死んだところでゴールはない

「地獄行きだな」
閻魔大王と呼ばれる椅子に腰掛け、書類に目を通す今時の出来るキャリアウーマン風の女性が、僕に見向きもせずにそう言った。
彼女のセミロングに若干だが、角の様な突起物が2本生えている。
 本物だ。
 理由は何となく分かる。
 僕は死んだらしい。
 気が付くと大きな川を、矢切の渡しの様に渡り名前を呼ばれて、ここまで連れて来られた。
 それで目の前にいる、この女性が「閻魔大王」だと聞かされる。
 そして今に至る訳だった。
「地獄?」
「そう、地獄行き。坂本一郎、あなたは地獄行き決定」
 そんな…………。
 僕には全くそんな覚えはない。
 犯罪なんてした事もないし、人を陥れる様な事などした事もない。もちろん人を殺した事もない。
 ハッキリ言って言いがかりにも程がある。
「閻魔様、と言いましたよね?」
「だから何だ?」
 僕は恐る恐る、閻魔大王に理由を聞いてみた。
「僕は一体何をしたんですか?」
 閻魔大王は僕のほうを見もせずに、ただ書類に目を通してこう答えた。
「お前は付き合っていた女性がいただろう?」
 確かに付き合っていた女性がいたが、それはもう1年前の話である。
 それに僕は彼女と、変な別れ方もしていない。寧ろお互いに納得した上で別れたはずだった。何しろ彼女の事情で話し合いをして、僕が仕方なく納得しているのだから、それこそ理由が見つからない。
「すみません、僕と彼女はもうとっくに別れています。それにもう何も関係ありません、それなのに、何でここに来なければならないんですか? もう何も関係ないじゃないですか?」
「いや、関係がある」
 閻魔大王は語気を強めた。
「彼女は妊娠をしていた。彼女の思うところがあったのだろう、坂本一郎には何も言わずに別れを告げた。そして1人で子供を産むはずだったが、流産してしまった。それがお前の罪だ」
 そんな……。
 元カノこと明美が、僕の子供を妊娠していたなんて全く知らなかった。
 何故明美は僕に内緒していたのだろう?
 いやいやいや、それが理由だというのか?
 おかしいだろう?
 僕は明美が妊娠している事を、全く知らなかった。
 この知らなかった事が、罪だったというのか? それによって僕が罪を犯したというのか?
「明美という女性、お前に何故隠していたか分かるか? 分かっているはずだ、坂本一郎」
 それを言われて、すぐに思い出した。
 僕は子供を欲しがらなかった。それが原因で別れてしまったのも事実だった。
 だとすれば僕の罪は、明美が妊娠しているにも拘わらず別れてしまって、僕が知らないところで明美が流産してしまった事、という訳か。
「閻魔様、それで僕は地獄へ行くという訳ですね?」
 僕は諦めが付いてしまった。ここまで来たらもう観念するしかない。
「しかしひとつだけ、天国に行く方法がある」
 閻魔大王が初めて、書類から目を離して僕を見据えた。
 僕はその冷ややかな視線に慄いてしまう。
 一体何を言われるのか?
「坂本一郎、お前がその水子を救い出す。それによってお前は浄化対象となり、天国に行けるだろう」
 生まれる事のなかった僕の赤ん坊を、僕が救い出す? それは、その赤ん坊がこの地獄に堕ちているというのか。
「しかし……その道は険しいぞ? どうだ、やるか?」
 正直迷ってしまった。見た事も会った事もない自分の赤ん坊を、この地獄という世界から助け出すなど僕に出来るはずがない。あまりにも荷が重すぎる。
 だが、僕の意志とは裏腹に、
「はい、やります」
 と勝手に唇が動いた。
「その道は過酷だぞ? それでもやるか?」
「はい、絶対に!」
 僕の心がそう言わせる。
 それはまるで僕の心が、そう決意させている様にも感じた。
「ならば決まりだな」
 閻魔大王は大きな判子を書類に押し付けた。
 そしてその書類を僕に見せた。
「これからお前は明美の水子をこの地獄から見つけ出して助ける事、以上だ」

