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鋼の体躯に鋼の心たり得ぬならば狂うか死ぬか、何れにせよヒトであることを辞めますか―『サイバーパンク:エッジランナーズ』

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、イマジンアート生成
*以下の論考には『サイバーパンク:エッジランナーズ』のネタバレが含まれる。

主人公のデイビッド・マルティネスは希有な男だ。自ら欲するところは「他者の夢を背負って(ep.7)」生きることであり、それを自明のこととして受け入れ、あまつさえ強烈なインプラントに違和感なく同期する器として機能する。ジェームズ・ノリス中尉が耐えきれずに狂う軍事用インプラント”サンデヴィスタン”を皮切りに自らの肉体を拡張し、メインの形見であるキャノンアームを強引に接続するデイビッドは、リパードクが言うところの「天性の鈍感野郎(ep.7)」だ。母親のグロリアは彼の才に期待し、サイバーパンクのチームリーダーであるメインは彼に「走り抜けろ(ep.6)」と遺志を託し、彼はメイン亡き後のチームを牽引してルーシーのみならず他の構成員の居場所となるよう皆を繋ぎ止める。そんなデイビッドの特異性に惹かれるルーシーは彼に惚れ込み、彼を護り続け、終には認め難いほどの贈与を受ける。

何故デイビッドが希有なのかは明白であり、カネが無ければ洗濯すら儘ならない欲望の渦巻くナイトシティにおいて、無私の器として仲間のために生き、仲間の夢や期待を背に人間性を焼べる彼は、そもそもの性質として「誰にでも 反射的に 考えもなしに(ep.4)」飛び出すような男であり、ルーシーが惚れる理由である。

彼女は彼の性質を見抜き、彼がサイバーパンクとして有望であるが故に葛藤する。何故ならサイバーパンクは「ろくでもない人生だったやつの逃げ道か 足下 見えてない夢見野郎のどっちか(ep.7)」でしかなく、殺戮の螺旋を延々と廻り続ける限り肉体をインプラントで強化し続ける彼らは狂気と正気の境界をひた走るエッジランナーであり、躊躇無く修羅場に飛び込むデイビッドのような男は容易に燃え尽きてしまうからである。

燃え尽きて境界の先にあるのは、殺戮マシンと化すサイバーサイコシスだ。ノリス中尉や、ピラルの頭を吹き飛ばす長小便の男がそうであるように、そしてメインが両足を突っ込んでしまう領域では、インプラントが駆動し続ける限り殺し続ける狂人をNCPDの特殊部隊マックス・タックが処理する以外に未来はない。カルトBD(ブレインダンス)ディレクターのジミー・クロサキはその理を「インプラントは生身のボディからソウルをニューマシンへと追いやっていく(ep.7)」と表現する。多くが金属製のインプラントは、装着者の精神と同一化してゆき、その機能がもたらす在り方を受容するよう装着者に迫る。そして鋼の体躯に鋼の心がなければ、葛藤する装着者の人間性が擦り切れてサイバーサイコシス化する。

しかし「正気を失うか その前に死ぬか(ep.7)」、更には狂うなら何れにしても死が待っている未来に際して、デイビッドは自身が特別であると嘯く。彼はリパードクやクロサキに強がって見せるが、自身の性質が故に、アクセルとブレーキ全開で擦り切れるブレーキパッドの如く、彼の人間性は摩耗してゆく。自身と向き合い損ねるデイビッドは人を殺しても何も感じないと言いつつ、良心の呵責が苛む以上、心がちぐはぐの状態で限界を迎えざるを得ない。人並みの生活すら儘ならない状況に陥る経緯から修羅の道に入り込む彼は、畜生のようにただBDや薬で飼い慣らされる筈もなく、行き着く果てがサイバーサイコシスという餓鬼の類い一歩手前という地獄を生きる。そんな万事休す中で、見初めて惚れる女の夢を叶えるために自身の生命を賭す彼の贈与は、燃え尽きる人間性に一瞬の火を灯し、彼女を生き延びさせるめの時間稼ぎとしてアダム・スマッシャーを愉しませる。

そんなデイビッドを凌駕するのが、そのアダム・スマッシャーだ。“それ”は殺戮に葛藤せず、むしろ破壊を求め、人間性において摩擦係数ゼロだからこそ鋼の心を宿す「ほぼ全身クロームのバケモン(ep.7)」だ。”それ”は既に狂気と正気の境を超越しており、「先のない崖っぷち(ep.7)」で逡巡する者たちの比ではないからこそ、高度な軍事用インプラントを駆り他を圧倒する鬼神の類いと言えよう。“それ”は生ける伝説であり、知る人ぞ知る存在であり、人間性の葛藤を持たぬが故にヒトとは言い難い。神が創造する最初の人間たるアダムを潰す者、とは言い得て妙だろう。“それ”は「神」の側に居てスクラップ&ビルドを遂行するコンストラクトだ。”それ”はデイビッドを評価し、それとなく誘うが、彼は「知るか クソ野郎(ep.10)」と吐き捨てて果てる。結果、デイビッドはヒトとして死に、”それ”はただ機能を果たす。

インプラントやクロームと呼ばれるサイバーウェアとして描かれる人間拡張”Human Augmentation”は、この先、現実世界で実装されて行くだろう。その際に引き起こる問題や疑念、価値観の変化やヒトの定義を扱うSF作品は、それら諸所のテーマについての思考実験として有用だ。そしてポップでパンクな表層と共に展開するこの作品は、ヒトとは何かというテーマでモチーフを捉えている。ヒトとは、正にデイビッドのように葛藤し、身を投げ出し、贈与する者たちを呼称するに相応しく、また羊の群れの如く付和雷同し、時に残酷な所業を成し、果てに狂う者たちでもある。まさに六道輪廻が示す衆生の諸行が描かれており、その延々と廻り続ける行為の類似性を観返して向き合い、その縺れと解れを整える上で、この作品は有用だろう。

2023.1.22 誤記訂正:コンストラクター→コンストラクト

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