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宇宙の根本原理とDX(デジタルトランスフォーメーション)

Yahooの安宅さんのブログにて、DX(デジタルトランスフォーメーション)は

DXは「状態」ではなくdigital transformation という「変化」の当て字

だという前提から、そのビジネス的な意義について説明されていました。(詳しくは以下リンクをご覧ください。)

ちょうど「変化」という観点から自分の思考を整理したいと思っていたところ、現代のキーワードであるDXも静的な「状態」ではなく動的な「変化」を表す言葉であるとの気づきがありました。

そこで、自分が理解している「変化」というものの延長線上にDXを位置づけることでその本質的な意味や、個人としてこうした変化に向き合う方法を考えてみよう、というのが今回の記事です。
なぜなら「変化」というものが世界の根幹にあり、すべてはその上に成り立っていると言えるからです。

それではさっそく、この「変化というものが世界の根幹にある」という点から見ていきましょう。

「この宇宙」の根本原理は「変化」である

突然ですが、あなたは「宇宙」についてどのぐらい知っていますでしょうか?

「そんなに知らないよと」いう方から、「ビッグバンやインフレーションという言葉を聞いたことがあるよ」であったり、「途方もなく大きい」ということから「138億年ぐらいの時間が経っているんだよね」など、人によって持っている知識は様々かと思います。

しかし「実は宇宙は複数あるかもしれない」ということをSFの小説以外の場面で聞いたことがある方は、どのぐらいいらっしゃいますでしょうか?
「そんなことは初めて聞いた」という方は、ぜひ以下の記事を読んでみてください。

マイナーなオカルト記事ではなく、2017年7月の日本経済新聞の記事であり、話者はカリフォルニア大学バークレー校の野村泰紀教授です。

この記事によれば、最新の宇宙論においては宇宙は単一の「ユニバース」ではなく、多数の宇宙が存在する「マルチバース」である、ということが示唆されています。

この考えは突拍子のないものではなく、ある程度の現実味を持って研究されている分野です。
さらに、世界の物理学者の中にはただ単に宇宙が複数あるのではなく、それぞれに固有の数理的構造があり「宇宙は数理的な構造物である」とまで考えるテグマーク氏のような教授(ペンシルベニア大学)もいます。

こうした視点からは、私たちが素朴に考える「宇宙」は、実は無限とも言えるほど数多くある「宇宙群」の中の1つでしかない「この宇宙」であり、その中の地球という惑星にたまたま人類が誕生した、という途方もないスケールが想像できるのです。

上記の記事の最後で、野村教授は以下のように語ります。

人間はこれまで、科学を通じて自分が思っていたより小さい存在であることを学んできた。唯一の大地だと思っていたものが太陽系にいくつもある惑星の一つの表面だと知り、その太陽系も銀河にたくさんある惑星系の一つだと知り、その銀河も宇宙にたくさんある銀河の一つだと知った。マルチバースはとっぴな考えだと思う人もいるが、むしろ宇宙だけは現在我々が観測しているものしかないと思うほうが革命的な考えだ。

つまり、私たちの普段の認識や想像力は、私たちが日々見たり接したりしているもの(環境)に多大な影響を受けているのですが、実際の「宇宙」はそれよりもはるかに広大であり、私たちの想像もつかないようなスケールで動いていることが考えられるのです。

しかし、一体なにが数多ある「宇宙」と太陽系や地球、そして生命が生じた「この宇宙」を分けたのでしょうか?
それこそが、今回の記事の主軸である「変化」である、と考えられるのです。

とはいえ、落ち着いて考えてみれば、「変化」が起きない世界には何も起こりようがないですし、何も生まれようがありません。
もし「変化が起きない宇宙」があるとしたら、それは生まれたままの姿でそこに存在し、そのままそこに在るだけ、という広がりのない宇宙でしょう。

それではここで言う「変化」とは、具体的に一体どういうものなのでしょうか?

