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6月の祝日

「今日は特別な日だ。休めって言ったろ。早く家に帰ってあげなさい」

課長は有り得ないほど優しく肩をたたき、休日出勤した私を門前払いにした。山積みの仕事はすぐそこだというのに、だ。

「新婚さんなんだから」

だから出社してきたのよ、お察ししろ。しかも何、エロい目でその歯の浮くような台詞。
改めて今日という日にゾッとした。

「じゃあ、失礼します。課長も良い休暇を」
「僕? 僕はもう、ほらアレだから。アレはもう。あはは」

新たな祝日6月1日くそくらえ! 国家ぐるみのハラスメントに私の胸くそ超悪い。
6月に祝日できて、そりゃ確かにうれしいよ? ありがたいですよ?
でも海の日、山の日、まんをじして今年から施行されるのが、「恋の日」??
この国のネーミングセンス、超寒波。

「ただいま」
「シよ?」
「帰って早々に言うこと?」
「こんな日は帰されるに決まってるだろ。新しい国民の休日は妥当だと思うけど?」

猫を抱き上げた夫は清潔な部屋に似つかわしくない笑みを浮かべた。

「人間にも発情期が必要だって」

そう、6月1日は祝日になった。大手企業なんてあと5日間、ブロンズウィークなる呼び名で休暇にするらしい。けどこれじゃあまるで強制発情ウイークだ。
何が少子化対策。ふざけんな。

東京オリンピックの年に生まれた私にすれば、ブロンズ色はゴールデン、シルバー、に続けたメダルの色の、負の遺産《レガシー》。
納得してない私をよそに、夫はネクタイを緩める。

「ねえ、そんな気分じゃ…、私はもっと」

夫はネクタイで私を後ろ手に縛った。

「何するの? え?」
「結構楽しめるらしいけど?」

ほら、何が「恋の日」だ。
いっそセックス奨励記念の日って名前の方が納得できる。互いの性癖もろ出しの。

「あれ? 気分上がらない?」

夫は慌ててアプリを立ち上げ、マニュアルを検索している。
泣けてきた。ロボットみたいな悪趣味男。
なんでよりによってこんな男と強制結婚させられたんだ。

「あー。やっぱ無理やりは駄目なんだって。ごめんごめん」

ネクタイがほどかれた瞬間、もう外に飛び出していた。この世の中どうなってんの! なんでこんな酷い目に!

ところが夫から逃れたと思ったのは束の間、街の中は既に異様だ。祝日ムードに地下から湧いて這い出てきた男たちが、パートナーを求めおどろおどろしく蠢いている。

ヤバイよ。こんな日に手ぶらで街を歩くのは超無謀、お相手を探してますと勘違いされるのがオチだ。
…と思ってる間もなくビル陰の路地に引き込まれてしまった!

「んーっ! んーっ!」
「騒ぐな」

ジタバタするも口を押さえられている真横、サニーサイドストリートには男たちのデモ行進が近づいてくる模様。

コはクニのタカラだー!
タカラダー!
オンナたちはセイをカイホーしろー!
カイホーシロー!
ヨびサませよ、ハツジョーキー!
ハツジョーシロー!

やだやだホント気色わる。民主主義にあやかって一様に叫ぶ彼らの瞳は死んでいる。
やがて行列が過ぎて行くと、男の手は私を解放した。

「ケホッケホッ…助けてくれたの? それとも」
「あんた、モジュール構成定義をまだ書き換えてないのか」
「モジュール…定義を? まさか」
「そうか、でもよかったな。リビジョン0《ゼロ》でよくもまあ今まで無事に」

男は自分のヘッドホンを取り出し私に装着した。
カシャカシャ音はトランスミュージックの類いだ。夫が好んで聴いている。

「来年はベビーブームかもな」

私は答えなかった。
得体の知れない不安を払拭するために、音楽を従えたガイド音声に集中する。

(現在の不安の概念を構成する全てのモジュールを削除しますか)

「はい」

思わず宙に向かい返事をした。データ量が多いのだろう、少し時間がかかったが、やがて気分が落ち着いてきた。

「恋の日だなんて設定が、大げさよね」

世の中騒ぎ過ぎてる。それだけ。
わざわざ祝日にしなくったって、恋なんかいつでもできること。
今どきの若者はーって根回しされなくったって、私たちはちゃんと考えてる。みんな大げさよー。

(現在の大げさを構成する全てのモジュールを削除しますか)

「…ちょっ…待…」

不安がにわかにカムバックした。思考にリンクするAI音声に、つい流されてしまってるじゃないの。
感情を簡単に削除するこんなモジュール構成コントローラなんて、今世紀最大最悪、悪魔の大発明だ。

「へえ。ほんとに依存してないのか」
「当然でしょ、不安を忘れたら身を守れないもん」
「俺もだよ」
「私を試したの?」
「人間かそうじゃないかの見分け方としては、手っ取り早くて」
「ひど…」

オリンピック開催以降、治安悪化対策の主軸として開発されたアプリケーション「モジュール構成コントローラ」は、本来犯罪者の悪感情を削除するのが目的だったはず。
キーワードを指定するだけでそのワードを構成するためにぶら下がる感情を、一括削除できてしまう。
その廉価版がポータブルヘッドホンとなり、今じゃ一家に一つ、一人一つの普及ぶり。

もちろん我が家にもあるんだけれど、メカに疎い私にはセッティングが厄介で。
それに悪感情を手軽に削除した快適な生活。
なーんてうたうけど、このアプリは「削除依存症」なる人を生み始めているそうじゃないか。
廃人の山を作るのも、政府の思惑なわけ?

