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【青森県八戸市】一度失われ、再び舞い戻った八戸市美術館の「美」と共に八戸の美を鑑賞する

 2024年の3月のある日、青森県の八戸はちのへ市にて衝撃的な事件が起きた。

 八戸市美術館から「美」が失われてしまったのだ。

事件が起きた八戸市美術館

 八戸市美術館は八戸市の中心街にある美術館だ。すぐ近くには八戸市役所がある他、さくら野百貨店八戸店のような商業施設や全国でも珍しい公営の書店である八戸ブックセンターや地域観光交流施設のはっち、そして屋台村みろく横丁に代表される数多くの飲食店が立ち並んでいる。
 日中は近隣で暮らす人々、夕方は学生や近隣のオフィス帰りの人々、そして夜は美酒と佳肴に舌鼓を打つ地元の人々や観光客で賑わっている。
 ここ八戸市美術館も、ベンチや広場が整備され休日にはキッチンカーがやってくる市民の憩いの場所となっている。

 しかしこの日、八戸市美術館のコンクリート製の看板に取り付けられていた、ステンレス製の「美」の文字が消え失せてしまったのだ。

かつて「美」が失われた八戸市美術館の看板。
2024年6月現在「美」は再び我々の前に姿を現している

 2024年初頭の冬は例年にないほどに雪が少ない冬だったにもかかわらず、この「美」が失われる少し前には八戸にこの冬最初で最後の大雪が積もった。そのため、美術館の人々は「『美』は雪の中に埋もれているかもしれない」と考えた。しかし雪が溶けても「美」が姿を現すことはなかった。

 こうして、八戸市美術館から「美」は失われた。しかしその喪失は決して永遠のものではなかった。館長は「美」を印刷した紙をスチレンボード (※)に貼り付けるとそれに合わせてカッターで切り、色を塗って美術館の看板に貼り付けた。
 館長は自らの手で「美」を作り出し、美術館に「美」を取り戻したのだ。

※建築模型などを作る際に使われる発泡スチロールのボードの一種

 このスチレンボードの「美」は新たなステンレス製の「美」が再び作られるまでの42日間、八戸市美術館にあり続けた。
 しかし役目を終えたスチレンボードの「美」が打ち捨てられることはなかった。
 仮初の「美」は美術館の新たな展示物の仲間入りを果たしたのだ。

八戸市美術館の中に展示されている「美」

 北国の春を若干騒がせた騒動の後、市民からは「せっかくだからこの『美』をお土産にしたい」という声が上がったらしい。
 そして現在、八戸市美術館のミュージアムショップでは手頃なサイズに切ったスチレンボードと「美」が同サイズに印刷された紙、そしてこの騒動のあらましを説明したチラシが同封されたものが数量限定で販売されている。

もはや「美」は眺めているだけのものではない。
我々が自身の手で作り出すものとなった

 SNSでも話題になったこの「館長の美」制作キット。
 ついに先日、これを手に入れることができた。
 これを元に自分の「美」を作り上げようと思う。

ここから「美」の創造が始まる

 制作に必要なのはカッターとカッターマットと金尺、そして油性ペンなどの塗料、そしてテープだ。
 金尺はL字のものが指定されていたが、手元になかったのとホームセンターを見に行ったら思ったよりもいい値段がしたので金属製の別の定規で代用した。
 また、理由は後述するがカッターについてもデザインナイフよりもカッターナイフのほうが良かったと思う。

セットの中には2つの「美」とスチレンボード入っている

 ここで今更気づいた。この「美」は上下に分断されている。見返してみると元々のフォントがそうなっている。
「これら自分が求める『美』の形ではない」
 それに気づき2秒ほど迷った後に、自身の求める「美」を追求するためにあえて「館長の美」を解体し再構築する道を選んだ。

再構築の後にスチレンボードに貼られた「美」。
果たしてこれは「八戸市美術館の『美』」と呼べるのか。
疑念は残るが、後悔はしていない
そしてある目的のために下に少し描き足す。
底辺をスチレンボードの底辺に揃えたほうが良かった
切り出された美。
あまりにも不恰好、しかしこの手で作り出した「美」だ。
スチレンボードを切るのは大学の卒論のための実験以来だが
記憶以上に切りにくく難儀した。
デザインナイフの刃の長さでは
厚みのあるスチレンボードを切るのは難しい

