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つまらない大人達へ、僕は就活を辞めました。



来年僕は大学4年生になりますが、就活をやめました。
ワクワクする人生を歩んで行きたいからです。


これまで三年間インターンをしてきて、大学3年の早々から始めた就活では三、四次面接まで行くことが多くありました。
しかし、人事の方と話す事が多くなる中疑問に思うことが多々ありました。

一人の学生に本音で向き合えているか?



僕はこれがずっと疑問でした。
学生が本音で就活をできていないことは仕方ないと思っています。
高校までで将来の目標が決まっている人は自分の周りでもほとんどおらず、大学という比較的自由な環境では、自分にストイックに”やりたいこと”を探すための時間に当てられている学生は少ないと思うからです。遊ぶ時間もあれば、そのためにバイトをする時間、そして大学の勉強もあります。それらを踏まえると将来について考えるために四年間を費やせる人間はごく少数だと思うからです。



僕が疑問に思っている事は”会社”が学生と本音で話しているか?です。


営業でグループ内で日本一を取った方からのセミナー。
新卒〇〇年目から新規事業を任されている人の就活相談。
自社に入った後の具体的な事業内容。


ビジネス系のサラリーマンの方々は世の中のことを分かった体でお話をしていただけるのですが、正直自社のビジネスモデルの派生やそれっぽいマーケティングの知識を自身の成功体験を元に話しているように感じてしまいます。


そこに自分の哲学はあるのでしょうか?


組織に属すると自分の哲学がなくとも組織内の哲学を尊重し、それに基づいて日常の業務で数字を出していけば評価されるシステムなので自分の哲学や考え方はある意味必要ないものなのかも知れません。


しかし、自分の人生の哲学を今あるコミュニティーの中で決めてしまうと自分の判断基準がその組織の理念や考え方で凝り固まってしまう気がするのです。


すると自分の人生の幸せのはずがいつの間にか社会で”一般的”とされる幸せにすり替わってしまい、幸せの判断基準が社会の尺度に左右されてしまいます。


それはもったいない気がするのです。


哲学があるから人間的に深みが出ると自分は確信しています。


一般化された価値観の人と会話をしていると話の結論や落とし所が見えてしまい、
話しをしていてあまり楽しくない印象です。



僕は自分の哲学がない社会人の方を
つまらない大人と呼んでいます。


自分だけはそうはならないように、学生という社会的弱者の今から哲学を持った意思決定で自分の将来を決めていこうと思っています。




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