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正しさと虚構と良心―『THE GUILTY/ギルティ』“Den Skyldige”

*扉絵:コグニティブ・フォートトーク、ビジョンクリエーター生成
*以下の論考には映画『THE GUILTY/ギルティ』(Den Skyldige)のネタバレが含まれる。

主人公のアスガー・ホルムは犯罪現場の捜査中に未成年を射殺し、正当防衛を主張して翌日の公判を控える身である。彼が所属する部隊で事件に関わった人員は事態が終結するまで現場から外れており、アスガーは緊急ダイヤルのオペレータとして勤務する。上司はコペンハーゲン司令室の内勤におり、偶然にもアスガーが司令室に繋いだ際、オペレータとして応答する。射殺現場を共にした相棒は恐らく非番であり、公判で証言する手筈にひどく緊張している。

彼らは偽証を企てている。上司は隠蔽を容認しており、むしろ自己の経歴と組織を防衛するために推進していると言っても良い。そしてアスガー自身は利害の中心人物であり、偽証を当然と考え、相棒のラシッドに発破をかける。しかしラシッドは偽りの重大さに押しつぶされそうな不安から酒を頼り、非常に危うい状態である。

こうした醜悪な虚構が、当事者であるアスガー自身の行動を通じて崩れていく。そして纏っていた弁解が通用しない剥き出しの状態になる彼は、駆動する良心に促され、欺瞞や倒錯から抜け出して行く。このアスガーの認識を変容させ、彼が纏う虚構を崩す切っ掛けとなるのが「誘拐事件」である。

発端は「被害者」と思しきイーベン・オスタゴーの緊急発信だ。応答するアスガーの形式的な呼びかけに応じないイーベンの、一聴すると咬み合わないやり取りの中で、彼は瞬時に事態を把握して臨機応変に対応を促す。ワイパーがフロントガラスを撫でる音、雨が車体を打つ音、タイヤと接地面が織り成す振動音と車体を通してうねるエンジンの通奏低音、すれ違う車のドップラー効果音、そして僅かに漏れ聞こえる男の声。イーベンの微かに怯える声を足掛かりに、誘拐事件に巻き込まれた女性からの通報と読み取るアスガーは次々と執りうる手段を講じていく。彼はイーベンの自宅に連絡を入れ、娘から父親であるミケル・ベルグの情報を得て、ミケルを容疑者として事件の全容を把握しようと動き出す。

組織は往々にして縦割りである。ミケルが所有する車のナンバーや犯罪歴などを北シェラン司令室に伝えるアスガーは、容疑者宅を捜査した方がいいと意見するが、北シェランのオペレータは領分に留まって仕事をするよう提案する。また、誤ってコペンハーゲン司令室に繋ぐアスガーに対し、彼の上司は退勤時間の間際にもかかわらず独自の判断で捜査を進めようとする彼の姿勢を叱責する。未成年の射殺という問題を引き起こし、謹慎中に裏方の仕事の範囲を逸脱する彼の行動は、上司を大いに苛立たせる。

そうであってもアスガーは止まらない。彼の行動原理は「警察は人を助ける」というものだ。しかし同時に、彼は自分でも説明しきれない身勝手かつ不確かな動機で未成年を射殺している。この相矛盾する二つの側面が、クライマックスへ向けて併走する。

人を助けることを是とするアスガーは、イーベンとミケルの娘・マチルデに約束をする。母親は無事に戻ると言い聞かせて彼女をなだめる彼は子どものために警官を手配し、寂しがる少女に赤子の弟の側に居るよう促し、問題の一つ一つに対処して行く。そうであるが故に彼はオペレータの領分を踏み越えて事件に取り組み、相棒のラシッドを容疑者宅へと向かわせるのだが、翌日の偽証について極度の緊張状態にあるラシッドは酒をあおっており、アスガーは彼を詰る。「二日酔いじゃ困る」と言ってラシッドを説得するアスガーは自己利益と組織防衛を同一視しており、翌日の公判を首尾良く済ませれば、また元通りに現場で働けるとラシッドを諭す。

