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【寝取られ】井草カオルコ(41)【長編】

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@tubaki_nousou


⚠️本作品は、精神的に強いストレスを伴う寝取られ(NTR)内容を含みます。心の負担を感じる方はご遠慮ください。

エピローグ

 はじめまして。これを読んでくださる読者のみなさま。楠カオルコといいます。いえ、戸籍上は井草カオルコ。
 だけど、これは駄目な種馬のヤスアキの姓なのです。あくまで世を偲ぶ仮の姿。
 わたしには本当の主がいます。わたしよりも一回り以上年下の医学部の大学生です。でも彼はわたしだけを見てくれているわけではありません。彼には、わたしのような立場の女がたくさんいます。わたしが知る限りでも4人は知っています。本当は言わないだけでもっとずっと多いのだと思います。
 それでも、わたしは彼から離れることができませんでした。だから次々に彼のお願いをきいてしまいました。最初はささやかなものでした。でも、だんだん彼の要求はエスカレートしていきました。そして、挙げ句の果てには……

 わたしはご主人様を愛しております。彼のそばにいる限り、わたしは女でいられるからです。そして、なにより彼の欲望の一部になれることがこれほどまでに幸せなのです。女の幸せ。でも、最近はこの言葉にもどうにかしっくりきません。それよりももっと本能的。もっともっと動物的なものかもしれません。彼がわたしを弄ぶ時、よく雌犬と呼びます。ひどい時は豚扱いです。いえ、もっとひどい時は牛と呼んで罵ります。わたしのお乳が垂れ下がっているからです。そして、もうすぐこの乳からは、乳汁が分泌されます。彼に何度も何度も中出しされて、赤ちゃんができてしまったのです。だから、今、わたしのお腹は大きく膨らんでいます。こうしている今もご主人様との赤ちゃんがわたしのお腹を蹴っています。名前はもちろん決めてあります。

 後悔や罪悪感はもちろんあります。あんな雑なアリバイセックスで、子どもが産まれることに対して疑問ではないのか。
そして、この家族にお腹の中の赤ちゃんを産み落とすことは、どれほど残酷な未来が待ち受けているのか。まだ、ヤスアキはなにも知りません。おそらく呑気に、自分のひさびさの種が命中したのだと浮かれているはずです。
 でも、赤ちゃんが産まれたらどうでしょう。似ていない目鼻立ちをみて何か思わないでしょうか。あるいは、この先ご主人様と会うのが生き甲斐のわたしの不倫がバレないとは思えません。おまけに最近のご主人様は、わざとバラすような悪ふざけまでお考えになっています。どこまで本気なのかわかりません。しかし、ひとつ言えることは、彼がわたしに本気で命令したら、どんな残酷な命令でも引き受けてしまうでしょう。そんな女に変えられてしまいました。

 それでも、女でいることがあきらめられなかったのです。
 これはカオルコの懺悔の物語です。カオルコはどこまで堕ちていくのでしょうか。その姿を目にお焼きつけください。

#1 田園都市線沿いに住む41歳人妻


 井草カオルコは、世田谷区の用賀のマンションに住んでいる。よそからは、田園都市線沿いのマダムなんて思われているみたいだが、実態はずっと質素なものだった。スーパーで値引き品が出れば手を伸ばすし、値引きシールを貼るおじさんの顔を覚えて、しれっと値引きシールが貼られるのを見てから、商品を手にとったりしていた。用賀は治安もよくとても気に入っていた。
 旦那のヤスアキとは、大学時代からの付き合いだ。カオルコは文学部でヤスアキは理工学部で、出会いはテニスサークルだった。と言っても、とても控えめで健全なテニスサークルである。経済や商学部が中心になっているテニスサークルだと、良くないウワサを聞いていたこともあり、文学部と理工学部が中心のサークルに入った。そこで意気投合して、2年生の秋にヤスアキから告白。カオルコはそれを快諾した。ヤスアキにとってカオルコは初めて付き合った彼女だった。カオルコには、ヤスアキと付き合う前にもう一人付き合っていた人がいたが、その人とは、大学受験で忙しくほとんど会えず、進学先も相手は京都でカオルコは東京だったため、そのまま離縁することになる。もちろん、彼氏と正式に別れてからヤスアキと付き合っている。そして、それからはヤスアキと別れることなく順調に続いてゴールインした。それから、ふたりの子どもを授かる。ショウとフタバの2歳離れた兄妹である。フタバ(下の子)が生まれてから、それどころではなくなり夫婦生活の中からセックスは消えていった。代わりに、矢のように忙しい日々が流れて、子どもは雨後の筍ように成長した。長男のショウが、生まれたての頃に小児喘息とアトピーがたたったが、それ以外は至って健康的なふたりの元気な子どもだった。
10歳の男の子がショウで、8歳の女の子がフタバ。
ふたりとも嘘を言ったり、問題行動を起こすような子でもなく、とても平穏な家庭だった。
 「じゃあ行ってくるよ」とヤスアキは、ネクタイを締めて家を出ると2人の子どもたちがあとを続いた。三人で分担して、ゴミ捨てをするのが平日のこの家族の日課なのだ。「昨日はフタバが重たいの持ってたから、今日はショウがもってあげなさい」。それに対して、不服そうな声でショウが答えた。いつもの風景。いつもの平和な家庭。