 さて、あとは色を塗れば完成なのだがこの「美」はある前提の下に成り立っている。
 美術館の看板に貼り付けられることだ。
 このスチレンボードも裏面がテープになっており、貼り付けることが容易な設計だ。

美の裏側

 しかし私が求めている「美」はどこかに貼り付けるものではない。
 そこでホームセンターでスチレンボードを購入し、この「美」に合わせた大きさの「美」をもう1つ作ることにした。

描かれた「美」の輪郭
切り取られたもう1つの「美」
貼り合わされた「美」
油性ペンで着色された「美」
  そして、この「美」に合わせた土台を作る。
スチレンボードを長方形に切り出し
出っ張りに合わせた穴を開ける
そして出っ張りを土台の穴に嵌め込めば……
完成した

 自立する「美」を作り上げることができた。「館長の美」と比べればあまりにも不恰好だが、まさに求めた「美」だ。
 この「美」と共に八戸の街を駆け、その美しさを讃えようじゃないか。

まずやってきたのは蕪島

 蕪島かぶしまは世界的にも貴重な、人間の集落近くのウミネコの繁殖地だ。ウミネコは東アジア全体に広く生息している鳥であるが、繁殖地のほとんどは人里離れた断崖絶壁だ。しかし蕪島があるのは集落の目と鼻の先。現在は徒歩で向かうことさえできる。
 春になると蕪島を訪れるウミネコ達は古くから弁財天の使いとして大切にされており、現在も初夏にはその雛の姿を驚くほど近くで目にすることができる。
 蕪島の頂上にそびえる蕪嶋神社の赤と天地を舞うウミネコの白、そして豊かな深い青色の海。間違いなく八戸市を象徴する「美」だ。

まごうことなき美である
ハマナスの花は終わりかけだが
僅かに残った花から芳香が流れてくる

種差海岸は八戸市から隣町の階上はしかみ町にかけ連なる岩場、砂浜、天然芝が続く海岸だ。蕪島も厳密には種差海岸の一部に数えられる。
 みちのく潮風トレイルの一部でもあり、ウォーキングコースも整備されている。
 八戸の歴史と様々に表情を見せる種差海岸。自然の営みと人間の暮らし双方の様々な姿が表しているのはまさしく「美」だ。

これもまた、まごうことなき美
特に工学的な分野だと美を追求した結果でなくとも
合理性を追求すると勝手に美しくなってしまうと思っている

 八戸鉱山は通称八戸キャニオンは呼ばれる、石灰石の露天掘り鉱山だ。
 八戸市の郊外、階上はしかみ町との境界にあり、1970年から採掘が始まったここは現在、地上に作られた場所で日本一標高が低い場所であり「日本一空が高い場所」として名を馳せている。
 石灰石はセメントや漆喰の材料になるほか、製鉄にも欠かせない重要な資源であり日本が完全に自給している数少ない鉱物資源の1つでもある。
 展望台があり遠くから見学することもできる八戸の観光資源の1つだ。この白亜色の階段。間違いなく「美」だ。

山の中にあるのでそこらじゅうから小鳥の囀りも響いている。
これまた美である
美は五感で感じ得るもの。
ならば味覚の美もあって然るべきだ

コッペ田島は関東地方を中心に展開しているフランチャイズ店だが、2024年6月現在東北地方で唯一出店しているのがここ八戸市なのだ。
 4月2日にオープンして既に2ヶ月以上経っているが、見事に八戸市民の胃袋を掴み連日長蛇の列をなしている。
 ここのコンビーフポテトも美だろう。だってものすごく美味しいのだから。

美食という言葉があるのだから
当然美味しい食べ物だって美だ

 そして「美」は生まれた場所にして、八戸の美が集う場所へと立ち戻る。

「美」、ここがお前の生まれた場所だよ
「館長の美」と「狩野ミチの美」のコラボ。
自分で作ってみてこそ、館長の技術の巧みさがわかる

 訪れた際の八戸市美術館では、八戸を中心に活動するアーティスト達によるプロジェクトエンジョイ !アートファーム !!と多彩なジャンルで活動していた文化人である大久保景造を紹介した展示であるコレクションラボ007 大久保景造と八戸文化、八戸市美術館に収蔵されている展示品を様々な視点で解説する展示室の冒険が開催されていた。