深入りは避けますが、こちらも物理学の観点を引いてみるとそれは「時間」であり「エントロピーの増大(誤解を承知で言えば「物事の不可逆性」)である」ということが考えられます。

この点については物理学者カルロ・ロヴェッリ氏の『時間は存在しない』に影響を受けていますが、この宇宙で唯一覆せないものとして「エントロピーの増大」があり、それを人間が観測する際に「変化」や「時間」という認識が生まれる、というような話が繰り広げられます。

つまり、私たちは当たり前のように「時間は過去から未来に流れ、物事は変化し、変化したものは戻らない」と考えていますが、この「流れ」自体は普遍的なものでも絶対的なものでもなく、あくまでも「エントロピーの増大(不可逆性)」というこの宇宙における物理的な法則の結果生じるものだというのです。

先ほどのマルチバースの話と重ねて考えると、当然「物事は不可逆でない」宇宙も考えることができます。
しかし、いずれにしてもこの宇宙は、数多ある宇宙のなかで「変化=不可逆性」が覆せない根本原理として存在したからこそ真空のエネルギーから粒子が生まれ、さらに原子や分子が生じ、この地球や人間の誕生までたどり着いたと言えるのです。

さて、ここまでで「マルチバース」の考えと「この宇宙ではエントロピーが増大しており、それが変化という根本原理である」という観点を提示しました。

では、ここからは「変化」という言葉について、もう少し詳しく考えてみましょう。

「4つの変化」を区別する

これまで「変化」という言葉を、当たり前のものとして使ってきました。
しかし、この後の話を進めやすくするために、「変化」を4つの分類に分けてみたいと思います。

これまで見てきたように、一般的に「変化」と言われるものはエントロピー増大の法則による不可逆性のことであり「この宇宙の根本原理」と言えるものです。
それはあらゆる物事の根本にあり、「この宇宙」というシステムの中で常に働き続けているものです。

こうした、なにものにも影響されず、この宇宙の根本原理として「ただ変化し続ける」という働きのことを「絶対変化」と名づけてみたいと思います。

これによって何を区別したいかというと、例えば私たちが「身長が伸びる」とか「背が高くなってモテるようになる」といった意味合いでの「変化」という事象です。
これらも「変化」に違いありませんが、どうにも「この宇宙の根本原理」という言葉は似つかわしく無いように思えます。

そこで、こうした変化を「相対変化」と名づけてみたいと思います。
つまり「絶対変化」以外の変化を「相対変化」と呼んでみたいのです。

そのように区別すると「身長が伸びる」と「背が高くなってモテる」も、また別の「変化」であることが見えてきます。
そこで、前者を「物理的変化」、後者を「意味的変化」と呼んでみましょう。

「物理的変化」とは、いわゆる自然界で生じる変化です。
「絶対変化」との違いは、それが「この宇宙」のサブシステムである「銀河」や「自然」そして「人間」といった特定の系に対して、外部の刺激に応じて起きる変化であるということです。

例えば「身長が伸びる」という場合、これは外部の食物を取り込み栄養を摂取することにより生じる変化です。

これは「身体」という立場から見れば「食物」が外部と言えるからなのですが、もし私たちが地球をまるごと認識できる視点を手にしたとしたら、「身体」と「食物の摂取」は同じ変化の1つ(「食物が身体に入り分解され栄養として接種される」という変化と「栄養に応じて身体が成長し身長が伸びる」という変化は同じ1つの系に含まれ、区別する必要がない)と考えられます。

さらに、例えば「地球と月が互いに引き合っている」という万有引力の法則も、もし太陽系や銀河全体という観点から認識できるとしたら、同じ変化の1つとして説明することができるでしょう。

つまり「物理的変化」とは、変化自体は「絶対変化」によって物理的なレベルで生じるものの、それを説明する観点に応じた特定の関係性として現れるという意味で「相対変化」であると言えるのです。