 8時になって、朝ドラが始まる時間になると専業主婦のひとりぼっちの時間が始まる。もともと働いていた時期もあったのだが、パワハラのひどい上司に当たってやめてしまいそれっきり専業主婦を続けている。旦那の稼ぎもあるので、別に無理することないとヤスアキが声をかけてくれたことにとても助けられた。とはいえ、このマンションでひとりぼっちの時間になれば、考えたくないことまで考えてしまう。たとえば性欲について。8時になって、朝ドラが始まり誰も家から居なくなるこの時間、カオルコはじぶんの秘部を慰撫することが日課になっていた。こうしてオナニーを終えると、虚しさを感じてしまう。何やってんだろと。それでも、じぶんの中からフツフツと湧き上がる性欲を抑えることはどうしてもできなかった。
31歳に長男のショウを身籠った。それから子どもが生まれてしばらくは、そんなこともなかった。
しかし、夫婦の間からセックスが取り除かれてから数年。
 カオルコの中で何かがはちきれんばかりにのたうち回っていた。しかし、カオルコはそのことを直視しないようにして、そのことをできるだけ考えないように生きていた。じぶんの中の怪物を見て見ぬふりしているのだ。
 ふと時計を見るとカオルコは小さく悲鳴を上げた。これからユッコがくるのだ。ユッコは高校時代からの親友。大学は別々だったが、東京に就職したことで互いの距離が近くなって、こうやって定期的にうちでランチをしているのだ。


 朝食の皿を洗い終えて洗濯機を回そうとしたところでインターホンが鳴った。モニターでは、ユッコが笑顔で手を振っている。施錠ボタンを押すとオートロックが解除されて、エレベーターに乗ってユッコがふたたびインターホンを鳴らした。
 「いらっしゃい。ユッコひさしぶりだね〜」
 「カオルコ、会いたかった〜」
 こうやってお互いリラックスできる。玄関からユッコをあげてリビングに案内する。すぐに電子ポットからお湯を紅茶に注いだ。品の良いマリアージュの香りが部屋にふんわり広がる。
 どちらがしかけるともなく、お互いの近況報告が始まった。その中で、ユッコが「カオルコだから言うわ」と溜めてから、スマホを取り出した。画面を覗き込むとその液晶には、マッチングアプリが映し出されていた。カオルコは驚いた。
 「え、だってあなたにはセイジさんがいるじゃない」
 ユッコにはセイジという結婚相手がいるので、今こうして堂々と見せてきているのは不倫の証拠だ。
 「うん、けど彼ね。ほかに女がいるんだ」
 そういってユッコはポツリポツリと話し始めた。
セイジさんの不倫の話とその腹いせにマッチングアプリをやる経緯について、なんとか理解することができた。要するに、こういうことだ。ユッコもセイジさんも不倫をしていて、おたがいに薄々そのことに勘づいる。しかし、お互いに争いや揉め事などを避けて穏便にお互いの不倫を暗黙するという方法でなんとか関係は維持できているのだという。そして、ユッコはこの年になって性に解放的になっちゃったとあけすけに話していたので少々呆れてしまった。話し終えると、スマホの画面をいじってユッコの悪ふざけが始まった。
 「ねぇ、カオルコこの子とかタイプなんじゃない?」
 「え、ちょっと……いいよ」
 そう言って、ユッコはカオルコにアプリの男の子の写真を見せていた。たしかに整った顔をしたイケメン。昔憧れていたロックバンドのボーカルの雰囲気にもどことなく似ている雰囲気の男の子だった。名前はタイガくん……
 「あー、カオルコやっぱりタイプなんだー」
 ユッコははしゃいだ。カオルコは、ユッコとはさすがは20年以上の付き合いなのだと感心してしまった。そして、カオルコの言ってることはあたっていた。カオルコの好きなタイプだった。その色白の肌には金髪がよく似合う。そして耳には5つものピアスが空いていた。どこか悪そうな雰囲気と甘い雰囲気を共存させていた。
 「知ってるよ〜。カオルコのタイプ」
 「ユッコには敵わないな」
 「じゃあ、カオルコも登録して送ってみたら?タ・イ・ガくんに♡」
 「え?」
 カオルコはこういう男の子への憧れこそあったものの、大学時代も社会人時代も遊ぶこともなく今まで生ききた。旦那のヤスアキも優しい男性だ。だから、タイガくんみたいな人とは、こころのどこがじぶんには関係ない世界の人だと割り切っていた。
 しかし、今の時代はじぶんもマッチングアプリに登録してこの人にイイネを送ったらもしかしたら返事をしてもらえるかもしれないというのだ。
 ユッコは気丈に振る舞っているが、ギリギリの精神状態に違いない。もともとこういう自罰的なところがある子だったが、今回はその特性が強調されているように思われた。しかし、ユッコの画面のタイガくん。見れば見るほどじぶんの求めていた人に思えてしまう。なんてかっこいいんだろう。そしてなんて可愛いんだろう。どの写真をスワイプしても好きな表情だった。
 「もう、そんなにじろじろ見ないで。だったは登録しちゃえば?」
 ユッコは満面の笑みでそう言った。ユッコのスマホを画面をみると、タイガくんの年齢が23歳となっているのを見つけてしまった。23?41の自分といったいいくつ離れてるの。ありえない。
 「でも、23歳はさすがにね」
 そう言ったカオルコから何かを察したユッコは、さすがにねとだけ繰り返した。しかし、ユッコのマッチしている相手の中には23歳より年下くんがいたことをわたしは見逃していなかった。

 ユッコが帰ると小学校が終わる時間になっていた。そろそろ子どもたちが帰ってくる。カオルコはじぶんに母親のスイッチを入れて、家事をこなした。怒涛のように家事をこなして一段落つくと、女であることを思い出してしまう。カオルコは深いため息をつく。

#2 マッチングアプリに登録してしまった人妻

 家事は一段落して、ドラマを観ていた。テーマは浮気で年上の女と年下くんの恋愛が描かれた内容だった。ドラマの設定では8コ差だが、年の差など感じさせない演技だった。これまでは、ドラマを観ても男性キャストを性的な目で見てしまって内容が頭に入らなくなるなんてことはなかった。
 家事に集中している時はマナーモードにしているため気が付かなかったが、律儀にユッコからお礼のメッセージが入っていた。

