【創作】あめうつつ

 少し前に高文連に出したものが出てきたので載せます。問題あれば消し〼😞

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 ゆめみたいな日々だった。わたしの人生でいちばん輝かしくて、あめだまみたいに溶けていった。美しいものは儚いと言うけれど、やっぱりその通りだったんだと思う。
 今思い返したって苦しくなる。溺れていた。あの人に、あの日々に、あの恋に。やっぱり嘘。今だって、溺れているまんまだ。もがいて、あがいて、どうにかなりたくて、酸欠になるまで。
「苦しいくらいがちょうどいいんだよ」
穏やかで優しいあの声が反芻した。わたし、あなたの顔も、声も、香りも、まだ忘れられてない。諦めが悪いのかな。だけど、思い出は美化されているって言うけど、それに耽溺出来るうちが花でしょう。
 たなびくセーラー服を思い出す。赤いリボンがぽつりぽつりと、黒い染みを作ったあの日のこと。予報はずれの雨が降って、あなたは傘を持っていなくて、偶然わたしが見かけて、それで――。
 思い返したって意味なんてないのに、わたしは小さいことまで全部思い出せてしまって、悲しくなって、それきり。 今、何してるの? お互い、つまらない大人になったのかな。それともあなたは、あなたのまま生きているのかな。
「もう一回、会えたらいいのに」
ゆめじゃないって。あの時、わたしが酸欠になるまで溺れていたことが嘘じゃないって。

『ちゃんと、すきだよ。……ごめんね』

思わせて。

***

 はぁ、とひと息ついて、ブラックコーヒーを口に含む。某所、カフェにて。キーボードを叩きながら頭を抱えてしまうわたしを、何人かが数奇な目で見て、また目を逸らしていった。締切間近の原稿は、驚く程に進んでいない。先程まではホテルで缶詰になっていたのだが、相も変わらず白紙のまま。仕方がないので、気分転換に徒歩数分のカフェへと入ってみたはいいものの、結局大して文字数も進んでいないのが現状だ。
「そもそもテーマが悪いの。こんな現代社会で純愛ものなんか書けるわけないでしょう。あの時、なんでわたし引き受けちゃったのかな……」
今回担当編集が持ってきた仕事は、恋愛もののアンソロジーだった。
「煌びやかさはなくても、爽やかで輝いていたあの日々って良かったなぁみたいな感じ。という青春もののお仕事が来てますけど、どうします?」
でもどうします? なんて顔をしてなかったんだもの! やりますよね? って顔だったんだから。それに、今のわたしは仕事を選べるような立場じゃないし。去年の夏に小さな賞を取らせてもらってから、駆け出しのわたしを色んなところに売り込んでくれる、この厳しくも優しい担当さんにも報いたいし。
「わたしで、いいんでしょうか」
「先生の恋愛描写、というか青春描写って言うんですかね。全く現実味がないんです。生々しさとかリアリティとかそういうのがなくて、逆に夢を見れるんですよね。俺は先生の作品の大ファンなので客観的意見は言えませんが、絶対大丈夫ですよ」
精神的にムラのあるわたしを、こんな風に支えてくれるのも彼だ。だからわたしも調子に乗って、わたしで良ければぜひ、とか言っちゃったんだ。担当のバカバカ!
 今もひっきりなしにスマホには連絡が行っていることだろう。恐ろしくって電源を切ってホテルに置いてきてしまった。
 ……過去の経験を切り売りするのは、今までわたしのポリシーに反すると思っていたのだけれど。高校生の頃の、甘酸っぱくて夢みたいだったあの日々を思い出しながら、文章を紡いでみる。
「もうこれで行くしかない……。うわ、あの人どうしてるんだろう」
モデルとなっている『彼』の声も香りも覚えてなんかいないし、顔だってもう朧げだ。それほどまでに、月日は流れすぎたし、わたしも歳をとりすぎた。それでも、忘れられないほどに恋をした、と描いていたかった。酸欠になるほど溺れていた、と描きたかったのだ。
 生々しい青春も、苦しい恋愛も、題材としては好きだ。だけど、自分で言葉を紡ぐとするならば、フィクションの上でくらいは、ロマンティックに踊っていたっていいだろうと思う。わたしは嘘を描いている。わたしのキャラクターたちを、虚構の上を鼻歌交じりに歩かせる。その事実が、なんだか胸が苦しくて。
「だから経験をネタにしたくないのに」
彼らの生々しさを奪って、殺して、綺麗なものだけ残して、あめだまみたいにするんだ。甘いところだけ。苦いとこも、辛いとこもない。儚い一瞬を、あめだまに詰めるんだ。
 結局Macを閉じて、会計をしてカフェを出る。外は、ぽつりぽつりと雨が降り始めていた。けれど、あの日みたいに赤いリボンに染みができることはない。制服を乾かさなきゃいけないから、なんて言い訳も使えない。今はもう、わたしたちは代替可能な服を着て、何食わぬ顔して街を歩けるようになったんだから。
 セーラー服にしか出せないきらめきがあった。あったはずなのに、わたしはもう、思い出せない。

