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吉行淳之介「原色の街」

いわゆる「第三の新人」の一人である吉行淳之介の作品を、新潮文庫で初めて読んだ。以前に、同じように「第三の新人」にカテゴライズされる庄野潤三の著作を読んだことがあったが、庄野と吉行では、作品群の底流あるニュアンスが異なるように感じる。

これまで、主に第二次世界大戦以前の文学に親しんでいたこともあり、吉行らのような戦後文学(GHQによる占領終了後)に目を移すと、戦後の頽廃的空気や、敗戦・占領を終えたあとの日本の再形成の気運の高まりなどを、文面から強く感じられる。

特に、吉行は「性」(または「生」)を描いた作品が多いようである。
このような主題はあまり得意でなく、避けてきた部類なのだが、なんというか、吉行の作品は嫌な気を抱かずに、ニュートラルな気持で読むことができた。殊に、「原色の街」は読了後、一旦本を閉じてその鮮やかな終盤の情景に思いを馳せた。良い作品だった。

肉体を商売道具に生きる女たちの、微妙に移りかわっていく心。
意識的な部分と、どこまでも無意識的な部分の交錯は、「原色の街」に描かれた様々な有り様の女たちを常に揺さぶり続けている。

 自分の立っている地点から一瞬の間に消失してしまいたい、という気持が烈しくあけみを捉えた。どういう動作をしようというはっきりした意識はなかったが、彼女の軀は一つの塊となって、正面から元木英夫にぶつかって行った。あけみは、その咄嗟の間に男の体臭を感じた。(中略)
 あけみの脳裏にも、閃いたものがあった。それは、身の置き場所のなくなった自分を、見えない巨大な手が新しい空間へ弾き出してくれた、という考えである。

『原色の街・驟雨』(新潮文庫)より

引用の場面は、「原色の街」クライマックスに近い部分である。この部分から最終場面に至るまでの描かれ方がとても好きだ。まるで映画のカットのようでありながら、映像にしてしまえば途端にチープになってしまいそうである。
無駄のない表現によって、作中人物のモーションと「あけみ」の心理を、読者はその内面にそれぞれ描き出す。良いやるせなさだ。

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