 「今日はありがとう。ほとんど愚痴ばっかりになっちゃってごめんね。今度はわたしが聞く番よ。とにかく今日はありがとう。すごく助けられた」

 彼女は別れるたびにこうやって律儀にメッセージを送ってくれる。41歳まで関係が続いたのも彼女の律儀さのおかげなのかもしれない。返事のメッセージを打っていると画面の下部にこんなメッセージがあった。

 「p.s.タイガくん新しいアイコン更新してるよ♡今度のも絶対あなた好き!」 
 ユッコったらしつこいなぁと思いつつも、その更新内容には気になってしまうカオルコだった。立て続けにメッセージを受診した。送り主はヤスアキだった。「先寝てて。仕事片付かなそう。たぶん終電になる。」と。旦那からの連絡はいつも通り事務的なものだった。そういうえば、仕事が繁忙期に入る時期だと言っていたような気がする。つまり、これから3時間は帰ってこないのだ。
 まるで神様がカオルコをそそのかしているようだった。そして、深いため息をつく。
 スマホを操作し、アプリストアから今朝ユッコにおすすめされたマッチングアプリを見つけた。そのアプリのアイコンを見ただけで、じぶんの心がドキドキしていることがわかった。どうやらここで好奇心を止めることはできないようだ。カオルコは、何もかもどうでもよくなった。こうして、カオルコはマッチングアプリに登録をすることになった。

 カオルコは、もともと岐阜出身であり、高校までは地元の岐阜で過ごした。大学の進学とともに拠点は東京になり、それから地元の友達とはユッコを除きほとんど会っていない。もし地元や名古屋でアプリに登録をすれば誰かの目に入ってしまう可能性もあった。しかし、東京なら知り合いは多いがつながりにくいし、そもそも地元に比べれば関係も希薄だ。絶対にバレるわけにはいかないので、慎重になった。そのため、プロフィールから極力わたしが特定されない内容から考える必要があった。
 それらを考慮しながら、プロフィールを埋めて完成させた。ところどころ事実と異なる情報を書くことで、万が一知り合いに見つかった時の予防線を張った。
 結婚の項目は未婚にしたので、子どもはもちろんいないという設定だ。マッチングアプリは、既婚者の登録を禁止されているため家庭に関わるような情報は一切伏せなければならない。そんな事情があったのだが、堂々とふたつの大きな嘘をついている感覚に何か言い得ぬ達成感のようなものを感じた。脳が興奮していることがよくわかる。慣れないことをしているせいである。しかし、カオルコはこの一連の計画が、楽しくて仕方がなかった。マッチングアプリというところは、恋をする場所である。もうずいぶん前に恋愛市場から撤退していたため、もうじぶんとは関係ない場所だと思っていた。しかし、いざこうやってじぶんが登録することになるとは夢にも思わなかった。
 プロフィールの白紙をほとんど埋めてしまうと、今度はプロフィール写真を要求された。始める前からわかっていたことだが、登録したくない理由の一つだった。顔を登録すれば、それだけ身バレのリスクがあがる。それだけじゃない。顔まで登録したのにいい人とマッチできなかったら惨めな気持ちになりそうで、それが嫌だというのも正直あった。
 いまは風呂上がりですっぴんだったことを思い出して、ファンデーションとアイラインだけ塗ることにした。こんな時間から化粧を始めるというのもここ数年ないことだ。
 急いで化粧を終えたら撮影だ。絶対に身バレは避けなければならない。既婚者であるため、そのあたりのリスクは計り知れない。しかし、まったく顔が隠れていてもおそらく選ばれない。だから、雰囲気だけ伝わる顔写真を撮らなければいけなかった。年齢を隠すことはできなかったので、上品さや気品などを出して若い娘に負けないようにしよう。こういう作戦を考えるのは、じぶんが女を取り戻していくようで楽しかった。
 そして、数回の撮り直しを挟みとうとうこの写真に決めた。これなら身バレは大丈夫だろう。雰囲気だけ伝わる写真に上品さを上乗せして、いよいよ登録が完了した。昔はコンプレックスで隠していた胸だが、この大きさは恋愛市場では強力な武器になることを気がついた。そんなこと試す機会もなかったが、今回の登録となれないことをしてテンションが上がっていたため、女を大胆にさせた。

 マッチングアプリに登録するだけなのに、30分もかかってしまった。アプリの登録者を見ているだけでも楽しかった。なにせたくさんのイイネが無限に届く。長らく無縁だったこの性別が取り戻されていくような気持ちだった。このアプリは、お互いイイネが成立するとチャットルームが開かれるという仕組みだ。もう41歳と思っていたけど、世の中的には案外需要があるんじゃないかという気持ちになるほどイイネが届いた。この届くイイネの積み重ねがわたしの値打ちを表すわけではないことは重々承知しているつもりだった。わかっていてもうれしかった。じぶんが異性として「いいね」と承認されることで、わたしはまだじぶんを女だと思っていいような気さえした。変なテンションの高揚感はピークに達する。
 このアプリにはユーザーを検索する方法があった。厳密には検索ページに要素で絞ることができる。たとえば、学歴がわかりやすい。結婚するから大卒以上の相手が好ましい。そのため、マッチングアプリでは「高卒だけど大卒より優秀」な人とたまたま巡り合う奇跡なんか期待しないだろう。だから、彼女たちは学歴フィルターを条件に男を探す。男も同じだろう。男は逆にじぶんよりも低い学歴の女を探すし、体型(太っているや痩せているかグラマーか)などを見つけるのに利用する。
 カオルコは、今朝の記憶を頼りにタイガくんのプロフィールを探した。検索タグで絞ったら、「東京」の「23歳」の「学生」という属性を持つ人はたくさんいた。しかし、少しスクロールしたらすぐに見つけることができた。タイガくんのプロフィールにたどり着いた。じぶんのスマホの画面でみると今朝みた数倍かっこよく、カワイク見えてしまう。写真の1枚1枚を愛でるようにいとおしむように見た。「人気男性会員」という文字がプロフィールには書かれている。そりゃそうだと思った。こんなにイケメンで、しかも医学部。おまけに23歳と若いし身長も高く、天は二物も三物も平気で与えていた。カオルコは、意を決してタイガくんにイイネを送ってみた。初めてのイイネだった。
 そろそろ旦那が帰るかもしれない。さっき勢いで化粧をしていたことを思い出して大急ぎで洗面台へいった。1日に2回顔を洗ってすっきりした。明日、イイネ返って来なかったらアプリ消そ。カオルコは静かに決意した。