それでは、続いて「意味的変化」について考えてみましょう。
ここで「意味的変化」という言葉で考えたいのは、「身長が伸びたらモテる」という時の、生物の観点から見た変化です。

例えば日本人男性であれば、「身長が伸びた」ことは「異性としての女性にアピールできる強み」を感じるかもしれません。
逆に、日本人女性であれば、「身長が伸びた」ことは「異性としての男性にアピールできない弱み」を感じるかもしれません。(あくまでも一般論の話です。)

つまり、何らかの物理的変化(身長が伸びる)に対して、主に生物が観察者として想定される場合に、認識によって生じる変化が「意味的変化」だと言えます。

上記の例でも分かる通り、「物理的変化」はまだ絶対変化の内にありましたが、「意味的変化」は絶対変化がもたらす変化とは明らかに異なります。

まず第一に、それはエントロピーの増大という熱力学的な原因とは別の原理で動いています。
そして第二に、意味的変化は外部から直接観察することができません。

「身長が伸びた男性」が「俺はモテる!」と思っているかと言えば、それは決して分かりません。逆に「身長が伸びた女性」が「私はモテない」と思うかと言えば、必ずしもそんなこともありません。
しかし一般論として、「身長」と「モテる」というまったく別の事象が、意味的変化のもとでは1つの基準で語られることがありうるのです。

こうして、「変化」という言葉を宇宙の根本原理である「絶対変化」とそれ以外の「相対変化」、さらにその中でも物理的事象である「物理的変化」と観察者によって変わりうる「意味的変化」という4つの変化に区別することができました。

そして、すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、「意味的変化」は「生物」だけがそれを感じることができるのです。

本当であれば、ここで「生命」と「生物」の定義についても明確にしようと思っていたのですが、脱線しすぎるためそれは別の機会にしたいと思います。
ただ1点、『生物と無生物のあいだ』の福岡氏が「エントロピー増大の法則」に対抗する唯一の方法としての生物像を描いていたり、目的論的な生物像と熱力学的な物理学が非常に近いものと考えられることから、「変化」と「生物」は切っても切り離せない関係にある、ということを置いておこうと思います。

さて、ここまででこの宇宙の根本原理である「変化」が、4つの区分を持つことがわかりました。
それではいよいよ、これらの変化とDX(デジタルトランスフォーメーション)の関係について考えていきます。

それらを繋ぐ鍵は、まさに現代が「意味的変化の時代」だという事実にあるのです。

現代は、物理的変化が意味的変化になる時代

インターネットが普及し情報社会と言われてから、約30年が経ちました。
その間、世の中の情報流通量は増え続けており、インターネット全体の情報量は2002年から2020年までで6,000倍という話もあります。

皆さんも日々の生活で感じられている通り、情報が増えるに従い、それらを素早く捉え、その意味を正しく捉えることが実生活やビジネスで役立つようになりました。
これはつまり、私たちにとって「情報自体の持つ意味合い」が増してきたことを意味しています。

具体的に言うと、例えば200年前にアメリカで起きた大火事は「物理的な変化」であり、日本に住む人にとってはまさしく「遠い国の出来事」に過ぎなかったと思います。

しかし現代において、仮にあなたが広大な小麦畑を日本に持っていて、火事によりアメリカの穀倉地帯が大打撃を受けて小麦が高騰しているという情報を入手したとしたら、自分の小麦を日本ではなくアメリカに売ることで、より多くの利益を生み出すことができるでしょう。

このような時代では、小麦農家であるあなたにとって、世界中で起こるありとあらゆる災害が「重要な意味のある情報」として、まるで自分の畑で起きた火事である「物理的変化」と同じぐらいの意味合いを持ち始めてしまいます。

つまり経済のグローバル化が進んだことで、あらゆる情報が自分にとって「意味を持つ(かもしれない)」ものとなり、ただの「物理的変化」だった事象すら「意味的変化」として私たちの前に立ち現れてくるのです。