***

 委員会で少し遅くなってしまって、もう誰もいなくなった下駄箱で靴を履き替えていたとき。
「あれ、織本さん。帰り遅いんだね」
そこで偶然会ったのは、クラスメイトの川崎くんだった。出席番号的に、何かと隣の席になることが多くって、クラスも二年連続同じだったから、わたしの中では一番仲のいい男子と呼べる存在だった。そして、わたしの、好きな人。
「川崎くん! 今日は偶然委員会だっただけなんだ。そこで何してるの?」
出口から動こうとしない彼を不審に思って聞いてみる。その時急に、外が光った。
「きゃっ……。嘘、雨降ってるの?」
「んー、そうみたい。夕立かな」
慌てて川崎くんの隣に駆け寄って外を見てみると、思い出したように、大雨が降り注いでいる。
「だかんね、雨宿りしてた」
雷光に照らされた彼の横顔は綺麗で、なんだか寂しそうに見えた。
「誰か家族の方に傘持ってきてもらったりは……?」
「うち、父さんも母さんも忙しくてさ、今日も多分帰ってこないんよな〜。これ止むかな、雨」
二人で見上げた空は、時間帯もあるだろうが雲が厚く暗い。とてもじゃないけど、雨が止むとは思えなかった。
「わたしも、雨宿りしなきゃな」
傘はあいにく持っていない。両親は今日に限って旅行に出かけていて、家にも誰もいないし。
「そうなの? じゃあ二人で待っとこうか」
二人で並んで、他愛もない話をした。家で猫を飼ってるとか、好きな漫画の新刊が出たとか、コンビニスイーツはどれがおすすめとか。緩やかに進んでいく時間が楽しくて、あっという間に空が泣くのをやめた。
「止んだね、雨。帰る?」
「そうだね〜。暗くなっちゃったね」
「もう七時近いし、送ってくよ」

「好きな人とか、いないの」
並んで帰っていると、なんでもないように振ってきた質問。あまりに予想外なそれに、わたしは飲んでいたペットボトルのカフェラテを吹き出しそうになる。
「何、急に! びっくりした」
「あはは! 驚きすぎじゃない?」
「だって、そんな話してなかったじゃない」
「まぁね。でも織本さんって一歩引いてるイメージあったからさ、いるのかなって」
そう言って、悪気も下心も何も感じない爽やかな顔で笑うものだから。
「そんなの……、言わないよ」
いないよって、言えなかった。嘘をつくのがなんだか心苦しくて。そうしたら案の定、やっぱり彼は「いるんだ」って笑った。
 その横顔は、暗くてもうよく見えない。でも、穏やかな彼の優しさがずっと伝わってきて、今日だって本当は身が持たないほどに幸せだった。今も歩幅を合わせて歩いてくれているし、暗いと言ってもそこまでの時間帯なのに送ってくれるし、今だって車道側を歩いてくれている。
 急に、ぽつりと雨粒が落ちてきて、わたしのセーラー服のリボンを濡らした。じわじわと、黒い染みが広がっていく。まだ完全に止んだわけじゃなかったんだろう。先程までとは言わないが、それでも結構な雨。
「織本さん、走ろ。家までナビお願いね」
そう言って、わたしの手首を掴んで走り出す川崎くん。体温がぶわっと上がってしまって。でも体を打つ雨は冷たくて、温度差で風邪をひいてしまいそう。手を引いてはいるのに、彼は優しいから、わたしの速度に合わせて走ってくれるんだ。
「あ、待って」
急に止まった川崎くんがいそいそと着ていたパーカーを脱ぎはじめる。
「どうしたの?」
「ごめん。濡れてるし、ちょっと汗臭いかもだけど、これ着てて」
そうして差し出されたそれ。どうして、という顔をしていたのがバレたのだろうか。気まずそうにわたしを見たあと、そそくさと目を逸らし口ごもる。わたしがどうかしたのか、そう思って見てみると、セーラー服が濡れて思いきり透けてしまっている。さっきとは別の意味で、かぁと顔が熱くなった。
「あっ、ありがと……。あの、家もうすぐだから」
「いいよ。そうなの? 良かった」
あとは無言で走った。その時のわたしたちに、言葉は必要なかった。その一瞬だけ、わたしたちは恋人だった。そんな、甘やかな空気があった。
だから、そのあとだって、気の迷いなの。
「ここまででいいよ、このマンションだから。ありがとう、ほんと」
「いや全然大丈夫。パーカー、いつでもいいから」
「うん、また改めてお礼――」
 次に顔を上げた時には、彼の彫りの深い顔が目の前にあった。くちびるに、柔らかい何かがあたる。これが、彼のくちびるだということを理解するのに、十数秒を要した。さらに、キスされたと理解するまで、数秒かかってしまう。
「えっ」
「綾乃ちゃん、またあした」
その時にはもう、彼は帰路につき始めていて。
「颯くん、またあした!」
声を張り上げて彼の背中に投げつけたら、彼は振り返って、笑って手を振ってくれた。