#3 マッチングしなければなにも始まらない

 翌朝。いつの間にか旦那はとなりで寝ていた。窓から差し込む朝日が薄暗い部屋をゆっくりと明るくしていく中、カオルコはそっとベッドから抜け出した。寝ぼけ眼をこすりながら、彼女は静かに寝室を出てキッチンへ向かう。家族のために朝食を準備するのが日課だ。
 キッチンに到着すると、カオルコは手早く冷蔵庫を開け、今日の食材を取り出した。新鮮な野菜、卵、そして昨日の晩に炊いたご飯が整然と並んでいる。彼女はまず、ご飯を温めるために炊飯器のスイッチを入れ、その間に野菜を手際よく刻み始めた。
 トントンと包丁がまな板に当たる音が、静かな家の中に響く。カオルコの動きは、長年の経験によって無駄がなく、流れるように進んでいく。鍋に火をつけ、野菜を炒め始めると、ほのかな香ばしい香りがキッチンを満たす。味噌汁を作るために昆布と鰹節で出汁を取り、具材を加えて丁寧に煮込む。味噌を溶かし入れると、ほんのりとした香りが広がり、家の中に温かみが感じられる。
 朝食の匂いに釣られてリビングへ来たのは長男のショウだった。ショウはまだ眠い目をこすって眠気まなこだ。
 朝食の匂いに釣られてリビングへ来たのは長男のショウだった。ショウはまだ眠い目をこすって眠気まなこだ。
 「おはよう、ショウ。今日は早いね」とカオルコは微笑みかけた。ショウはあくびをしながら「うん、お腹すいたから」と答えた。
 カオルコはご飯を茶碗に盛り付けながら「今日は卵焼きと味噌汁があるよ。好きでしょ?」と声をかけた。ショウは椅子に座りながら、「うん、大好き!」と元気よく答えた。
 その時、次にリビングに現れたのはフタバだった。フタバもまだ半分眠っているようで、少し寝ぼけた顔をしている。「おはよう、フタバちゃん」とカオルコが言うと、フタバは「おはよう、ママ」と小さな声で返した。
 ヤスアキもスーツ姿でリビングに入ってきた。「おはよう、みんな。今日は元気だね」と言いながら、ネクタイを直した。ショウが「パパ、おはよう!」と元気に挨拶すると、ヤスアキは「おはよう、ショウ。今日は何かいいことでもあったのか?」と冗談めかして聞いた。ショウは笑顔で「朝ごはんが美味しそうだから!」と答えた。
 カオルコはそれを聞いて微笑み、「さあ、みんな揃ったからいただきますしようか」と言った。家族全員が席につき、手を合わせて「いただきます」と声を揃えた。
 食事中、ショウが学校の話を始めた。「昨日、先生が面白い話をしてくれたんだ。クラスのみんなで大笑いしたよ」と笑いながら話すと、フタバも「ショウ兄ちゃんのクラス、楽しそう!」と目を輝かせた。
 ヤスアキも興味深そうに「どんな話だったの?」と聞くと、ショウは「それはね…」と話を続けた。カオルコは家族の賑やかな会話を聞きながら、幸せそうに微笑んでいた。平凡だけれど、愛に満ちた朝のひとときが流れていった。
 支度を終えてまた一人になると襲ってくるのは、孤独感だった。それと同時に思い出す。昨日登録したマッチングアプリ。あれだけ微笑ましい家庭の時間が流れた直後に、襲ってくる孤独感からマッチングアプリをしてしまう。なんてダメな母親なのか。そして、アプリを開くと目を疑った。204件のイイネが届いていたのだ。そして、今オンラインになったことで増えていく。履歴をみると本当にたくさんの人がイイネを送ってくれていた。家の中に過ごすことがほとんどであるため、カオルコは世の中にこんなにたくさんの男性がいたことに驚いた。その一人ひとりには具体的な人生があり、だけどみんな同じように寂しくてこのアプリに流れてきたのだと思うとしみじみとしてしまう。そして、これだけの数の男性からイイネが送られてくるあたりを考えれば、まだわたしには女としての価値があることに充足感が得られた。また、これだけの男から女として見られることに対する率直な嬉しさもあった。41歳になってもまだモテることもできるのね。
 数百の男性の中から目当てのタイガくんのイイネは確認することができなかった。カオルコはがっかりしてスマホを閉じる。「やっぱりイイネなんか返ってこないか」。
 気を紛らわせるために、家事を始めようと思うけど、通知が鳴るとついつい手を止めて確認してしまう。イイネの送り主は、別の男だった。こうなって何通も何通も送られてくるが、どれもタイガくんではない。がっかりしながらまた皿洗いを始めると通知がくるのでキリがないので、一度スマホを封印して家事を終える決意をした。
 家事を終えると、カオルコは昨日と同じ紅茶を淹れて深呼吸してからアプリを開いた。時刻は11時40分。一呼吸の間を置き、開くと17件の通知が溜まっていた。16人までチェックして、最後の1人。どうせ違うだろうと思いながら期待せずにみると、たしかに別人からではあったがこれまでと変化があった。
 マッチングアプリの画面の演出が変わった。全体にピンクがかって、「カオリさんあなたは、とてもお綺麗だったので、プレミアムイイネを送らせていただきます。この機会にお近づきになれれば光栄です(53・会社経営者)」。とメッセージが付与されていた。通常、このアプリ内ではお互いのイイネが成立しなければ、チャットを送ることができない。しかし、例外的にプレミアムイイネというものを送信すれば、相手からのイイネ返しがなくても一通だけメッセージを送ることができる。このプレミアムイイネの概要をみると、相手がアプリを開くとさっきの演出が始まって、一手間加えないと消すことができない特別な通知なのだという。こんな機能があるのか。その機能は数百円を払えば、誰でも使用できる。この機能ばかりは女性会員も有料対象らしい。わたしは迷わずそのプレミアムイイネチケットなるものを購入した。この方法だったら、タイガくんに見てもらえるかもしれない……