この後、このようなアスガーの二面性を掻き回すように事態が急変して行く。マチルデから連絡が入り、彼女に合流する警官が異変に気付く。少女の衣服に血痕が付いており、警官が赤子の惨殺体を発見する。ミケルがマチルデに弟・オリバーの部屋に入らないよう厳しく言いつけていること、またミケルがナイフを持ってイーベンを連れ去ったこと、そしてミケルは前科持ちで服役の経歴があることなどから、アスガーはこの事件をミケルがオリバーを殺してイーベンを連れ去った殺人と誘拐であると認識し、大胆な行動に出る。

アスガーはミケルに直接連絡を入れる。彼は一般的な捜査の手順を踏みながらミケルの応答を窺うが、オリバーの遺体に話が及ぶと、ミケルが殺したと見做すアスガーは「お前が加害者だ 罰を受けろ」と絶叫して通話が破綻する。この言葉は後に彼自身に突き刺さる。

イーベンが緊急通報をしていたことに気付くミケルは彼女を車の貨物室に押し込め、彼女は暗闇の中で取り乱し始める。通話をするアスガーはイーベンを恐怖と錯乱から遠ざけようと方々に話題を振って意識を維持させ、子どもたちと穏やかに過ごす水族館の話を引き出す。しかし、サメが好きだと彼女が言うあたりから不穏さが漂い始め、「オリバーが泣き止んだ」顛末が明らかになる。イーベンはオリバーの腹から「ヘビを出してやった」のだ。

事ここに及んで、アスガーが見立てた事件の構図が完全に破綻する。イーベンは被害者ではなく、ミケルは加害者ではない。当然ながらミケルは殺人と誘拐など行ってはない。従って、オリバーの部屋に入るなとマチルデにキツく言いつけた彼の言動は娘を思いやってのことであり、しかしアスガーは不本意にもその配慮を水泡に帰したのだ。更に悪いことに、彼の認識が反転する以前に、ミケルは悪人だから荷物のレンガで殴って逃げろとアスガーはイーベンに指示を与えており、車が止まった途端、彼女は半狂乱になりながら指示を実行する。通話が切れ、事態は悪化して混沌へと落ちて行く。

イーベンとミケルは社会保障の網の目から滑り落ち、誰からの支援も得られぬまま底辺を生きる貧困層である。レンガ職人のミケルは暴行の前科で服役歴があり、離婚した彼は、ラシッドの報告によると親権訴訟の果てに子どもに会う訪問権すら失っている。一方イーベンは二児の母親でありながら精神疾患による収容経験があり、自由を奪う隔離措置にひどく怯えている。しかし事態を最も良く理解しているミケルにとって執りうる方策は殆ど尽きており、オリバーを廻る悲劇に対処する彼の目的地はヘルシンオア医療センターしかない。彼の経歴は彼の言葉の信用性を削ぎ、行政、医療、司法のいずれも何ら有効な手立てを講じない。このように社会が見捨てたに等しい男が、しかし自分の妻を助けようと必死に藻掻き、地べたを這いずり回る。

アスガーはミケルに電話を入れ、なぜ最初に連絡した時に言わなかったのかと問う。そしてミケルは当然の疑念を問い返す。アスガーにとって、退勤時間を過ぎ領分を跨いでまで事件を受け持つ行動原理は、紛れもなく彼自身の信念としての「人を助ける」である。彼の粗雑さは、彼が助ける必要性を感じない相手が助けを求めてくることに対する辟易や、助けが必要な相手に対して画一的な対処を求めるシステムに対する苛立ちである。「誘拐事件」の一連のやり取りの合間に挟まる下らない通報を処理する態度とは打って変わって、イーベンに対する状況把握や配慮、子どものマチルデに対して丁寧に対応する姿勢などからも読み取れるように、アスガーの信念に偽りはない。その彼を「声」が導いて行き着く現実は、ミケルを窮地に追い詰める結果となる。イーベンには息子を殺した自覚がないとミケルは言い残して電話を切る。

自らの信念が招いたカオスに直面してアスガーは揺らぐ。ミケルに言い放った「お前が加害者だ 罰を受けろ」という言葉が、事態の反転によってそのまま自身に突き刺さる。彼は不当に未成年を射殺した罪人である。崩れ落ちそうなアスガーは、事件の状況を聞くラシッドに、翌日の公判で偽証をしなくて良いと伝える。撃ったのは自分であり自分の裁判だ、と半ば自暴自棄で告げる彼に、しかしラシッドが食い下がる。当初は動揺して緊張を酒で紛らわせていた相棒が、ここに来て既に述べた嘘を取り消す訳には行かないと食い下がり、この言葉はアスガーに揺り戻しをかける。守るべき家族を意識させるかの様な「パトリシアによろしく」という言葉と共に、ラシッドは彼を慮る。

