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雨のち晴れ〜第3章〜

私や私の大切な家族に、姉の魔の手は着実に
にじり寄って来ていた。

3人の子供にも恵まれ、普通という幸せの
尊さを感じながら生活をしていた。
それと同時に、主人に対しての日々の不満も
積もっていっていた。

私たち夫婦は、仲が良かった。
帰宅した主人は、食後に皿洗いをしている私の横に立ち皿を拭きながら職場の話を毎日してくれた。
私は、その時間が大好きだった。
主人は、ほぼ毎日子供たちとお風呂に入っていて、お風呂場からは子供たちの楽しそうな声が聞こえていた。
休みの日は必ず家族でショッピングモールや
戦隊モノのショーを見に行ったりと、お出かけをしていた。

主人は、お金の事を全て私に丸投げだった。
やり繰りをしていた私は、今月厳しいかな…という時には、休日は お出かけではなく
近所の公園にお弁当持って行こうと提案してみたが、ことごとく却下された。
『そんなに金ないの?それなら 明日から
オカズは梅干しだけでいい!!』と怒り出す。
子供たちがいるのに、そんな訳にいかないでしょと言っても、不機嫌になると私の事は
完全無視。
さらに、子供たちの呼びかけも無視をする。
完全にシャッターを下ろすのだ。
仕事から帰ってきた時に、夕飯の準備が
万端じゃない時も同じように不機嫌になり
私たちの事を無視する。
小さな子供3人を1人で見ていると、思った通りには いかない。
それでも主人は自分のペースを乱される事が
許せない人だった。
子供たちが話しかけても無視、もちろん私が話しかけても無視。
100人居て99人が私に非は無いと言ってくれるであろう原因でも、私から謝っていた。
その空気に耐えられなかったし、子供たちまで
巻き添えにする事が可哀想だったから。
私が謝ると、主人の機嫌が直る。
私は自分が悪くない事を理解していたが、
それでも謝れば主人の機嫌が良くなるし、家の雰囲気も良くなるのなら なんぼでも謝ってやろうと思っていた。
気が付いたら、私は《主人が機嫌悪くなるから〇〇は やめよう》という思考が染み付いていた。
公園で遊んでいても子供たちに『お父さん帰ってくる時間だから急いで帰るよ!!』 と毎日言って、毎日主人の存在に追われていた。
私は《私》を忘れた。

そんな事が繰り返され、炭がこびり付いていくようにガチガチの塊が私の心を覆っていき、疲れ果て《離婚したい》と思うようになっていた。
心が弱っていた私は、姉にとって恰好の餌食だった。
コントロールされ、全てを奪われるまでに
時間は掛からなかった。

心に余裕が無くなって、夜も眠れなくなり食事も喉を通らない状態になっていた私の元に姉から電話がきた。
多分サラリと話したのだろう、すると姉から
『子供たちを旦那に預けて 1泊ひとり旅したらいいじゃない』と提案された。
昔よく1人であちこち旅をした記憶が蘇ってきた。
子供たちと離れるのは嫌だったが、自分を整える為にも必要な時間では…と考え主人にお願いして1泊だけ近場のビジネスホテルに行く事にした。
久しぶりに 伸び伸びと自由に横になれた
でも、やっぱり寂しい。
窮屈でも、自分の時間が無くても、子供たちと一緒に居たい。
そして、自分の時間を持てたが 次の日の帰宅時間の事や、夕飯のこと、主人が機嫌悪くなるならないようにしなければ…という思考は消えない。
リフレッシュ休暇は失敗だった。
そう…これが失敗だった。

これを境に、姉からは毎日電話が来るようになった。
『別れる前に 子供たち旦那に預けて、別居したら?』などと必要以上に首を突っ込み始めた。『別れるなら親権はあんたが 持っておけばいいの。そして1年くらいしたら 子供たち奪い返せばいい。旦那なんて そこら辺に置いていけばいい』などど言い出した。
私は《例え別居したとしても離婚したとしても、慣れない子育てと仕事の両立を1年やった主人に対して、奪い返すなんて酷い事は出来ない。子供たちだって寂しくなる。みんなの心の負担が大きすぎる。そこまで姉が言う事ではない》と断った。

姉が毎日電話してき始めた頃から、主人の様子が変化してきた。
ドンドン体重が落ち、痩せていった。
心が不安定になっているのが手に取るように分かった。
そしてある時、主人が口を開いた。
その内容を聞いて私は驚愕し、怖くなった。
姉は、私に提案してきた内容を言った人間をすり替えて主人に話していた。
《妹が、親権を持ったまま 子供たちを旦那くんに押し付けて離婚しようとしてるよ》
《1年くらい経ったら、子供たち奪いに行って旦那くんの事は そこら辺に捨てるって言ってたよ。私は それは人として酷いからやめなって止めたけど》などと言っていた。
毎日毎日、主人は姉から そのような作り話を
聞かされていて心が病んだのだ。

私は主人に《姉は、そういう人だって知ってるでしょう?姉を信じたらダメ。夫婦のこれからの事は子供たちのためにも私たち夫婦で話し合って決めよう。》と何度も言った。
それ以降も姉は、主人に電話をしてきて作り話で主人の心を不安にさせていた。