これまで、人類の歴史の大半は「綺麗な水を確保する」「衛生状態の良い社会を通くる」「自然災害を受けない住処を探す」など、主に物理的変化に対応してきた時代だったと思います。
もちろん、意味的変化に対応する意味での宗教や哲学も発展してきましたが、それはあくまでも、最低限の生存が可能になった結果として生じたものでした。

しかし、科学や技術により数々の物理的変化を克服し、生存が人類にとって大きな問題ではなくなった結果として、私たちはあらゆる出来事を意味化できるグローバル資本主義社会を生み出しました。

それは、あらゆる「物理的変化」が多くの人にとって意味を持ちうるという形で「意味的変化」に変わり、それが超高速で起こり続けるという情報社会へと歩みを進めてしまったのです。
そして今のところ、人類はこの意味的変化の激増に対して、これまでの歴史で実現してきたような物理的変化への対応ほどには、うまく適応できていないようです。

実はその原因は明らかで、私たちが社会制度や思想・宗教、共同体の在り方といっった様々な点で「意味的変化」に対応できるようなアップデートを実現できていないからだ、と言うことができます。
現在のグローバル資本主義社会は中世ヨーロッパのキリスト教の混乱と都市化の延長線上にあるものですが、それらは科学技術により物理的変化をコントロールし、より人類にとって「良い変化」を起こすという発想が根幹にあります。

しかし、現代で起きている変化は意味的変化であり、それは物理的事象に働きかける技術ではなく、意味的事象に働きかける技術が必要です。

実際、こうした状況への対応策として、スローライフや情報の遮断といった動きが増えつつあります。
「スマホを入れる金庫」であるタイムロッキングコンテナなど、普通に考えれば本末転倒のような道具が一定の注目を浴びるのも、こうした意味的変化の力の前では納得のいくものでしょう。

しかし、こうした活動はあくまでも意味的変化と一時的に距離を取るような消極的対応であり、意味的変化に対応し乗り越えるものではありません。

では、意味的変化を乗り越えるために何が必要かといえば、それこそがDX(デジタルトランスフォーメーション)なのです。

人類は意味的変化の危機を、DXの浸透によって乗り越える

これまで、グローバル資本主義の発展と情報革命により、あらゆる出来事が「意味的変化」になっており、現在の私たちではこの現実に対応できないことを見てきました。

では、なぜ対応できないのかと言えば、そこには大きく2つの課題があるからです。

課題1. 変化(情報)の量が膨大すぎて、すべてを把握することができない
課題2. どの変化(情報)が自分にとって本当に意味があるものかを判断する方法がない


逆にいうとこの課題が解決できれば、現代の意味的変化が生み出す諸問題に対応できるのであり、その道筋こそがビッグデータやAIに支えられたDX(デジタルトランスフォーメーション)なのです。

これらについて、詳しく見ていきましょう。

まずビッグデータについてですが、冒頭でも触れた安宅さんの別の記事にて、その本質は「データが巨大かどうか」ということではなく

これまでコンピュータが処理できる形ではデータ化されていなかった情報が片っ端からデータ化されていくことだ。特定の情報ソースから、いざとることになれば、サンプリングされた事象ではなく発生するすべての事象(全量)がほぼリアルタイムでデータ化される。

ことであると語られています。
つまり、ある事象に対して統計的に一部のデータから母集団を予測するのではなく、全データをもとに分析をかけにいくことが可能、ということです。

こうして取得され処理されたデータは、適切な目的に沿って最適化されたAIに渡され、適切な手続きにそってアウトプットを提示します。
こうしたデータをもとに、あらゆる経済活動が調整されていくのがDXであり、ものすごく楽観的にいえば、個々人の包括的なデータをもとに、目的に応じて最適なフィードバックを返してくれるのが、DXが浸透した世界だと言えるのです。

