきなわワールド」に着き、ハブとマングースのショーを観る。動物愛護法の関係で、ハブ対マングースは肉弾戦ではなく水泳対決になっていた。それでいいと思う。動物たちが痛い目に遭ったりするのは、とても苦手だ。今でも時々ヤックルのことを考えて胸が痛む。ちなみに水泳対決はマングースの圧勝だった。
そのあと、鍾乳洞に入った。子どもの頃に行った記憶がない。この十数年で鍾乳洞ができた……わけはないので、親が面倒がったのだろう。鍾乳洞の中はひんやりしていて、少し怖い。水がぽたぽたと垂れて、舗装された通路は常に濡れている。手すりもやはり濡れている。前を歩いていた幼女が滑って転んでいた。母親とわたしは驚いて大きな声を出したが、彼女自身は泰然としていた。
わたしは別に閉所恐怖症というわけでは全くないのだが、崩落したらどうなるのだろう、という現実的な恐怖があった。そもそも、こんなものが自然にできたということが怖い。横溝正史を思い出す。配偶者は横溝正史を知らなかった。「じっちゃんの名にかけての人?」「どっちかと言うと、それのおじいちゃんの方かな……」
そしてこの鍾乳洞、意外と長い。入ってしまったら踏破するまで出られないので、黙って歩くしかない。後で調べたら900メートルあるらしい。
途中、轟音を立てて水が滝のように落ちているエリアがあり、そこが一番怖かった。そのあと少し進むと、ライトアップされていて「青の泉」と名付けられているスポットがあった。確かに綺麗なのだが、青いのはライトの色ではないのか。恣意的な青である。

三十分以上かけて漸く地上に出た。長いエスカレーターで上がる。随分深いところにいたのだ。あな恐ろしや。

おきなわワールド、意外と広い。そして全てを漏れなく見せようと考え抜かれた構造をしている。鍾乳洞を出たあとに入り口の方に戻るには、すべての順路を辿らなくてはいけない。フルーツ園、おきなわの伝統的な家屋、ハブ博物館などを観る。暑さにやられていたせいか、写真が一枚もない。記憶もあまりない。沖縄、ちゃんと暑い。
ニシキヘビを首に巻く催しは、今でもやっていた。でも、小学生の頃にわたしが触れ合った個体とは別なのだろう。配偶者が爬虫類を好まないようなので、今回は巻かないでおいた。

失礼な物言いだが、こういう地方のやや寂れた施設の風情が好きである。錆びたちっぽけな乗り物があって、奇妙なマスコットキャラクターがいて、十数年変わっていなさそうなショーがあるタイプのやつである。伝わるだろうか。でも沖縄ワールドには立派な鍾乳洞があるので、一本筋の通った矜持があるようで、そのちぐはぐさが何となく面白かった。酷いことを言っているかもしれない。許してほしい。

なんだかんだで、沖縄ワールドで三時間ほど過ごした。またバスに乗り、空港に向かう。お土産を適当に見繕って、夜ごはんを食べることにした。沖縄の魚が食べられる寿司屋があったので、沖縄での最後の晩餐と洒落込もうと思ったのだが、並んでいたので一瞬で諦めた。それほどに疲れていた。あぐー豚のトンカツ、沖縄料理の定食屋、色々あったが、結局は中華料理屋に入った。中華はいつだってわたしたちを赦し、救ってくださる。
ちょい飲みセットなるものを頼み、オリオンビールと棒々鶏で乾杯をする。珍しく配偶者も酒を飲んでいた。それほどに、疲れていた。

飛行機に乗り込み帰路についた。乱気流を迂回するために着陸は四十分ほど遅れ、終電ダッシュする羽目になった。日付が変わる頃に家に着き、シャワーを浴びてすぐに寝た。翌日からすぐに仕事なのが恨めしかった。

冒頭にも書いたが、とにかく楽しい旅だった。行く前には色々不安なことがあったのだが、今はバスケって面白いなあ、また試合観に行きたいなあと思っている。配偶者も喜んでいるのではないかと思ったのだが、全くそんなことはなく、「いやバスケってそんなに面白い試合ばっかりじゃないから。たまたま良い試合観ちゃっただけだから、そんなに期待しないで」などと予防線を張り出している。オタクだなあ、と思って笑っている。

最後に、とにかくバスやタクシーでの移動が多い旅だったが、そのたびにちゃんとシートベルトを締める配偶者が好きだなと思った。今月結婚五周年!まだ仲良くやれそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?