プロフィールを見て、素敵だなって思いました✨  
年齢はちょっと離れてるけど、共通の趣味も多いし、お話ししてみたいなって思ってます💕  
もしよかったら、メッセージから始めてみませんか?💌  
お話できるのを楽しみにしてます🎀

よろしくお願いします☺️

 何度も頭をひねって書き直した、精一杯考えた可愛い文章を送った。41歳の女が精一杯考えた可愛い……そんなことを考えて、さらに虚しくなってしまうのだった。

#4 わたしっておばさんになったな

 カオルコは文章を考え終えると眠さが襲ってきたので、リビングのソファですやすや寝てしまった。カオルコはある夢をみた。
 彼女は暗く静かな森の中を歩いていた。木々の間から薄暗い月明かりが差し込む中、彼女の足元には古びた道が続いていた。突然、遠くから誰かの囁き声が聞こえてきた。声の方向に進むと、彼女は大きな古い鏡の前に立ち止まった。鏡の中には彼女自身が映っていたが、顔がぼんやりと消えかかっていた。鏡の向こう側から無数の手が伸び、彼女に触れようとするが、決して触れることはない。その手のひとつひとつが、かつての知り合いや恋人たちのものであり、彼らの顔は無表情で冷たかった。彼女が鏡に手を伸ばすと、鏡の中の自分の姿が徐々に消えていき、代わりに彼女の周りには別の女性たちが次々と現れた。その女性たちは皆、美しく、魅力的で、彼女よりもはるかに輝いて見えた。男たちはその女たちに向かって歩き出し、彼女の存在を完全に無視して通り過ぎていく。最後に、彼女は完全に一人きりになり、暗闇に包まれた。声も姿も消え、ただ静寂だけが残った。その孤独感と、誰にも見られなくなったという現実が彼女の心に重くのしかかったところで、彼女は夢から覚めた。つい1時間程度のうたた寝だったが、全身にはひどい発汗があった。よほど悪夢にうなされたらしい。起きた今でも内容は鮮明に蘇る。あの私を通り過ぎていく男たち。その視線にあった若い女の子たち。あの残酷な目。時間を確認しようとスマホに手を取ると例のアプリから14件の新着イイネがあった。
 すぐにページを開くと、アプリにピンクがかった演出が入る。そして画面には「プレミアムイイネの返事がきました」とあり、その下部には「確認する」というボタンがある。カオルコは、一呼吸の間をおいて親指を乗せた。
 そこには、「お相手とマッチングしました!おめでとうございます」と華々しくくす玉が割れる演出で、ふたりのマッチングを祝福してくれた。わたしは、タイガくんとマッチできたのだ。ここ数ヶ月で一番うれしい体験だったかもしれない。カオルコは、まだまだ女になれそうだった。1人の男性と「話せる権利」を手にしただけで、込み上げる達成感。そして、それがもたらす高揚感は、カオルコを幸せにした。
 この嬉しさは、すぐに親友のユッコに共有した。ユッコからはすぐに返事があった。

「えええええ、タイガくんとマッチできたの!?✨おめでとう!🎉てか、アプリ始めてたの?笑😂💕」

 そうだった。昨日からユッコにも言えずに悶々としていたが、これもお見通しだったことだろう。なんて20年以上の付き合いだ。しばらくメッセージでのやり取りを続けていると、ユッコから思わぬ一言が届く。


「次は会えるかどうかね💫検討を祈ってるよ🙏❤️」

 「次は会う」。それはユッコからすれば当たり前の展開だった。しかし、カオルコにしてみれば、いや、世間の配偶者をもつ身からしてみれば、これはすでに立派な不倫の始まり。これを「会う」という方向で本当に前向きに考えてしまうっていいのだろうか。さっきまでは、マッチングした嬉しさから舞い上がっていたが、冷静に考えればこれは不倫。こんなことが許されていいはずがない。やっぱり消そう。勢いでアプリの登録を抹消しようと思ってアプリを開くと、何やら赤い通知が1件あった。見てみると、タイガくんからメッセージが届いているではないか。しなし、内容はスモーク状になって読むことができない。どうやら運転免許証の写真を撮って、送らないと中が見られないらしい。わたしはすぐにポーチから財布を取り出して、ペーパードライバーの証のゴールド免許を取り出した。すぐに写真を撮って、運営に送信している。我に帰ると、また「会う」ために行動しているじぶんがいて恐ろしくなってしまった。じぶんで決めたことすら乱される。わたしはどうしてしまったのだろうか。カオルコは着実にじぶわのまわりに起こっている変化に戸惑いを隠すことができなかった。
 それでもアプリは消さないし、免許証の写真を一生懸命撮影して、律儀にサイズまで合わせて送信した。この一連の矛盾した行動に対して自覚的ではあったが、これで消してしまえば一生の後悔になるのでないかという潜在的な恐怖心から、カオルコは、アプリを続けた。あなたごめんなさい。でも、いよいよタイガくんからのメッセージを読むことができる。

