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6・終章「思春期おやしらず」

バシュッ、ズドオオオン、ゴッ、ズズズズズズ…

「今日こそ歯医者に行きなさい!」

母さんがまた怒鳴ってる。うっせーな。
読書の秋だろ、オレは同じ14才の主人公が初号機でリフトオフするノイズで小言を掻き消す。

「また漫画? 勉強してないんでしょ!」

なんでそう決めつけんだよ。やる気を上げる為のマンガだぞ。
半年前の歯科健診で「う歯ありまーす」ってフザけたプリントをもらったせいか?
そんな不名誉持ってどこに行けるか。プライドってもんがあんだよ、ボケ。

てかさ。正直歯医者って怖くね?
みんなだって本音は怖いんじゃねーの?
オレこう見えてビビリだから、部活を言い訳にスルーしてたいの。できれば一生。

「もうバスケもとっくに引退したでしょ!」

あー都大会終わったっけな。あの時確かに真っ白に燃え尽きた。

「入試本番で歯が痛くなったらどうするの!」

でも試合本番で歯が痛くなったことねーしな。
気合いの問題だろ? ほら気合いで魚の骨丸呑みした剣士いたぞ。漫画だけど。

「ゆっき、はが いたいいたいなの?」

すぐ会話に割り込む弟の参上だ。お前なんかめんどくせーからダッコしてやる。

「ぜんぜん? 大丈夫だよ」
「よかったー! チューしてー」

甘えくさったこと言いやがるマセガキめ。
オレがチューしたいのはさよみちゃんオンリーだ。

ふと中途半端な豆知識がよぎった。

虫歯ってチューしたら感染るんですか?

それで感染るようなチューをオレはまだ……
でももしその時が来たら……

歯みがきすればいいだろ。
でもそこに歯ブラシがなかったら?
さあどうだ。みんなどうやってそこをクリアするんだ。

こっちはマジで深刻なのに、無邪気にチューをせがむ弟を見た。

「お前は悩みがなくていーよな」

オレは誰かにチューをねだった記憶もねー。ついでに言わせてもらうが、2歳くらいまでの写真だって1枚もねー。

さよみちゃん、虫歯って知ったら嫌がるかな。
でもたかだかムシバイキンだろ?
ミクロの敵相手にギュイーンとかガガガガガとかゴオオオとかゴリゴリゴリとかどんだけバリバリ宇宙規模の大戦繰り広げるっつーの。
しかもオレの口の中で。
ボコり過ぎだろが。

正義が悪をコテンパンに叩くバトルは時代遅れ。いまどきの戦隊ヒーローだって悪には悪のパトスが描かれてるんだぜ。

結局不本意ながら、弟にチューをしてしまった。ほっぺにな。

それを見た母さんがすかさずタオルで拭き取り、問答無用で歯医者を予約した。

素直なフリしてねーと露骨にイヤーな顔をする。マジめんどくせー。

やっぱ虫歯はチューで感染るのか?

ビルの2階に階段で上がる歯科クリニックの自動ドアがひらけーゴマで開く。
評判いいらしいけどな。オレは魂だけは売らねー。

言われるがままひと通り受付を済ませると、ソファ横の週刊マンガ雑誌が目についた。
おー結構バックナンバー揃ってんじゃん。お巡りさんの最終回読みたかった。いいもんゲットだぜ。

着席。ちらっ

隣の女の人、なに? 口元をハンカチで押さえているぞって、おいおい。
痛いのか? 痛いのか? 痛いのか?

おっと失礼、ガン見し過ぎた。
視線をマンガに戻し、迷わずサムライ魂のページをめくる。

「木室さーん、木室京子さーん、お会計でーす」

棒読みの受付嬢の声に、ハッとした。

立ち上がった隣の女の人。
あれ、木室京子だったんだ。
前にテレビの料理番組で見た。
オレンちページでも何度か見た。
これ、生だ。ヤバ、なま木室。

「お大事にー」

オレあんたを知ってまーす、なんてな。言えね。
ただ本物は、空気みたいに普通にどこにでもいる人だ。
ただやっぱ小さい。小5から常に前から3番目をキープするオレの言うことじゃない? いや、だからこそ言わせてもらう。

「神保さーん、神保悠稀さーん、4番にお入り下さーい」

あー、はいはい。
思わず小さな背中に見とれていた。
芸能人に出くわすくらいレアだ。しかも4番っつった?
バスケ部(元)キャプテンのオレ様はマンガを棚に戻して診察室へ。

