【物語の現場052】正に事件の現場、本所松坂町の吉良邸跡(写真)
「狩野岑信」の第六十九章では、甲府川越両藩が翌日の武力衝突に備えて身構えていたところ、歴史イベントが強制発動。元禄の華・赤穂浪士による吉良邸討ち入り事件の勃発です。
写真は、吉良邸跡本所松坂町公園(東京都墨田区両国、2022.12.19撮影)
現地の説明板によれば、吉良家の屋敷は2550坪、今の公園の86倍の広さがあったそうです。
ところで、手元に「江戸方角安見図」の復刻版(朝倉治彦編、東京堂出版、1975年)があります。
この地図が刊行されたのは、吉良家が本所に移って来た21年前の延宝八年(1680年)。該当地域を見てみれば、すでにかなりの数の武家屋敷が。両国一帯は急ピッチで開発が進んでいましたから、元禄十五年(1702年)にはさらに発展していたはず。決して辺鄙な場所ではない。
また、吉良家の屋敷替えに関する陰謀説についても、それはないかな、と。当主が要職を退いて隠居、若年の新当主は無役に(小普請入り)。この状況に鑑みれば、幕府内の至って普通の処置だったように思えます。
ともかく事件が起きました。インターネットはおろかテレビのニュース速報もない時代。人々はタイムラグのある断片的かつ不正確な情報を基に右往左往。問われる大局観。さて、真価を発揮をするのは誰になるでしょうか。
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