カオリさん

プロフィールを見ていただいてありがとうございます!✨  
年齢なんて関係ないですよね。共通の趣味が多いなんて素敵ですね!僕もぜひお話ししてみたいです
メッセージから始めるの、大賛成です!💌

お話できるのを楽しみにしています

こちらこそ、よろしくお願いします☺️

P.S. こんなメッセージをいただけるなんて本当に嬉しいです!✨

タイガ

 すごく丁寧な返信だった。
 見た目もチャラそうだし怖い雰囲気だったから、もっと素っ気なくて粗野な返事だとばかり思っていた。しかし、とても丁寧な返信にカオルコは、有頂天になった。


 数分の間に何度も感情の起伏があり、なにより汗でぐっしょりとカラダが濡れていたので、シャワーへ向かった。ゆったりした脱衣室で、ブラウスを脱ぎ、ブラジャーを外し、スカートを脱ぎ、ショーツを脱いだ。じぶんの裸が、全身鏡に反射する。人目をひく大きな乳は、垂れ下がりはじめて、顔にはほうれい線がはいり、お腹にはたるんだ贅肉が目についた。「わたしっておばさんになったな」風呂場にひとりごとがこだました。

 でも、人生で最後にもう一度だけ女を取り戻せるとしたら?タイガくんと会うために食事制限をしたり運動がんばったり、ダイエットや体の美を維持することは、カオルコにとって必要なことに思えたし、それは家庭の円満の秘訣にすら、なりうる。夫婦生活なんてウソだらけだ。そんな生活が続くよりも、手を伸ばせば届くかもしれない桃源郷が目の前にある、今のこの現実はカオルコを狡猾にしていった。大丈夫。バレない自信がある。カオルコは、シャワーを浴びながらふたつなことを誓った。まず女として磨きをかけて、丁寧な生活を心がけること。そして、これから始まる不倫は絶対に家族にバレないこと。


どの作品が人気なのかの指標になるため、スキだけでなくフォロー、サポートお待ちしてます。すると、あなたのスキな作品の更新頻度が上がるかも♫
よろしくお願いします。

#5  少しづつ日常がきらきら
し始める。

 あの日から、カオルコはマッチングアプリを開くのが楽しみになっていた。ここを開けば自分を女として認めてくれる男たちからのイイネ、そしてもちろん、タイガくんからのメッセージがくる。
 日々にメリハリが生まれた。買い物帰りのいつもの見慣れたはずの用賀の夕焼けすら、写真を撮ってしまいたくなる。こんな乙女な部分を彼は引き出すのがとても上手だった。

今日街歩いてウインドウショッピングをしていたら、(写真の雰囲気しかしらないけど)カオリさんの雰囲気にぴったりの髪飾り見つけちゃいました。(※添付画像)

 こんな風に、彼は一日一回は毎日連絡してくれた。一日に何回も何回もそのやり取りを見直してて、鏡に映るスマホを見る自分の顔がニヤけているのを見て、これは20代以来ずっとしていなかった、恋だとわかった。忘れかけた恋が41歳になって芽生え始めていることがわかった。鏡に映る自分を見つめていると、娘のフタバが後ろから抱きついてくる。
 「ママ、最近キレイなのね、ママかわいい」。そう言ってくれるわが子の頭を撫でる。
「ありがとう。ママ可愛いかなあ」
 でも、メッセージのやり取りが始まってからというものの、韓国から化粧品を取り寄せたり、パックの値段をワングレードあげてみたり、美容への意識は怠らなかった。
 41歳というと驚かれるけど、それでも目にはたるみもあるしシワも増えてきた自覚があった。美容整形のようなことは抵抗があるので、できるだけ自然に歳をとりたいというのがカオルコの方針だ。できるだけ運動で、できるだけ食事で、できるだけ自然由来で、そうやってこの肌を保ってきた。水だけは地元の岐阜県産の化粧水を使うようにしていた。これだけの工夫だったが、効果はテキメンだった。実際にタイガくんに会った時に幻滅されないために、さらに念入りに日々を丁寧に過ごした。   
 このように書くとまるで、カオルコは会うために準備をしているように見えるかもしれないが、カオルコのこころはまだ揺れていた。「会う」というフィクションを楽しみにしながら、女として丁寧に生きる。カオルコは、まだ自分の中でこんな逃げ道を用意しているのだった。いざとなったら消してしまえばいい。そう思っていた。そんな言い訳がきかないほどのめり込んでいることは、本人にはまだ無自覚であった。そして、フィクションの存在としてとどめておくことができれば、どんなによかったでしょうか。
 また、彼女は彼に秘密にしていることがある。それは結婚しているという事実だった。結婚を隠すので子どもたちの存在も必然的に隠れることになる。また、年齢はマッチングアプリの仕様上隠すことはできなかった。なぜなら利用のためには本人情報の確認が必要で、登録年齢と実年齢に誤りがあると審査に通らないという仕組みだからだ。でも、もしも会うのなら隠し通すことはできないことだった。