4=「死」?
バスケじゃヒーローが背負う誇りのナンバーだ。
怖くない、怖くない、ちっとも怖くない

ユッキー、イッキマース

◆◆◆

あたしはこの年になって親知らずに悩まされるとは思わなかった。
ムズムズとした違和感が、次第に咀嚼に影響し始めた。料理研究家と呼ばれる以上、いつまでも口腔トラブルを抱えるわけには。

今日は評判のいいらしい歯科クリニックへ。

雑誌編集者の石井さんの情報どおり、優しい院長先生が、するっと抜歯してくださり、あれよという間に終わった。

「木室さん、痛むのを我慢しなくていいんです。怖くないように麻酔を使いますからね」

ただその瞬間、自分の身体の一部が取り除かれる悲しさがどうしても込み上げてきた。
さっきまで確かに神経の通ったあたしの一部だった筈なのに、と。

どうしようもなく、院長に思いを正直に漏らすと、珍しいですね、と笑いながらも抜歯後の親知らずを持ち帰らせてくれた。

親も知らない親知らず
無造作に廃棄されるのは、どうも。

「お大事にー」

会計を済ませ、まだ麻酔の残る右半分の口にハンカチを当てて自動ドアに向かう。
部分麻酔の筈だけど、気分的に全身が重たく弛緩してる。
ダメダメ。ヨダレが出てはみっともない。足元にも気をつけよう。

「神保さーん、神保悠稀さーん」

背後の混み合う待合室では次々と患者さんが呼ばれていく。
いま自分が呼ばれた時以上に俊敏に振り返ったのには理由があった。

ほら、……

小柄でスラっとした少年が、診察室の奥に吸い込まれていく。

背筋の伸びた華奢な身体でカッコつけて首を傾げ、ちょっとだけ拗ねたように片方だけポケットに手を入れて。

いかないで

あの日
あの鬼が連れ去る時にあの子を引き留める力が弱かったばかりに
手を放し、懐から消えてしまったあの日が

重なる。

顔を確かめたい。

こっちを振り向いて顔を、見せて

ねえ

あなた、ゆうくんでしょ

口から飛び出しそうな衝動と葛藤をハンカチで抑えた。

あたしを親だと知らないゆうくん
中学3年生、誕生日がまだだから14才

チューもおっぱいも大好き星人だったゆうくんが、会わないうちにこんなにも成長した姿を

この親知らずが引き合わせてくれた、と
奇跡的なすれ違いに感謝するしかできないあたしを

嫌いでいいから憎んでいいから

ひとめ見たかった

この手を伸ばして振り向かせたかった

あたしに似ているとか、彼に似ているとかどうでもいい

幸せなのかどうか、その表情を知りたい

……でもいいんだ。
無事に大きくなっている。
大切に育ててくれてる証拠だ。
勝手に名乗り出てはいけない。

だって

ゆうくんは、きっと何も知らないのだから。

帰ろ。帰らなきゃ。
改めて階段の手すりを掴み、一歩一歩確かめるように降りる。
診療前に人並み以上の怖がりだと訴えたので、麻酔の量をギリギリまで増やされる羽目になった。

それが影響してるのかしてないのか、何にせよこのまま駅の人混みに紛れる前に、ひと休みしたい。

カフェに入ろうか? でも、麻酔がきれる1時間くらいは飲食禁止だって。

歩道にベンチ、ないかな

途端、くらっとした。

ヤバ……抜歯なんて初めてで極端に緊張したんだ。このままじゃ貧血きちゃう。

とにかくどっか休めるとこを

あ……本気でやばい。立ってるの、無理だな

どうしよう。

倒れる。もう、限界。

倒れて楽になろう

「木室さん!」

大丈夫だから

ゆうくん……ごめんね

ちょっと1分だけ膝を貸して

軽い貧血だから、頭を低くしたら

すぐ治まるの

◇◇◇

ユッキー、イッキマース
撤回しまーす。

診察室から聞こえる工事現場さながらの擬音オンパレード。
なんてこった。超リアルこえー。

踵を返して待合室を逆走する。
意表をつき混雑したフォーメーションを華麗なフットワークですり抜けるのは超得意。なんてったってアイドルならぬオレは(元)キャプテン。

棒読みを忘れた受付嬢が叫ぶ。

「ど、どうしました?!」

ちっ……どうもこうもあっか。
逃げ出すわけじゃねー。
男にはやらなきゃならねー時があんだ。

歯医者来るんじゃなかった。調子狂いっぱなしだ。頭の中グチャグチャじゃねーか。
しかも後を追った自動ドアの先の階段で、あの人が、どうして今にも倒れそうになってんだ。
やっぱ痛いのか?

