孤独じゃないけど、ひとりだ。

 ツイッターをやめました。今日で3日目。


 わたしという生き物は、結局、どうしようもなく一人なのだと思った。孤独と表すにはおこがましいもので、ただ、一人なんだ。今までは、一人の寂しさに耐えられず、なんとか、ツイッターで"フォロワー"とつながって、寂しさをまぎらわせているだけだったが、それもやめてみた今、ただつのるのは、「わたしは一人だ」という事実に対する言葉にもできない感情だった。LINEも返したし、家族とも話すし、わたしは、孤独ではない。ただ、自分自身の内情を何の気も使わず、赤裸々に吐露できる場がないことが、こんなにも苦しいことだとは思わなかったのだ。わたしの芯の奥の奥を、理解してくれる人が恋しくなった。いや、それすら違って、人に見てもらってはじめて、自分に対する理解をすすめられるということが、恥ずかしくなった。その場を失ってはじめて、わたしは、本当は、一人なんだと気がついた。
 結局、わたし、他人軸なものだから、人に見せる文章以外、感情以外、向き合ったこともなかった。こんなに苦しい苦しいって顔をしているのに、泣きぬれた顔を手でおおい隠して、指のすき間から、ちらちらと人の顔を気にしていた。
 ねぇ、分かってくれた? 心配してくれた? どうしたらいい? たすけてね?
そんなの、何から?


 今読んでいる本の主人公が、気がまいっている時に、悲劇はこりごりで、喜劇が見たいというような事を言った、と思う。
 何だか、分かり合えない人というのはいるのだろうなと思った。わたしは、自分の気がめいっているときに、人の笑顔なんて見たらきっと、殴り飛ばしたくなる。死にたい時は、もっと死にたくなるものが見たい。
 全員不幸であってくれ。嘘だ。自分が悲しくなるから、わたしの背中でみんな笑ってくれ!



 文豪とアルケミストのアニメを見ている。第四話で、本に人生を救われたハルカという少年が出てきた。彼は特に太宰治が好きで、斜陽を通学中に大切そうに読んでいた。
 文学がもし消えてしまったら。そんなifの世界で、彼は絶望し自殺した。
 文豪がモチーフの作品なので多少過剰に書かれた部分はあると思うが、わたしは、他人事に思えなかった。
 二次創作かなにかだったと思うのだけど、「今じゃ、あんたの方がよっぽど神様じゃないか」という台詞を見た。ああ、そうだと思った。
 どんな名だたる神よりも、結局、自分を救い出してくれるものが、きっとどうしようもなく、神様なのだ。
 わたしは一人だ。一人で、どうしようもなく一人で、同じく、一人である人の文章を見て生きている。
 わたしにも、神様があります。信仰があります。
 


 ツイッターをやめたから気がおかしくなっているのではなくて、いつもツイッターに書いていることを書いただけなのです。
 精神は非常に良好です。
 わたしは、貴族的生活をしています。
 わたしは、貴族です。




 紙の日記には、なんだか気恥ずかしくて、「わたしは、貴族です」というフレーズは書けなかった。もしわたしが不慮の事故などで日記の処理をする前に死んでしまった時に、両親や親族に見られる可能性が一ミリでもあるのが耐えられない。
 ただ、好きなものはなぞらえてしまいたくなる、乙女的、あるいはオタク的心情が、ここでは唯一吐露できる。
 日記は、やっぱりデジタルがいいのだろうか。

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