「そういや恋の日だっけ? 今日みたいな日は一人だとどこも危ういよなあ」
「男の人でもそう?」
「あからさまに発情した女なんて狂気。逃げるのに苦労してんの。今日一日付き合ってよ、人助けと思って」

まあねえ。私も家に帰ったところで待っているのはアレ。

「いいよ。でも変なことしないでよね」
「もちろん。恋の日に強制された恋なんて、俺だってごめんだし」

かくして利害一致した私たちは、日の当たる通りに戻った。

デモ行進の去ったサニーサイドストリート、手を繋いだカップルがちらほら散歩してたりして一見のどかな休日。

でもアパレルショップのトルソーかと思ったらリアル店員さんだし、改めて見るとまるで精巧なアンドロイドばりに働く人間たちの多いこと!

「あの人ら、何の感情を削除したんだろな」

やっぱり削除したのか、だとしたら少なくとも仕事にありがちな不平不満を、みたいな?
もしかしたらモジュール構成コントローラに依存していない人間を、探す方が難しいかもしれない。

「え? 何すんの!」
「バカもっとくっついてろよ」

ふいに肩を抱き寄せられてムッとしてたら、パートナー探しに取り憑かれた一人の男が舌打ちしてすれ違っていった。気を抜けない。

「で、今日は? 彼氏とケンカでもしたわけ?」
「夫よ。でも、…」
「強制されたクチか。俺たちポストオリンピックジェネレーションの意思なんてもう…」
「きゃっ」
「どうした?」
「そこのオジサン、若作りなカーネルサンダースだなあって思ってたらさ、いま動き出して超びっくり。ほらほら角の派出所のポリスマンもカーネルおじさんそっくりで敬礼。あはは、くすぐってこよっか」

バカやめとけ、と頭を撫でてくれた男は小さく呟いた。

「マジそんなかわいいこと言うの、やめて?」

私は自分が人妻だということを忘れそうになっていた。

「…言ってないよ…」

夫を忘れてこの人と、でも都合の良くないとこだけ削除するなんて器用なこと。

「やっぱり私もあなたも帰った方がいい」

立ち止まり、肩にかけられていた男の腕をそっと外した。

「待てよ!」

手首をひかれ、勢いで抱きついてしまった。

「ごめんなさい、恋の日なんて設定のせいで、私どうかしちゃってた」

これが案外心地よくって、離れがたい自分がいる。

「俺、また会いたいんだけど」
「そしたら?」
「次は帰さないぞ。だからあのアプリには…絶対手を出すな」

恋の日なんて正直疎ましかった。でも恋の日のおかげで、分かり合える人に出会えたかもしれないと思った。

「あなたもね」
「一年後の今日。俺、俺はここであんたを待ってるから!」

振り向きたくてたまらなかったけど、そのまま手だけ振って帰宅した。規格品じゃない恋のモジュールを、スローにスローに温めよう。そしたら一年後の今日、もしかしたら。

恋の日に弾む気持ちとは裏腹に、強制結婚の解消にはそれ相応の社会的制裁があるのも知っている。それでも夫には別れを告げよう。夫とはどうしてもできない。恋したこともないままで、今後も恋することはないだろう。だって私たちは期待するものが違い過ぎる。

「何…これ…」

飛び出してから半日も経っていないはずなのに、ついさっきまで清潔だった部屋の中が荒れていた。
猫は部屋の隅で毛を逆立ててガタガタ震えている。結婚式のフォトフレームが割れ、ダイニングテーブルごとひっくり返って皿が割れ、瓶が割れ、赤いワインのしぶきを浴びた本棚もクローゼットもゴミ箱もめちゃくちゃだ。白い体液の入ったゴムまでもが白い壁に沿って落ちている。

「……!」

そんな部屋の真ん中でポツンと立ちすくむ夫の耳からは血が流れ、装着したヘッドホンからは大音量のトランスミュージックがここまで漏れている。

(全ての感情を削除しますか)

「ま…待って! だめ! 聞かないで! 返事しないで!」

この人は、何を!
駆け寄るうちに、うつろな夫は宙に向かって「はい」と呟いた。

「こんなのガラクタよ! 操られないでよ!」

悪魔のヘッドホンをかなぐり捨て、夫の意識を覚まそうと肩を激しく揺さぶった。

カクンカクンと首だけ揺らす夫は目も合わさず、ただ声を漏らした。

「あーこわれたー」

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