「木室さん!」

なりふり構わず駆け寄って、頭をぶつけないように後ろ側に滑り込んだ。
やべ、ちょっと擦りむいたかも。そしたら

げ……
なんつー真っ青な顔。
んな顔で「ごめんね ゆうくん」とか言うな。

もう充分だ。
自分の長年のぼんやりとした勘が当たってこんなに嬉しくないとは夢にも思わなかった。

ずりーよ、木室さん。
オレは弱い者イジメができねんだ。
こんなに弱ってたら、あんたを罵ることができねーじゃねーか

◆◆◆

このくらいの軽い貧血は何度か経験している。
徐々に身体が楽になって起き上がれそうだ。それと同時に、停止していた思考も回復してきた。

マズイな……。

あたし、独り言を声に出してないよね?
力入ってなかったから口走ってはいないよね?
ゆうくん、とか

「ごめんなさい。もう歩けます。助けてくれて、あり……」

ダメだ、この優しく頼りになる子にありがとうが言えない。もう言葉が繋がらない。
嗚咽が漏れないようにハンカチを押し付けた。

「木室さん、ですよね? オレ知ってます」

ギョッとした。
どうして?
誰が教えたの?
絶対に絶対に正体を明かすなとあたしにあれほど念書にしてまで約束させたクセに、一体誰が!

変声期の少年の言葉に動揺した。

あたしが狼狽えてる場合じゃない。ゆうくんを不安にさせてはいけない。あなたは決して捨てられた子ではなく、この今もあなたの成長が愛おしいのよ。

伝えなきゃ……
昔友人に言われた通り、あれからあたしはゆうくんが必要とする時にいつでもすぐ取り出して伝えられるよう、生真面目にも心の引き出しの一番手前に準備していた。

「だ…大好きだよ」

噛んだ……。でも大事なのはそこじゃない。
みるみるゆうくんの顔色が変わって、しまったと思った時はもう遅かった。

この子は寧ろ何も知らされてなかったのか。

あたしがあなたを生んだ親だということを。

大人の揉め事に、逆に巻き込んでしまったなんて、

あたしは

どこまで母親失格だ

◇◇◇

木室さんの血色が戻ってきた。
焦ったー。

正義の味方みたくなったのは偶然だって。
診察パスして追いかけた目的は、逃げる為でも助ける為でもなかったんだ。前にも言ったろ? オレの腹ん中は真っ黒。あの頃から何も変わってねーし。

ただオレは、木室さんを知ってますって伝えたかった。
まだもう少し話せそうなら、オレ料理好きですって言って、あとオレの好きな子アレルギーあるからマクロビのレシピ参考になる、とかなんとか、

気を引きたかったんだ。

ただの料理家の木室さんで良かったんだよ

そうして木室さんがオレに気を許したところで、

手が滑って階段から突き落とそうとか

通りに出たとこでうっかり車道に押してやろうとか

あるいは

人間のクズとかゴミとか

もっとはっきり

「死んでくれ」とか

手を汚さずに痛めつけて見下して放置すんだよ。

自分がケガしたらバスケできねーだろ?

だからさー

ゆうくん、とかやめてくんねーかな

オレの名はユッキーで通ってるから

「ごめんなさい。もう歩けます。助けてくれて、あり……」

だから、ごめんなさい、とか嘘くさいからやめろって。

オレ嫌いだから。
嘘つく奴とか偽善者とかすぐ分かるしな。
だってオレと同じ臭いがする。

「木室さん、ですよね? オレ知ってます」

もう起き上がりそうだ。よかった。安心した。案外早く復活してくれてよかった。

じゃあ、

もう、いいよな?

容赦しなくて

いいんだよな?

ただ足首を軽く引っ掛けて転ばすつもりだった。そのくらいのリベンジで、スカッとする気がしたのに。

「だ…大好きだよ」

想定外の言葉に出鼻を挫かれオレは、瞳孔が開くということがどういう事態なのか、自分のこの身体で今初めて理解した。

大好き、だと?

生んだ子を捨てておいて、大好きってか!

