【青森県八戸市】一度失われ、再び舞い戻った八戸市美術館の「美」と共に八戸の美を鑑賞する
2024年の3月のある日、青森県の八戸市にて衝撃的な事件が起きた。
八戸市美術館から「美」が失われてしまったのだ。
八戸市美術館は八戸市の中心街にある美術館だ。すぐ近くには八戸市役所がある他、さくら野百貨店八戸店のような商業施設や全国でも珍しい公営の書店である八戸ブックセンターや地域観光交流施設のはっち、そして屋台村みろく横丁に代表される数多くの飲食店が立ち並んでいる。
日中は近隣で暮らす人々、夕方は学生や近隣のオフィス帰りの人々、そして夜は美酒と佳肴に舌鼓を打つ地元の人々や観光客で賑わっている。
ここ八戸市美術館も、ベンチや広場が整備され休日にはキッチンカーがやってくる市民の憩いの場所となっている。
しかしこの日、八戸市美術館のコンクリート製の看板に取り付けられていた、ステンレス製の「美」の文字が消え失せてしまったのだ。
2024年初頭の冬は例年にないほどに雪が少ない冬だったにもかかわらず、この「美」が失われる少し前には八戸にこの冬最初で最後の大雪が積もった。そのため、美術館の人々は「『美』は雪の中に埋もれているかもしれない」と考えた。しかし雪が溶けても「美」が姿を現すことはなかった。
こうして、八戸市美術館から「美」は失われた。しかしその喪失は決して永遠のものではなかった。館長は「美」を印刷した紙をスチレンボード (※)に貼り付けるとそれに合わせてカッターで切り、色を塗って美術館の看板に貼り付けた。
館長は自らの手で「美」を作り出し、美術館に「美」を取り戻したのだ。
※建築模型などを作る際に使われる発泡スチロールのボードの一種
このスチレンボードの「美」は新たなステンレス製の「美」が再び作られるまでの42日間、八戸市美術館にあり続けた。
しかし役目を終えたスチレンボードの「美」が打ち捨てられることはなかった。
仮初の「美」は美術館の新たな展示物の仲間入りを果たしたのだ。
北国の春を若干騒がせた騒動の後、市民からは「せっかくだからこの『美』をお土産にしたい」という声が上がったらしい。
そして現在、八戸市美術館のミュージアムショップでは手頃なサイズに切ったスチレンボードと「美」が同サイズに印刷された紙、そしてこの騒動のあらましを説明したチラシが同封されたものが数量限定で販売されている。
SNSでも話題になったこの「館長の美」制作キット。
ついに先日、これを手に入れることができた。
これを元に自分の「美」を作り上げようと思う。
制作に必要なのはカッターとカッターマットと金尺、そして油性ペンなどの塗料、そしてテープだ。
金尺はL字のものが指定されていたが、手元になかったのとホームセンターを見に行ったら思ったよりもいい値段がしたので金属製の別の定規で代用した。
また、理由は後述するがカッターについてもデザインナイフよりもカッターナイフのほうが良かったと思う。
ここで今更気づいた。この「美」は上下に分断されている。見返してみると元々のフォントがそうなっている。
「これら自分が求める『美』の形ではない」
それに気づき2秒ほど迷った後に、自身の求める「美」を追求するためにあえて「館長の美」を解体し再構築する道を選んだ。
さて、あとは色を塗れば完成なのだがこの「美」はある前提の下に成り立っている。
美術館の看板に貼り付けられることだ。
このスチレンボードも裏面がテープになっており、貼り付けることが容易な設計だ。
しかし私が求めている「美」はどこかに貼り付けるものではない。
そこでホームセンターでスチレンボードを購入し、この「美」に合わせた大きさの「美」をもう1つ作ることにした。
自立する「美」を作り上げることができた。「館長の美」と比べればあまりにも不恰好だが、まさに求めた「美」だ。
この「美」と共に八戸の街を駆け、その美しさを讃えようじゃないか。
蕪島は世界的にも貴重な、人間の集落近くのウミネコの繁殖地だ。ウミネコは東アジア全体に広く生息している鳥であるが、繁殖地のほとんどは人里離れた断崖絶壁だ。しかし蕪島があるのは集落の目と鼻の先。現在は徒歩で向かうことさえできる。
