我が家は狭い。泣けてくる。

昨年、友人の手助けを借りながら散らかり放題だった部屋をキレイにした。
着れるけど滅多に着ない服や、集めてるグッズだけど特に鑑賞しないものなどは尽く廃棄した。かなりの大鉈を振るったので捨てて惜しかったものも多少はある。

判断に困ったのは本だった。

小説でも漫画でも、好きな本だからお金を出して購入したわけで、
一度読んだから不要かといえばそういうわけにはいかない。
繰り返し楽しむ事もあれば、二度目に本来の趣旨が読み取れたりする。
棚に並べておけばどんなものが好きなのか自分で自分の趣味がわかる指標にもなるし。

しかしどんなに良い本でも紙自体の劣化は止めようがない。
昔何回も読んだという本が茶色く変色し、古本のニオイがするのは、
本が老化して寿命を終えたそうにしているようにも思えて、寂しい気持ちにもなったし、もう読んでくれるなと言われているようでもあった。

全ての本を確保し続けるのは不可能なので、多少の選別はしたものの、
劣化や思わぬ汚れがついた本は惜しみつつもほとんどを廃棄した。

私の持ってる本は、まだ紙の本がほとんどだ。
いつでも慣れたサイズで読めるというのが良い。
ちょっと感傷的に言えば、紙が劣化していくのも、
相棒として一緒に歳をとっていくような愛着も湧くと言えよう。

電子書籍も魅力は十分にある。
タブレット端末があればどこにでも膨大な量の情報を持ち運べるし、
画質の向上はあっても劣化は無い。これは大きな長所だ。

また、端末もしくはサーバーにデータとして収納しているわけだから、
狭い部屋に住む私にとっては生活スペースを拡げる事にもつながる。

合理的に考えれば、私は電子書籍に切り替えた方が良いのだろう。

もちろん短所もある。
タブレットでどこにでも持っていけると言っても、
本当にどこにでも持参していたら破損するリスクは高まるし、
スマホの寿命や入れ替わりを考えると、3年程度で端末を買い換える必要も出てくるだろう。トイレに行くときにヒョイっと一冊持ち込むなんてのもやりづらい。

ダラダラ書いていながらなんだが、結論は出ない。
なぜか、無機質で内容もお堅い本でも情のようなものがわいてしまう。
だが、今これを書いているのは紙か、鉛筆かと言われれば、まさに電子機器の恩恵にあずかっている最中でもある。

日本にはトイレの神様じゃないけれど八百万の神々がいるらしいから、本にも神様がいるのだろう。無意識にそういう考え方が働いているのかもしれない。

解決策はある事はある。
お金の神様に頼って、大きな家に書庫を建て、タブレットも好きに使えば良いのだろう。破損するたびにどんどん買い換えればいいだけだし。

八百万の神を信仰するならば「物を大切に」という前提があるだろうからバチが当たりそうだが。

本当にダラダラと書いたなと思う。
もっと意味を持たせる書き方があったんじゃないかとも思うけど、
心境の吐露ってのはこんなものなんでしょう。
今後の部屋の整理なり創作なりのヒントになれば幸いって所かな。

締まりがないが、今日はおしまい。こんな日もあるさ。

#日記 #徒然 #ひとりごと #落ち無し #ダラダラ #タラタラしてんじゃねーよ

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