逆上。この宇宙で一番の嘘つきに、頭が熱くなり、全身がブルブル震え始めた。

死ね!死ね!死ね!
このクソやろうめ!

震えて声も出ねー。
通りに引き摺り出したあとは、胸ぐらを掴み、オレの目線の真ん前に持ち上げた。

テメーみたいなのが生きてられるんなら
オレが、…

「よかった。顔が見たかった」

殺気立ったオレに気づいてねーわけねーだろが!

「優しい子に育ってくれてありがとう」

偽善もいい加減にしな、あと3秒で命乞いをしろ、オレはあんたを本気で殺す!

「辛かったね。ごめんね、
ほんとうに、ほんとうに、……ごめんなさい」

通行人の男が肩を叩いた。オレはギロリと睨んだ。
なんだよ、お前が殺られてーのか?

「物騒だなー、君、何やってんだ?」
「あ! 大丈夫です!」
「親子喧嘩ですか? お母さんに暴力は駄目じゃないか」
「いえ、この子は何にも悪くないんです! ご心配おかけしました!」

男は怪訝な顔をして去って行った。

ひと呼吸すると、さっきの勢いを再現できるほどの気力はもう。

真っ白に燃え尽きた。

「じゃ」

スミマセンねー。オレ帰るわ。なんかメンドーになった。
帰ったらまた母さんにグチグチ言われんのな。これがまためんどくせー。

「待って!」

あ? まだ何か用あんの?

「もし。もしも良い子にしてるのが辛かったら!」

オレが? 全然いい子じゃねーよ。

「我慢ばかりしてるのだったら、」

そうだよ。だったら何だよ。

「今すぐ連れて帰りたい!」

◆◆◆

「京ちゃん。電気つけないでどうしたの?」

ここは瑛作さんの家。瑛作さんがお仕事から帰ってきた。

ゆうくんを生んだ里山の家は、……まだ解約できてない。
家賃とか勿体無いのは分かってるけど、折り合いをつけるにはこれが精一杯で。

部屋が明るくなってハッとした。
まだ晩ごはんの支度してない……。

「慣れない歯医者で疲れたろ? 僕のことはいいから休んで。親知らずって、抜いた後が大変なこともあるみたいだから」

うんうん、ありがとう。無言で頷いた。

「痛む?」
「歯の方は大丈夫。先生上手だった」
「歯の方? 他に何かあった?」

瑛作さんは脱いだ上着を椅子の背中にかけて、あたしの正面に座った。

「歯医者さんで、偶然ゆうくんに会っちゃった。大人ぶってたけど、……それもかわいかったよ」
「そう。
いくつになるんだっけ?」
「14才」
「14かあ。僕はそのころ荒れてたなあ」
「そうなの?」
「何ていうのかな、いつもイライラして、とにかく全部気に入らないんだよ。
部屋の壁にボコボコ穴たくさん開けたし。下手したら人を殺しかねないくらいの勢いはあったからね。自分でも頭がおかしくなったかと思って悩んだよ」
「……へえ。今の瑛作さんから想像できない」
「僕も。なんであんなに荒れてたのかなあ、嵐が通り過ぎれば不思議に遠い他人事で」

あたしにはそんな壮絶な反抗期がなかった。

「ゆうくん、優しいの。貧血で倒れそうなとこ助けてくれた。
あたしのこと、知ってたよ。
多分、どうしようもなく憎んでる……」

両ひじをついた手で2つの目を覆った。

「憎むのは母親と思ってるからだろ。思春期ってまさに親離れし始める時期じゃん。母親と自分とはそれぞれ別の人生を歩く人間だってこれを認めるにはかなりエネルギーが要るよ。男って母親大好きだから。
ましてゆうくんは、やっと京ちゃんに会えたんだ。相応の葛藤はあるよ」
「なのに、辛かったら今すぐ連れて帰りたいなんて叫んじゃった」
「ゆうくんは何て?」
「黙って行っちゃった」
「そうか。よしよし。僕がおいしいご飯作るから。待ってて」