春になると蕪島を訪れるウミネコ達は古くから弁財天の使いとして大切にされており、現在も初夏にはその雛の姿を驚くほど近くで目にすることができる。
蕪島の頂上にそびえる蕪嶋神社の赤と天地を舞うウミネコの白、そして豊かな深い青色の海。間違いなく八戸市を象徴する「美」だ。
種差海岸は八戸市から隣町の階上町にかけ連なる岩場、砂浜、天然芝が続く海岸だ。蕪島も厳密には種差海岸の一部に数えられる。
みちのく潮風トレイルの一部でもあり、ウォーキングコースも整備されている。
八戸の歴史と様々に表情を見せる種差海岸。自然の営みと人間の暮らし双方の様々な姿が表しているのはまさしく「美」だ。
八戸鉱山は通称八戸キャニオンは呼ばれる、石灰石の露天掘り鉱山だ。
八戸市の郊外、階上町との境界にあり、1970年から採掘が始まったここは現在、地上に作られた場所で日本一標高が低い場所であり「日本一空が高い場所」として名を馳せている。
石灰石はセメントや漆喰の材料になるほか、製鉄にも欠かせない重要な資源であり日本が完全に自給している数少ない鉱物資源の1つでもある。
展望台があり遠くから見学することもできる八戸の観光資源の1つだ。この白亜色の階段。間違いなく「美」だ。
コッペ田島は関東地方を中心に展開しているフランチャイズ店だが、2024年6月現在東北地方で唯一出店しているのがここ八戸市なのだ。
4月2日にオープンして既に2ヶ月以上経っているが、見事に八戸市民の胃袋を掴み連日長蛇の列をなしている。
ここのコンビーフポテトも美だろう。だってものすごく美味しいのだから。
そして「美」は生まれた場所にして、八戸の美が集う場所へと立ち戻る。
訪れた際の八戸市美術館では、八戸を中心に活動するアーティスト達によるプロジェクトエンジョイ !アートファーム !!と多彩なジャンルで活動していた文化人である大久保景造を紹介した展示であるコレクションラボ007 大久保景造と八戸文化、八戸市美術館に収蔵されている展示品を様々な視点で解説する展示室の冒険が開催されていた。
展示室の冒険は例えば同じ画材を使う近い作風の画家を並べてタッチなどを比較させたり、特定の場所を描いた絵のモチーフとなった場所を地図帳で探させたり、ブロンズ像に (勿論学芸員の助言の下、ゴム手袋と薄い布手袋をつけて作品を保護した上であるが)触ることができたりと、訪れた人が作品に対して自ら能動的にアプローチができる企画展であった。
全体的にかなり面白い試みだったのだが、中でも面白かったのがこの「森のダンジョン」だ。
さて、今回の騒動を調べていて印象的だったのは、関係者は誰もが消え失せた「美」の行き先に無頓着だったことだ。
歯に衣着せぬ物言いをしてしまえば起きているのは公共施設の破壊と盗難なのだが、それに対する憤りや悲しみを訴えるよりも「ではここからどうするか」を優先し、行動した。その結果行き着いた先はどこかユーモラスで、なんとなく温かな結末だった。
勿論それが必ずしも良いこととは限らない。仮に今後また「美」が勝手に取り外されて無くなったとしたら、今度はいよいよ笑い事では済まなくなってしまうだろう。
しかしこの一連の騒動は確かに目の前で起きた事実を素直に受け入れ、そこから立ち上がることの大切さを思い起こさせてくれた。そしてこの事件が起きた場所が偶然美術館で、失われた文字がこれまた偶然「美」だったからこそ、このような顛末を迎えそして話も広まったという面も大きい。
「芸術は心を豊かにする」という。果たして本当にそうなのか、心に余裕があるからこそ芸術を愛でることが出来るのではないかと思うこともある。
しかしこの出来事は、聞いた人の心にほんの少しだけ余裕を持たせてくれるだろうし、そういった余裕を持つことが心の豊かさなのかもしれない。
だとするとこの美術館に「館長の美」が展示されているのは、それがまさしく芸術の体現であるからなのかもしれない。