 「ねえ、ユッコはどう思う?」
 カオルコは親友のユッコに電話をかけて相談していた。ユッコの方もまさかマッチングまでするとは思っていなかったので、興味津々に質問してきた。

 「どう?ってわたしに聞かれても知らないわよ。でも、会わなきゃ一生後悔するって思ってるんでしょ?」あいかわらずユッコは、こういうことに関しては鋭い。
 「うん。思ってる。けど、会ったら後戻りできなさそうで」
 「わたしも最初は不倫なんてって思ってたけど、いざじぶんがする側になってみると、バレたらやばい以外の生活はみずみずしくなって、今ではしてよかったとすら思ってるの」ユッコのアドバイスする内容には、強くうなづけるところがあった。電話口でカオルコはうなずきながら聞いていた。マッチングアプリでやり取りをしているだけで日々に張り合いが出て、お肌にハリツヤが出ることは、当に実感済みだったのだ。
 「女でいられるか……」カオルコは、文脈とは関係なく、つい思っていることを言ってしまった。ユッコを混乱させてしまうかと思ったが、ユッコもそう、女でいられるのとくりかえした。

 それにしても、こんな会話は20年ぶりだとカオルコは思った。大学を卒業して結婚するとともに次第になくなっていった。一時はこの人と一生を過ごすと思って一緒になったヤスアキさん。だけど、結婚生活が始まると当初想像してしたよりもずっと退屈な日々だった。たしかに子どもたちの成長をみることはなによりも幸せなことだ。しかし、家庭では母でいることと妻でいることを求められ続けた。カオルコにとって、ここは女としてはまったくみられない、苦痛の煉獄にほかならなかったのではないか。
 日々が変わった。肌のハリツヤがいつもよりもよくなった。カオルコをとりまくまわりの人から、キレイになったとほめてもらえる機会も増えた。ガールズトークや恋バナが増えた。そして、だんだんとタイガくんに会いたい気持ちが増していった。

#6  突然途絶える連絡

 カオルコはここ数日いら立っていた。原因は、マッチングアプリで連絡をとり合っている男の子から返事が来ないことは自明だったが、それをかたくなに認めたくなかった。スマホが通知が鳴ったと思ったら、反射的に確認して、まったく別の送り主からメッセージで何度落ち込んだことか。前回からメッセージが途絶えている。
 キッチンで夕食の準備をしてると、リビングから派手な落下音が聞こえた。その音から何があったのかおおかたの予想がついたので、ため息をつきながら、タオルで手を拭く。
 「フタバ!ショウ!何をしているの?」カオルコはリビングへ向かった。そこには、壊れた花瓶の残骸の中に立つ娘のフタバと息子のショウがいた。二人の子どもは、罪悪感と反抗心が入り混じった表情で彼女を見つめていた。

「お母さん、ごめんなさい……」とフタバが始めたが、ショウがすぐに口を挟んだ。

「フタバがやったんだ!ぼくは止めようとしただけ!」

カオルコの忍耐力は限界に達していた。何度も室内で激しく遊ばないように言い聞かせてきた。特に彼女の大切な、しかし控えめな陶器のコレクションの近くでは。

 「何度言ったら分かるの!この部屋で乱暴に遊ばないって!またこんなことをして」カオルコの声が強くなり、2人の子どもたちはますます小さく縮こまった。

 フタバは泣きそうな顔で、「ごめんなさい、お母さん…」と呟いたが、ショウは口を尖らせて言い返した。「フタバが悪いんだ、僕じゃない!」

 「どっちが悪いかなんて関係ないでしょ!二人とも気を付けるべきだったのよ!」カオルコの声が響き渡ると、フタバはついに涙を流し始め、ショウは不満げな表情を浮かべた。カオルコは深いため息をついて、感情を抑えた。 

 「ごめんなさい、大きな声を出して。だけど、ママも疲れてるのよ……」
いらだちを子どもにぶつける悪い母親という自罰的なイメージが、カオルコを余計に苦しめた。
 待てども暮らせども、タイガくんからメッセージは届かなかった。もう4日は来ていない。その埋め合わせのために、ほかの男の子ともマッチングして会話を試みたが、会話は弾むことはなく、やはりタイガくんでなければだめという説得力が増すばかりだった。それでも、連絡は来ない。もうアプリをやめてしまったのか。前回のじぶんの返信になにか相手の機嫌を損ねるような内容がないのか内容をチェックした。それまでの会話はすごく盛り上がっていた。少なくともにカオルコにとってはそうだった。気がつけば、カオルコはタイガくんから返事について考えていた。
 とうとう彼女は不安になって、じぶんからメッセージを送ってみることにした。

タイガくん、もしかして最近忙しい?🫣💌
いつでも気長にお返事待ってます😊✨

#7  焦燥

 カオルコはスマートフォンの画面が光るたびにその通知の主を確認する。そのたび、彼女は肩をすくめることになる。かれこれ1週間は、タイガくんから連絡が返ってこない。返信の催促をするようなメッセージは1度送ってみたが返事がないのでただ、待つことしかできななかった。
 もうわたしのことを忘れてしまったのだろうか。ほかの女の子と連絡をとりあっているのだろうか。ほかの女性会員を確認することはできないが、女性会員数が多いことは明らかだ。ほかの女の子とはやり取りをしているのに、カオルコとはしないのではないかという疑心暗鬼にも駆られた。ところで、タイガくんが、もうアプリをやめてしまった可能性は考えづらい。なぜなら、彼の顔のアイコンの横には緑色の丸が、オンラインであることを時々告げるからだ。オンラインのときとオフラインのときをそれぞれ見つけているので、まだこのアプリにログインしていることは明らかであった。
 「どうして私には連絡をくれないの?」彼がオンラインのときとオフラインのときを見つけるたびに、カオルコの不安は増すばかりだった。彼女はタイガくんのアイコンを何度も見つめ、そのたびに胸が締め付けられるような思いをする。タイガくんが他の女性とやり取りしているのではないかという疑心暗鬼は、カオルコの心に深く根を張っていた。彼女は、自分がタイガくんにとって特別ではないのかもしれないという考えに囚われてしまう。それでも、カオルコはスマートフォンを手放すことができず、タイガくんからのメッセージを待ち続けるしかなかった。