瑛作さんは袖を捲りながらキッチンへ行った。
今夜はまるであたしの親みたい。ありがとう。

甘えさせて貰うことにして、ゆうくんに遺した根深い傷創にもう一度慙愧堪えない両の目を覆った。

◇◇◇

タダイマー
言えるか。どこに帰ろうが、言うだけで反吐が出そうだ。真っ白に燃え尽きたはずの感情には火種が燻っていた。

現在進行形で、何をどうすれば木室京子が無惨に死ぬか、のバリエーションを更に増やし、懲りずにシミュレーションしている。

オレはアホか。
いや、アホはあいつだ。
「連れて帰りたい」ってなんだよ。

目の前では母さんが仁王立ち。

あ? オレ超絶ご機嫌斜めなんすけどー。
どいてくんねーとボコるよ?
それともあんたもアホ?
母さんの小言が始まった。

「歯医者から電話かかってきたわよ!」

黙れ
虫の居所悪いんだ

「保険証も置きっ放しでいったい何考えてるの!」

さあな
あんたにカンケーねーだろ

「中3にもなって歯医者から逃げるなんて! しかも、やだ、肘のところ、服破れてない? いつまで小学生のつもりよ! チビ!」

チビだと?

ブンッ

オレの拳が目の前のアホの顔の真横スレスレで空を切った。

確かにチビだが視力とスピードとバネはレベル高いんだぜ。
見下しやがって、あんたこそ

「母親ヅラしてんじゃねー!」

部屋のドアを破壊する勢いで閉めた。

母親でもない奴に命令されてたまるか。
今さら驚くなよ。元々オレは腹黒い人間だったんだ。

以降オレは部屋にこもる時間が増えた。母さんとはロクに口を聞いてない。早いもんで淡々と高校生になって、淡々とバスケやって、

料理なんて興味も無くなった。
あの女に出くわすことは2度とねーよ。歯医者クソ喰らえだ。

挙句に3年の先輩引退後もAチームに選ばれず、くさって帰宅する高校2年の秋のこと。

「ユッキー! 久しぶり!」
「あー」

さよみちゃんだ。雰囲気が随分明るくなったようだ。高校デビューしたのか。でも久々の再会に感動どころかテンション激落ち。こっちは合わす顔ねーくらいヤサグレてんだけど。

「バスケ続けてるんだってね。すごーい」
「すごかねーよ。この時期でレギュラー落ち。ゼツボー」
「ハイレベルな高校なんだー?」
「ずりーんだよ、デカいヤツばっかレギュラーに選ばれてんの」
「ユッキーだってずっとバスケやってんだもん。まだまだ背、高くなるよ」
「お前バカ? バスケやるからデカくなんじゃねーよ。身長は遺伝。生まれつきデカいヤツがバスケに集まってくんの」
「じゃあ尚更よ。ユッキーのお父さんとお母さんも背が高いじゃん」

ため息をついた。
コイツ、こんなバカだとは思わなかった。彼女にしなくて正解だよ。

「だから、オレの遺伝子には背が高くなる因子がねーんだよ」

まーだハテナがついているようだから、丁寧に吐き捨ててやった。

「親父には全然似てねーし、遺伝子受け継いだお袋はチビなんだよ!」

わかったか。もうついてくんな。

「待って! せっかくだからちょっとうちに寄って? いい本がある」

なんだよ、その大胆さ。見違えたぞ?

「へえ」

正直興味ねー。
マンガは足りてる。そこそこモテる。
お前レベルのかわいい子は高校にはゴロゴロいる。

黙って従ってやるのは、家に帰ってもクソ面白くねーからだ。

気のねー返事だけして、さよみちゃんのマンションについて行く。
知らねーだろうが部活バッグって結構重いし全部投げ出して早く自分の部屋で寝てー。

それなのにノコノコ行ってやってんだからな。男を誘うならお前自分でちゃんと責任取れよ?バカやろう。

「ただいまー。お母さん、そこで神保くんに会ったから、呼んじゃった」
「オジャマシマース」
「神保くんって、あら中学の時の? こんばんは。今どこの高校なの?」
「お母さんうるさい。部屋に行こ。こっち」

どこんちもめんどくさいみたいだな。

「ほら見て。ジャーン」

得意げに見せびらかすのはカントリーケーキの本だ。ちょっとオシャレな表紙のムック。

「どれ食べてみたい? この本のレシピで作ってみたいから、決めて?」

アナフィラキシーで入院したヤツが、嬉しそうに持ってるのが不思議なスイーツ本。

「さよみちゃん、ケーキ食べれんの?」
「大丈夫」
「ふーん。見せて」

料理本、めくるの久しぶりだな。
オレに作って食わそうという魂胆ミエミエのさよみちゃんより、コッチに再会することの方が、そわそわする。
著者は、

やっぱりそうきたか。

「マクロビのレシピか。なあ、オレの母親ってさ。本当はこの木室京子だっつったら、どう思う?」

妄想呼ばわりしたら、さよみちゃんとは縁を切る。そう思って聞いた。

縁を切って、誰とも縁を結ばない。

そうやって試そうとするのは、本当は、さよみちゃんには分かって貰いたいと願ってたからだろう。

でも期待し過ぎた。
ほら見ろ、ポカンとしてる。
もういいや。オレ帰る。疲れてんだって。

「じゃ」
「会いに行く? 一緒に」

は?