 ずるい、ずるい人だったと思う。パーカーの、彼の香りと雨の匂いが混じる。コーヒーみたいな香りだった。
「やっぱり、すき」
嬉しいのか、怖いのか、悲しいのかわからない涙が頬を伝う。雨と混ざって、涙なのかなんなのかももう分からなくなってしまう。それが悔しくて、わたしはパーカーのフードを目深にかぶった。このぐちゃぐちゃな苦しさや生々しさは、わたしだけのものだから。

 ふらふらになって、泣きながら家の鍵を開ける。ドアをがちゃりと閉めて、そのままずるずると座り込んだ。もう、キャパオーバーだった。

 コーヒー、飲めるようになろう。

***

 わたしは今、夢物語を描いている。わたしの普通の、誰にでもある経験を切り貼りして、付け足して、生々しくてときめかない所は削っていく。
 本当は、この時はもう付き合っていたし、彼はわたしの透けた下着の色を見るようなデリカシーのない人だったし、この後だって結局、「制服、乾かしていきなよ」なんて言って、わたしの家で二人でご飯を食べて、やる事やって、ふたりで抱き合って裸で寝た。でも書かない。それを、この短編を読む人は求めていないから。高校生同士の初心な恋愛に、その描写は必要ないから。
 夢物語に、性愛とかそういうのはいらなくて、プラトニックな美しいなにかだけを描いていればいい。それが、苦しかった。わたしはそれでいいと思っているはずなのに、それが、わたしたちの全てを書いてるんですよ、みたいな顔するのが腹立たしい。
「こんなの、人様に出していいのかなぁ」
 悩みは尽きない。こんなの、全部嘘。でも、彼を本当に好きで、愛していた気持ちを思い出し始めていた。懐かしいな、と思う。わたしの読者さんが、わたしに求めているみたいな美しさはなかったけれど、わたしなりにもがいて、あがいて、どうにかなりたくて、酸欠になってたあの日々が確かにあった。
 もう一度あの人に会えたら。
「今更、何話すのよ」
そう笑い飛ばしてやって、また自分に嘘をついた。ホテルの窓の外が、小さく光った。天気は夜になるにつれて悪化していた。
 担当に締切を何日か伸ばしてもらって、ホテルの滞在日程も調整した。部屋にあるインスタントコーヒーを淹れる。
「べつに、美味しくないんだよなぁ」

***

 結局、彼とはそれきりだった。次の日から、わたしたちは普通の顔してお話をしたし、手作りのクッキーなんかじゃなくて、お菓子屋さんで買ったちゃんとした焼き菓子をパーカーのお礼にした。
なかったことになっていた。
 そのことがとてもショックだったけれど、同時に安心してるわたしもいた。怖かった。そのあとどうなるのかなんて、なんにも考えちゃいなかった。きっと、彼もそうなんだろう。何も考えずに、付き合ってしまえばよかったのだろうか。
 今は、大事な時期だった。三年生の夏だから、部活も人生最後だし、受験だってもう間際になっている。そんな時に、わたしも彼も、相手の人生に干渉するほどの勇気がなかったのだ。
「……キスはできるくせに」
初めて、大好きで優しい彼を恨んだ。この意気地なし。なんて、それはわたしも同じなのに。
 仲のいい友達。その仮面を被り続けて、夏も過ぎて、秋も冬も駆け抜けた。幸い、お互い、無事に第一志望に受かっていた。それはつまり、それぞれが地元を離れることを意味している。