※※※

 再び僕は川を渡り「賽の河原」という場所にやって来た。
 ここに僕と明美の赤ん坊がいるというのか?
閻魔大王が、
「親子であれば、その水子がお前の意識に反応してくる。謂わばサインだと思え。そのサインを頼りに探し出せ」
 僕にそう説明してきたが、そう説明されても何が何だかサッパリ分からない。
 そして何より「過酷」だという意味も、何を指して過酷なのかが分からなかった。
 賽の河原は薄暗く、みすぼらしい子供たちが石を積んでいる。子供たちが一生懸命石を積んでいるのに、鬼が棍棒を持って積み上がった石の山を破壊していく。
 子供の泣き声が、僕の耳にまとわりついてくる。
 こんな事、あっていいのか? 全ての子供たちを救いたいと思ってしまった。
 見るに堪えないとはこの事だ。
 前に聞いた事がある。
「1つ積んでは父のため。2つ積んでは母のため。3つ積んでは人のため」
 だと。
 それを鬼に破壊され、その都度石を積み上げていく。
僕は死んだというのに、ここまで精神的にくるものなのか。これを見せられている僕は、今本当に「地獄」を体験しているのだろう。
 僕はこれほどの罪深い男なのかと思ってしまうぐらいだ。
 そして今、明美が流産した赤ん坊を僕は探している。
 僕はこの子供たちを見て、酷く心を痛めるが、今そんな事を気にしてはいけない。全ての子供たちを助ける事が、僕に出来るはずがない。助けたいのは山々だ、迷いが生じる場面であるが、今はそんな悠長な事を考えている暇はない。
 薄暗い河原を歩き続けていくと、僕の頭に何かが響いてくる。
 閻魔大王が言っていた、僕の赤ん坊のサインなのか?
 その響きは脳に直接響き渡ってくる。そして確実に近付いている。
 このサインは助けを求めている様にも、叫び声の様にも響いてくる。
 薄暗くも積み石の山の向こうに、何か輝きが見える。閻魔大王の言葉が蘇る。
「サインが近付けばお前の水子が光り輝くはずだろう。そしてお前もその水子に反応してお前も光り輝くだろう」
 その言葉通り、僕の身体が少しずつ輝き始めていく。
 僕はその光に近付いていく。積み石の山の隅に赤ん坊がいる。その赤ん坊が一生懸命石を積み上げている。
 間違いない、明美と僕の赤ん坊だ。
 意識の中に流れ込んでくる孤独感や悲しみが、僕の身体を動かし始める。
 赤ん坊を抱いて、僕は賽の河原を全速力で走った。他の子供たちを尻目にとにかく走り続ける。
 すると背後から地響きと共に、大きな鬼が追いかけて来る。僕は追い付かれない様、懸命に走り抜く。
 しかし僕の背中に激痛が走った。身体がよろけて、赤ん坊を抱え込む様に転んでしまった。鬼の棍棒が僕の背中に当たったのだ。
 大きな鬼が近付いてきて、僕の頭を掴み軽々と持ち上げた。悪臭を放ち、僕の顔を覗き込む。
 ここまでか……。
 いや、諦めるな。この赤ん坊に何も罪はない。
「子供は要らない」と身勝手に考え、明美を傷付け、悲しい事に流産して生まれてこなかったこの赤ん坊を、この地獄で守れるのは僕だけだ。
 赤ん坊を強く抱きしめた。
 その瞬間だった。
 天から光の柱が大きな鬼に向かって、差し込んで来た。大きな鬼はその眩いばかりの光にたじろぎ、僕から手を離した。
 そして目の前で鬼は青い炎に包まれて、跡形もなく消えてしまった。
 一体何が起きたのか、僕には全く分からなかった。
 すると突然、光の柱から閻魔大王が現れた。
「合格だ」
 えっ? 突然の出来事で僕は混乱していた。
「じっとしていろ」
 閻魔大王が僕の背中に手を当てる。不思議と暖かい温もりに包まれて、痛みが軽減されていく。
「その赤ん坊は紛れもなく、お前の赤ん坊だ。お前の強い意思で『親心』が伝わった。これでお前は天国に行ける。私が連れて行ってやろう」
 すると閻魔大王が、みるみると姿を変えていく。
 その姿はどこかで見た事ある。お墓参りでよく見るあれだった。
 地蔵菩薩。
「これでお前の試練は終わりだ。私が天国に導く。一緒に天国で水入らずで暮らすが良い」
 僕の意識がその言葉によって、浄化されていく気がした。
 僕は今まで好き勝手にやってきた。
 それが僕にとっての罪ならば、間違いなく罰を受けるべきなのだ。
 しかし僕は、自分の赤ん坊のために『過酷な親心』を取り戻す試練を習得した。
 もう、この子を離さない。離す事なんて出来ない。
 そしてこれがゴールだと思ったら、大間違いだ。ここからがスタートなのだ。
 間違いなく僕は死んだ。
 死んでもその先は、過酷な出来事があるだろう。
 それでも僕は、この赤ん坊を全力で守る。

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