 夜、ベッドに入ると、カオルコは再びスマートフォンを手に取る。薄暗い部屋の中で画面の光が彼女の顔を照らし出す。メッセージアプリを開き、タイガくんとのチャット画面を何度もスクロールする。過去の楽しい会話や彼の優しい言葉を読み返しながら、涙が溢れてくる。「あのときのタイガくんは、本当の彼なの?」彼の態度が急に変わった理由を探ろうとするが、答えは見つからない。
誰と話してもカオルコは気が散ってしまう。家族と話している間も、スマートフォンをテーブルの上に置き、画面が光るのをちらちらと見ている。フタバが今日学校で起こったことについて、機械的なあいづちを繰り返した。心の中ではタイガくんのことが頭から離れない

 待ちに待ったその時はやってきた。タイガくんからメッセージが届いたのだ。連絡が途絶えてから8日が経ったある日だった。もう寝ようと思って寝室に入っているとその連絡は届いた。となりで寝ているヤスアキを起こさないように、画面の光を殺すため布団の中にこもって画面を開いた。

To:カオリ

大学のテスト期間で、全然連絡できなくて本当にごめんね
ずっとカオリさんのこと考えてたんだ
やっとテストが終わって、ホッと一息ついたよ

 そうか、テスト期間でいそがしかったのか。でも、一言くらいあってもいいものだと思ったが、すっかりカオルコは安心し、許してしまった。うれしさのあまり、カオルコはすぐに返信してしまう。

To:タイガ

タイガくん💕お疲れ様でした!テストほんと大変だったでしょう?
でも、無事に乗り越えられてよかった😘

To:カオリ

カオリさん夜ふかしだなぁ でもひさしぶりにさみしい夜だったから話せてうれしい

To:タイガ
無理しすぎないでね?私のタイガくんがヘトヘトにならないように、しっかり休んでリフレッシュしてね🥰

To:カオリ
リフレッシュにはカオリさんの癒やしが必要だなぁ〜

To:タイガ
癒しって、私にできるかな?💦 でも、タイガくんのためなら一生懸命がんばるね!✨

To:カオリ
ふふ、かわいいね。
じゃあ今週会おうか。

 カオルコは、タイガくんからの「会いたい」という言葉に胸を高鳴らせながらも、心の奥底でひっそりと恐怖が芽生えていた。彼女の頭の中では、会うことの喜びと、それがもたらすかもしれないリスクがせめぎ合っている。 「会いたい、でも…」その言葉が何度も彼女の心を行き交う。カオルコは自分の感情の矛盾に悩まされながらも、窓の外を眺める。外はすっかり暗くなり、街の灯りがぼんやりと光っている。その光が彼女の心情を映し出すかのように、時折明るく輝き、時にはふっと暗闇に飲み込まれる。
 「もし会ってしまったら…」彼女はふと思う。この関係がどこかで線を越えてしまうかもしれない。その一歩が、許されない関係へと進んでしまうかもしれないという恐怖。彼との時間を楽しみにしている自分と、それが不倫へと発展する可能性に怯える自分が内面で葛藤している。
 カオルコは深く息を吸い込み、自分の心の中で何が正しいのかを見極めようとする。しかし、答えは容易には見つからず、ただ不安がひろがるばかりだ。
 彼女はスマホを手に取り、タイガくんへの返信を何度も書き直す。どの言葉も彼女の真摯な感情と、潜在的な罪悪感の間で揺れ動いている。「タイガくんに会いたい。でも、それがどんな結果を招くのか…」彼女の指は震え、心は重い葛藤に包まれる。
 この瞬間、カオルコは自分が立つべき道を決めかねている。それは彼女にとって未知の領域への一歩であり、彼女の人生に大きな影響を与える選択となるだろう。彼女の心の中には、深い恐怖とともに、タイガくんへの深い愛情が同居していた。
 カオルコは、内心の葛藤を乗り越え、タイガくんと会うことを決断した。その決意は決して軽いものではなく、重い心の荷を背負いつつも、彼との再会への期待に胸を膨らませる。
 カオルコはスマートフォンの画面を見つめ、返信ボタンを押す手がわずかに震える。「会いましょう」とのシンプルな言葉をタイプし、送信する。その瞬間、彼女の心は一瞬で軽くなり、同時に新たな重みで満たされる。彼との時間を想像すると、ドキドキとした興奮が胸を満たし、不安な気持ちも少し和らぐ。
 しかし、その決断にはリスクが伴うことも、カオルコは深く理解している。不倫という道に足を踏み入れる可能性があることを、彼女は重々承知の上である。それでも彼に再び会うことを選んだのは、彼への強い感情が彼女の心を支配しているからだ。
 会う日を迎えるまでの間、カオルコの日々は高揚と不安で交錯する。彼との再会を心待ちにしながらも、その後の結果に思いを馳せると、心がざわつく。しかし、彼女はその全てを受け入れ、彼とのひとときを最大限に楽しむ準備をする。
 この決断は、カオルコにとって新たな章の始まりであり、どんな結末を迎えるか未知数である。それでも彼女は、一歩前に進む勇気を持って、未来への一歩を踏み出したのだった。


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