「行ってみようよ。この人の料理教室やってる場所、どっかに書いてあったし」

お前はなんでそんな簡単に決断できんの?

「どのページだったっけ。えっと。…
ユッキーのお母さんだから、とかじゃないよ、この人が料理してるとこ、じっくり見てみたいもん」

ああオレだって。
あのまま会えないのは魚の小骨が喉に刺さったような感覚だった。
本当に本当は、もう1回ちゃんと会って、オレを捨てた理由があるんならちゃんと説明してほしかったんだって。
オレを納得させてくれって。どっか望んでいて。

「さよみちゃんさー、本気で言ってる?」
「ん? 割と」
「よく喋るようになったよな」
「ユッキーはしゃべらなくなったね」

分かるよ。気を遣って生きてんじゃないかって言いたいんだろ? お前がそうだったもんな。

「オレなんて、ちょっと前までさよみちゃんのこと守ってやってた気になってたよ」
「守ってもらってたよ」
「木室さんにかなりヒデーことしたんだけど。会ってくれるかな」
「大丈夫じゃない? 私もついてるし」

ナマイキだな。お前に何ができんだよ。
でもさよみちゃんが隣にいれば、それだけでクサってないでカッコつけてちゃんと言えると思った。

……あんときはゴメンナサイ

話を聞くんなら、そっからじゃないと。

なあ、木室さん。

しばらくが過ぎ、キッチン藤野の料理教室を見学させて貰うことができた。

教室の後、木室さんはオレが生まれた家に連れて行くと言う。

移動中オレはひと言も声を発さなかった。
さよみちゃんも挨拶をひと言ふた言
木室さんも必要な事だけを。

小さな家の前でオレたちは車を降りた。

「先に、隣のおばあちゃんに声かけてくるね?」
「木室さんのご実家なんですか?」
「ううん? ここに越してからずっと、何かと気にかけてくれたおばあちゃんなの。まだまだ気丈に一人暮らしされてるから、帰って来るたびに顔を出してて」

隣のおばあちゃん家は、本格的に古い家だ。

「明石沢さーん、京子ですー、ただいまー」

「明石沢さーん」

返事がないから、と庭に回ってったので、オレたちも何と無く木室さんの後に続いた。

庭には随分年とったばあちゃんが、丸くなった腰で杖を空に向けて、1個だけ残った柿を採ろうとしている。
まるで作り話みたいな田舎の生活が、リアルに目の前で動いていた。

「おばあちゃん、三岳さんに頼めばいいのにー」
「いや全部とれと頼んでおったのに、取り残しを見つけてしもうての。
こうやって、ヨイショ、届きそうで届かんのが、ホラ、もどかしいもんで、ヨッ」

見兼ねた木室さんが手を伸ばしてジャンプしたが、まあ届かない。

ここはバスケットボールプレイヤーの出番だろうな。

「オレ、多分取れますよ」

真下から垂直跳びして柿を掴んでもぎ取る。
楽勝じゃん。

「ゆうくん、すごい……」

いや、普通だって。

「ゆうくん?……それはそれは」

木室さんは黙って頷いた。

「よう顔を見せてくれんか? あ、甘柿たんとあるから持っておいき」

その様子を見て、木室さんは少し気兼ねしたようだが、自宅の空気を入れ換えてくるから、とオレたちを残し慌てて行ってしまった。

程なくしてばあちゃんが戻って来た。
納屋から抱えてきたカゴいっぱいの柿、あんな量どうすんだよとさよみちゃんと目を合わせた矢先、ばあちゃんがドサドサ落っことして、おいおい、ばあちゃん、曲がった腰で無理すんなっつーの。手伝うから!