これらを意味的変化の文脈で考えると、膨大なデータを把握・処理する必要はなく(課題1の解決)、意味のある情報をコンピュータが選別してくれる(課題2の解決)という意味で、DXの浸透は意味的変化の時代に不可欠だといえます。

しかし、このようなビッグデータやAI、DXの話を考えると、「コンピュータが課題を解決してくれる。それでは人間は何をするのか?コンピュータの言いなりになるのか?」という疑問が生じるかと思います。

ここでは、あえて逆説的に「コンピュータが課題を解決してくれるからこそ、人間が何をするかが重要になる」と言いたいと思います。
そして、それは意味的変化への対応を考えれば、自然と導かれることなのです。

DXの時代に個々人に必要なのは「自分を拓く」ことである

これまで見てきたように、現代はあらゆる物理的変化が意味を持ち、その意味的変化の速さと膨大さにより様々な危機に直面していると言えます。
そして、それを乗り越えるためにもDXが社会の様々な面に浸透していく必要があることを見てきました。

しかし、それは人類のコンピュータへの敗北や、個々人の無力さを直接的に意味するものではありません。
もちろん、個人のレベルでいうと、大きな世の中的な変化の流れは変えられるものではないでしょう。
馬車が自動車になり、職人が工場に置き換わってきたように、AIやDXへの移行は避けられるものではありません。

であればこそ、そうした流れを適切に把握し、個人としてできる限り対応していくことが、幸福な人生を送る上で重要となります。
そして、ここでいう「対応」とは、コンピュータがあらゆるデータを収集し、あなたにとって意味のあるフィードバックを返すその場において「どのような情報を収集させ」「意味があるものは何かを適切に判断させる」というインプットとアウトプットのコントロールにあるのです。

コンピュータは基本的に一定の条件に沿って処理を行うアルゴリズムであるため、初期条件や処理の目的が間違っていれば、その結果自体も無意味なものとなってしまいます。
例えば、あなたにとって不完全な情報しか収集できなかったり、あなたにとっての重要性を勘違いしていれば、当然その結果として出てくるアウトプットは不完全なものとなるでしょう。

つまり、「どの変化が重要かを選別する」必要はなくても、「何が自分にとって意味があり、重要なものだと言えるか」については、きちんと自覚したうえで日々の行動に反映させたり、周囲に発信したりできるようになっている必要があるのです。
なぜなら、特定の物理的変化にどのような意味を付与するかは個々人によって様々であり、DXが浸透する社会においては「あなただけの意味」をきちんと社会の側に伝え、認識させることが必要だからです。

逆に言えば、自分の要求を認識できず、正しく発信できない人は、不適切なフィードバックループの中で常に「何かが違う」というズレを感じながら生活しなくてはならなくなるのです。

こうした活動を「自分を拓く」と表現した場合、意味的変化を乗り越えるDXの時代にあっては、「自分自身にとって意味があるものを正しく把握し、正しく要求する」という態度やスキルはこれまで以上に重要なものとなるでしょう。
なぜなら、正しい要求には正しい報酬が返ってくる一方で、不適切な要求に対しては、その要求に対して適切な(つまり、本来の自分の要求に対しては不適切な)報酬が返ってくるからです。

このように考えると、「自分について知り、適切に発信する」という態度やスキルが、これまでの人類の歴史において最も重要視されるのがこれからの時代だと言えます。
つまり、現実として「自分を拓いて生きる」ことなしには、意味的変化に対応しようとする社会の流れに飲み込まれてしまうのです。

であればこそ、ビジネス領域だけではなくあらゆる場面での「意味的変化の乗り越え」と「DXの浸透」という現象の意味について理解し、その変化に対応できるアップデートを個々人としても行うことが、この宇宙の始まりから連綿と続く「変化」の中で生きてきた人間が直面している、最新の「変化」であると言えるのです。

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