エンジョイ !アートファーム !!は9月1日まで開催中。
入ってすぐの広間に展示されている作品達と
作品を前に話をする周辺地域の人々。
まさに開かれた美術館だ
さすがは美術館。美が飽和している。
「美」も心なしか嬉しそうに見える
コレクションラボ007 大久保景造と八戸文化は7月8日まで。
風景画からモダンアートにとどまらず
作詞や雑誌の編集まで幅広いジャンルで八戸で活動していた
まさに文化人だ
大久保景造の描いたモダンアートの数々。
紛れもない美だ
そして24日まで行われている展示室の冒険。
これが非常に面白かった

 展示室の冒険は例えば同じ画材を使う近い作風の画家を並べてタッチなどを比較させたり、特定の場所を描いた絵のモチーフとなった場所を地図帳で探させたり、ブロンズ像に (勿論学芸員の助言の下、ゴム手袋と薄い布手袋をつけて作品を保護した上であるが)触ることができたりと、訪れた人が作品に対して自ら能動的にアプローチができる企画展であった。
 全体的にかなり面白い試みだったのだが、中でも面白かったのがこの「森のダンジョン」だ。

木に見立てた細長いパネルの前に
アルファベットが振られた作品が1つずつ展示されている
作品のタイトルなどの解説は裏を見ないとわからない。
見る人は先入観のほとんどない自分の中の作品への認識を
持ってから解説を見ることができる
また足元にヒントとして、特定の要素が近しい
他の作品のアルファベットが書かれている
勿論展示されているのは絵画だけではない。
普段であれば比較しえない様々なジャンルの作品を比較し
その特徴を改めて捉えることができる
作品や建物だけではない、展示方法まで美だ。
美術館はあまりにも美に溢れていた

 さて、今回の騒動を調べていて印象的だったのは、関係者は誰もが消え失せた「美」の行き先に無頓着だったことだ。
 歯に衣着せぬ物言いをしてしまえば起きているのは公共施設の破壊と盗難なのだが、それに対する憤りや悲しみを訴えるよりも「ではここからどうするか」を優先し、行動した。その結果行き着いた先はどこかユーモラスで、なんとなく温かな結末だった。

 勿論それが必ずしも良いこととは限らない。仮に今後また「美」が勝手に取り外されて無くなったとしたら、今度はいよいよ笑い事では済まなくなってしまうだろう。 
 しかしこの一連の騒動は確かに目の前で起きた事実を素直に受け入れ、そこから立ち上がることの大切さを思い起こさせてくれた。そしてこの事件が起きた場所が偶然美術館で、失われた文字がこれまた偶然「美」だったからこそ、このような顛末を迎えそして話も広まったという面も大きい。

「芸術は心を豊かにする」という。果たして本当にそうなのか、心に余裕があるからこそ芸術を愛でることが出来るのではないかと思うこともある。
 しかしこの出来事は、聞いた人の心にほんの少しだけ余裕を持たせてくれるだろうし、そういった余裕を持つことが心の豊かさなのかもしれない。
 だとするとこの美術館に「館長の美」が展示されているのは、それがまさしく芸術の体現であるからなのかもしれない。

八戸市美術館
住所 : 青森県八戸市番町10-4
開館時間 : 10:00〜19:00
休館日 : 毎週火曜日
入館料 : 展覧会ごとに変わるためサイト参照
アクセス : 八戸駅からバスで約20分。最寄りバス停は三日町または八日町
備考 : 各種割引あり。未就学児、ならびに周辺町村(三戸町、五戸町、田子町、南部町、階上町、新郷村、おいらせ町)在住の小中学生は入館無料

八戸キャニオン (八戸石灰石鉱山)
見学可能時刻 :  8:00〜16:30
     ( 11:30〜12:30は発破のため立ち入り禁止)
閲覧料 :無料
アクセス : 八戸駅から車で30分
     最寄りバス停は「神子沢」バス停
     下車徒歩10分
備考 :年末年始とお盆期間は休業のため立ち入り不可

コッペ田島 八戸根城店
住所 : 青森県八戸市根城7丁目 4 -30
営業時間 : 9:00〜19:00
アクセス :八戸駅から車で約15分
             最寄りバス停は「根城7丁目」

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