ところが、アスガーにとって折り返せない最後の一線を越える事態が発生する。彼を指名する緊急通報が入り、通話を受けた彼が相対するのは素面に戻ったイーベンだ。彼女は自身の手が血濡れていることに気が付き、自身がオリバーを殺したことを自覚している。何処に居るのか居場所を問うアスガーは、発信エリアと風切り音、遠い車の走行音、そして独特な金属音からイーベンが陸橋の上に居ることを把握する。「飛びおりる」と告げる彼女を思い留まらせるために、彼は纏っていた弁解や後悔を脱ぎ捨てて剥き出しとなる。

イーベンは錯乱した状態で意図せず息子を惨殺している。そしてそれ自体を取り返しのつかない悲劇として自覚し、自ら手を下した事実を耐えがいが故に身を投げようとしている。記憶を取り戻した彼女に仮初めの慰めや嘘は通用ない。それ故に、意図せずしてイーベンを読み違え、意図せずしてミケルを窮地に追い込むのみならず、イーベンが陸橋の上に立つまでの一連の出来事を、図らずも促す様にして深く関与しているアスガーは、イーベンを受け入れるのみならず、偽りのないアスガー・ホルムとして彼女に臨む。

アスガーは何とも言い得ない不満の捌け口として未成年を射殺する。彼は錯乱しておらず、確信犯として行為に及んでいる。同僚が周りに居る通信室で、その心情を赤裸々に告白する彼は、自分が犯した殺人が故意であったのに対し、イーベンの殺人は事故だと諭す。そしてマチルデに母親を無事に帰す約束をしたことを告げ、遠くから聞こえてくる緊急車両のサイレンと共に、イーベンに橋梁から降りるよう促す。「あなたはいい人ね」と言って、彼女は電話を切る。

この映画の白眉は音響だ。視聴者がまるで主人公と共に通話の音声を聴いているかの錯覚を引き起こすように、電話回線や警察無線の音響が再現されている。更に、周囲のオペレータが話す声や環境音を、主人公の集中度合いや意識の所在に応じた取捨選択によって調整しており、より一層の聴覚に対する集中を促す仕掛けとなっている。非常に静的なカメラワークも相乗効果を発揮し、映画を見ているのだが、映画を聴いていると表現した方が適切なほど聴覚的アプローチの際立つ作品と言える。

この見事な音響設定に加えて、上述した通りのプロットである。意図と非意図、意識と意識外という、動態を分類する上で重要な主軸を中核に据える構図が見事に組み込まれた物語は、その簡潔な舞台装置に反して豊かな世界を描き出す。能動的・中動的・受動的行為の組み合わさる舞台から重要な視覚的要素を排し、聞こえてくる限られた音から構築される説得力のある世界と、その外にある全く予期せぬ無理のない世界、そして音声を通じてそれぞれの世界が同時に存在していることを示す構図は、非常に刺激的だろう。

そしてこれだけ完成度の高い作品であるからこそ、2021年にハリウッドでリメイクされたアントワーン・フークア版『THE GUILTY/ギルティ』(The Guilty)は非常に残念な内容だ。フークア版はカメラワークが舐めるように扇情的であり、聴覚に訴求せず余計な視覚効果を併用する。そして主演のジェイク・ギレンホールが演じる利己的で愚かな警官という人物像がたいへん厚かましく、総じてウザったい映画と成り果てている。デンマークの原作が描く主人公の粗野で利己的な愚かしさを体現するヤコブ・セーダーグレンが、どちらかというと静的抑制的演技であることと比較すると、人物像の解釈が文化的差異の表れと取ることも出来き、また、フークア版が舞台とするアメリカの東西で生じる時差の要素やカリフォルニアの大火災など、移した舞台に沿うそれなりの仕掛けは用意されている。しかし余りにも凡庸にサイコスリラーを構築してしまっており、原作の素晴らしい要素が中途半端に解体されている。

フークア版は、非常に完成度の高い作品をリメイクした結果が大変残念であるという、無謀にして良くある凡作と言えよう。

12/26  誤記訂正:子どものマチル[ダ→デ]に対して丁寧に

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