悪い悪いとちっとも申し訳なくなさそうにばあちゃんは喋る。

「京子ちゃんに珍しくお客さんと思えばやっぱりゆうくんじゃったねー。
ほんに大きくなったもんじゃ」
「オレのこと知ってるんですか?」
「おー、よーく知っておるよ。
こーんな小さな赤子じゃったあんたを京子ちゃんがいっつも大事に大事に抱っこしておったんじゃもん。
ゆうくんも、抱っこ抱っこー言うてそこらの花やら実やら親子で指さして、まー、ほんにかわいらしかった。
独りもんのばばあにもひ孫が出来たみたいでな、そりゃあ毎日こっそり楽しませてもろうたよ。
……
鬼が来るまではな」
「鬼?」
「あんた方のばあさんには、あん時確かに鬼が取り憑いておったんよ。
由緒ある苗字を残さんとならん、
自分の生きとるうちに跡継ぎをこしらえんとならん、
フラフラと我が家を顧みのうて、うつつを抜かす息子を取り戻さんとならん、
その強ーい念が鬼になって、ゆうくんを連れ去ってしもうた。
でもな。
あんた京子ちゃんを恨んじゃいかん。
いい子じゃから。
あの頃京子ちゃんには味方がだーれもおらんかった。このばばあもただ見ておるだけで、助けてやれんかったんじゃよ。

……おやおや。
でもまあ、そんなにしんみりしなさんな。今はしっかり味方がおるよ?
ほら。あそこ」

しわがれた指で指し示した先には、いつやって来たのか男の人が向こうの林道からニコニコとこっちを見ていた。

隣の家から木室さんがバタバタと戻って来た。

「みんな待たせちゃってごめんなさい!」
「遅かったのー」
「カメムシが窓にたくさんいてお掃除を」
「そう言やあ、ゆうくんは虫、大の苦手じゃったなあ。はっはっはっ
京子ちゃん、ばばあはもう待ちくたびれて寿命尽きるからの、ペラペラしゃべってしもうた」

悪戯っぽく舌を出したばあちゃんは、あと100年くらいは生きそうだと思った。

寂れた電車の駅に着く。

木室さんも相手の杉本さんという人も、都内の家まで送ると言ってくれた。でも駅までで充分とお願いして、そこで別れた。

電車の本数マジかよ、少ねー

当分待ちぼうけだ。
周りに大した店もない。さよみちゃんにペットボトルのお茶を手渡した。

自販機とチラシしかない待合室。

「ヒマだ、もう改札抜けようぜ」

ホントに動くのか自動改札。

眠そうな駅員1人。

だーれもいないホーム。

色あせて薄汚れた椅子。

この線路、本当に新宿まで繋がってんのか?

お土産にどっさり持たされたばあちゃんの柿。

籐のカゴに何だっけ、ナントカ織という手織りのクロスを敷いて詰め込んでくれたのはいいけど、

コレ、どんな顔して持って帰ればいいんだよ

「このクロス、素敵だよねー。縦糸を『芯』にして織るから、神《シン》と心《シン》を包み込んだお守りだって。
みんな優しい人たちだったなー」
「オレにすればずりーし。怒れねーじゃん。みんな口を揃えていい人、いい人ってよ」
「また会いたくなったんじゃない?」
「いや、もう……
これで良かったんじゃね?」
「ふふ。ねえ、虫、今でも苦手なの?」
「……好きじゃねーよ」
「私のことは?」

は?
何なのコイツ。単刀直入過ぎ。

「嫌いじゃねーよ」
「嫌いじゃないって?」
「好きってことさ。
とか言わせるな、エヴァの名セリフ。
お前、ホント言うようになったな」
「だって、さっきのユッキー見てたら、私も本音聞きたいかなあって」
「ふーん。そんなにオレのこと好きなんだ?」
「……」
「何、オレには言わせといて赤くなってんの?」
「だって」
「こっち向けよ」

もじもじしてるから、顎クイとかいうやつをやって振り向かせたら、

ますます赤くなった。

ひなびた駅のホームに風が通る。ここは男子高校生たるもの、初めてのチューの絶好のシチュエーションだろ。

と思って、激しく後悔した。

歯医者が先だよ。

静寂を破ったのは、線路を猛スピードで駆け抜ける貨物列車。

車輪の音が去ってしまう前にさよみちゃんの前髪をかき上げ、額にそっと口づけた。

なお、
「ゴシゴシ拭き取るなよ? 地味に傷つくから!」
という台詞は作者の取り越し苦労だった。



ーつづれおり・完ー



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