 卒業式の日、わたしは彼を、誰もいなくなった下駄箱に呼び出した。もうどうなってもいいと思っていたから。わたしたちはきっと今日で切れる縁だけれど、最後にあっと言わせてやろう、なんて。
 胸に卒業生のブローチをつけた彼は、相変わらずコーヒーの香りがした。わたし、結局飲めるようになったんだよ。
「織本さん、どうしたの」
「あの日みたいに、名前で呼んでくれないの」
そう言ったら、くしゃりと彼の顔が歪む。それでも彼は言葉を紡ぐ。わたしが今からしようとしている酷いことも、全部気づいているのに。やさしい人。やさしくて、ずるい人。
「綾乃ちゃん、コーヒー飲めるようになったんだね。珈琲ゼリーも食べられないって言ってたのに」
「いつの話してるの。わたし、結局おすすめされたコーヒーのスイーツ食べたんだから」
あの時の、一瞬だけ恋人だったわたしたちは、もう半年前になっていた。でも、そんな他愛ない会話の一部を、彼も覚えているのだと思うと、なんだかたまらない気持ちになる。ああ、わたしたち、どちらか一人に勇気があれば。
「颯くん、東京出るんだ」
「綾乃ちゃんは、九州だっけ?」
「うん。好きな小説家の出身校で」
「そっか。本好きだったもんね」
彼とは小説の趣味がよく合った。溶けるような、あめだまみたいな、綺麗な文章が好きだった。ねぇ、もしも。
「わたしが書いてたらさ、見つけてくれるかな」
有名になれるとか、そういうのはわかんないけどさ。本を出版して、賞とか取っちゃって、売れっ子になったら、見つけてくれる?
「絶対、見つけるよ。見つけてサイン貰いに行く」
「ふふっ。苦しくってやめちゃうかも」
「苦しいくらいがちょうどいいんだよ。大丈夫」

「ねぇ、颯くん。わたしのこと、どう思ってたの」
「ちゃんと、すきだよ。……ごめんね」
「うん、わたしも。ごめんね」

***

 苦し紛れに書いた、ほぼノンフィクションのフィクション小説は、概ね好評だった。『くっつかないところがリアルっぽくていい』とか『出来ない約束しちゃうとこでめちゃくちゃ泣いた』とか、そんな感じ。本当はもう恋人だったし、高校を卒業して自然消滅しただけ。なのに、主人公の名前を本名でやっちゃうあたり、全然未練を捨てられてないのかもしれない。最後の会話以外は全部嘘だ。
 でも、それの評判に乗っかって、ついにわたしのサイン会まで開かれる流れになったのだ。ありがたいことだと思う。
「あの、こういうイベント持ってくる時は、わたしに先に教えてくれませんか」
「まあまあ。あなた言ったら逃げるでしょう」
涼しい顔で言う担当には、全部お見通しらしい。その通りだ。わたしは、意気地なしだから。でもさすがに、三日前とかになって急に教えてくるのはやめて欲しかったなぁ。
「大丈夫ですよ。今日だって、あなたが好きな人しか来ないんですから」
「そう……、そうですよね」
 だけど、この人たちって、わたしの綺麗なとこしか見てないじゃないか。それが別に、なにか直接的にあるわけじゃないけど、なんだか怖い。
夢を配るって、罪深くって業が深いことに思えてしまう。
 わたしの本、今となっては『高校生のリアルな恋愛!』なんて帯をつけられて、青春を忘れた大人向けに売られているらしい。現役高校生は、こんなの読まない。だって、ひとかけらだって、リアルも何もない。そこにはただ、夢物語が広がっている。
ああ、こわいなあ。苦しいくらいがちょうどいい、なんて恐ろしいこと言うなと思う。
 出来ない約束、なのだろうな。やっぱり、世間一般的に見ても。もう、声も顔も香りも思い出せない人を、昔の約束だけで見つけ出すなんて無理だ。でも。それでも。
 もう一回だけ、会いたくなってしまった。はやく、見つけて。
 サイン会が始まる。みんなわたしの本を持って、わたしの本が好きだという。嬉しいけれど、誰の顔もまともに見れなかった。だって、あの、彫りの深い面影を探してしまうから。やさしい声を追いかけてしまうから。
「次の方で最後です。大丈夫ですか、先生」
担当編集が声をかける。わたしは笑って、大丈夫です、なんて返す。今日も雨だった。わたしの読者さんたちが運ぶ雨の匂いが、このちいさな本屋の一室には充満している。

 ふとそこに、コーヒーの香りが広がった。反射的に顔を上げる。
 ゆめみたいな瞬間だった。きらびやかさはなくても、爽やかで輝いていたあの、あめだまみたいな日々が、香りとともに蘇ってくる。
「先生の、溶けるような、あめだまみたいな、綺麗な文章のファンです。最近の短編が特に好きなんです」
彼が穏やかに笑う。苦しかった。ちゃんと呼吸が出来なくて、まさに酸欠みたいに、わたしはぜえぜえと喘ぐしかなかった。
「きれいな夢物語って感じがして、そんなふうに美化して大切に抱きしめてたのは、自分だけじゃないんだなって」
出来ない約束。そうじゃなかったの。
「颯、くん?」

「やっと見つけた、綾乃ちゃん」

***

 一度キーボードを叩くのをやめて、背伸びをひとつ。
「あー、あめだま溶けちゃった。新しいの持ってこなきゃ」

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