ある日、子供たち3人ともインフルエンザに罹り午前中から病院へ行ったりバタバタしていた。
病院も終わり、家に戻ると主人が出かける準備をしていた。
そして、ベビーベッドで寝ている次男を撫で、私の膝に座っている長女を撫で、寝室で1人で遊んでいる長男を撫でながらひと言ふた言交わし、車で出掛けて行った。
その日主人は《ただいま》と帰ってくることはなかった。

夜になっても帰宅せず、メッセージを送っても既読にならない。
姉から電話がきて『旦那くん、いる?電話出ないんだけど』と言われた。
帰宅していない事を伝えると『旦那くん、あんたを追い詰めるために弁護士雇おうとしてたから 弁護士と打ち合わせしてるんじゃない?私はやめた方がいいって言ってたんだけどね』などと言い出した。
きっと、姉からの提案で弁護士を雇って私を追い詰めろと煽っていたのだろう。
その夜、子供たちを寝かし付けて私は朝まで寝ずに待った。

朝になり、まだ本調子ではない子供たちも起きてきて、あやしながら ふと気になりインターホンのカメラで外を見た。
駐車場に車が停まっていた。
帰宅が遅くなり、車の中で寝たのかと思い
子供たちにテレビを観せて私だけで車へ向かった。
運転席にも助手席にも、主人の姿はない。
何の躊躇もなく私は後ろのドアを開けた。
後ろの席に主人は居た。
一瞬、眠っているように見えた…が、
そう見えただけだった。
私は急いで家に入り、子供たちが外に行かないように 子供たちの大好きなDVDをつけた。
そして、隣の部屋へ行き警察へ電話をした。
《事故ですか?事件ですか?》…事件かもしれないです。
《住所を教えてください》…はい。
冷静に普通に話しているつもりだったが、受話器の向こうからは《落ち着いてください。深呼吸しましょう。すぐに向かいますから、大丈夫です。》と私をなだめる声がしきりに聞こえていた。

警察に連絡してから、姉に電話をした。
『もしもし』…もしもし、お姉ちゃん。
『旦那くん死んだ?!今すぐ そっちに向かうわ!』…わかった。
その頃、姉の家から私たち家族が住んでいた所に来るには、飛行機と新幹線を使わなければならない距離だった。
私が電話をして、もしもしと言っただけで
主人が亡くなったと瞬時に分かった 姉。
そして 待っていたかのように その1時間後には飛行機に乗っていた 姉。
すごく違和感があったが、事が大き過ぎて
その違和感は私の中で かき消されてしまった。

警察や救急隊員の方々に 子供たちがいる事を話すと、子供たちがビックリしないように対応してくださった。
子供たちには『お父さん、車の中で寝ちゃって ひどい風邪ひいちゃったから病院行くんだよ』と説明した。
『えーー!おとーさん、おバカだねぇ』と
無邪気に話す子供たちを思い出すと、今も胸を締め付ける。

電話から数時間後、姉が家に来た。
開口一番『保険は?!生命保険!!入ってるの?!』と聞いてきた。
入ってると伝えると『良かったー!いくら入る?』と更に聞いてきた。
少額だからと具体的な額は伝えなかった。
そして警官の元へ行き、何やら話をしていた。
それ以降、警察は細かい話を一切私に言わなくなった。
後から知ったのだが姉は警官に『妹は精神病で まともに話が出来ませんので、今から私が対応します』と言っていた。

そこからの姉の動きは早かった。
『子供たちを日常生活に戻すことが最優先だから ここに住んでるのはダメだ。私の家に引っ越そう』と言われ、私が断ろうとすると ガッと
目を見開き『旦那が死んだのは お前のせいだろーがぁ!!お前の意見は誰も聞かねーんだよっ!!』と怒鳴り暴れだした。
次の日には、リサイクルショップが来て家具家電の全てを持って行った。
更に住んでいたマンションも、姉が勝手に解約手続きを進めていた。
主人のお葬式も、知り合いに頼んで急ぎで済ませた。
姉は、毎日香典を数えてニヤニヤしていた。

姉から『子供たちを先に連れて行く。私が子供たちを しばらく育てるから。そうしないと 子供たち児相に連れていかれるんだよ!そしたら一生会えなくなるんだよっ!』と突然言われた。
次の日 警察から呼ばれ警察署に行くと、そこには姉もいた。
そして警官から『お母さんの生活が落ち着くまで、お子さんたちを保護しなければなりません。児相かもしくは お姉さんの所で預かって頂く必要があります』と言われた。
意味が分からなかった。
配偶者が亡くなると、子持ちの場合みんな 子供と一時的離れなければならないのかと聞いたら『住む場所と当面生活出来る状態になれば大丈夫ですよ』と言われた。

私は まだ役所の手続き等が残っているでしょとの理由で、姉の家には後から来るよう言われた。
子供たちが姉の家に出発する日、実母も移動を手伝うために来た。
新幹線の改札で長男に『お母さん、いつ来る?』と聞かれ答えようとしていたら横から姉が『3回くらい寝たらかなー』と答えた。
それを聞いて安心した長男は『わかったー!まってるねー!』と旅行気分で長女とホームへ走って行った。
次男は私にしがみついて泣いていたが、実母が近寄ってきて、大泣きしている次男を無理やり私から引き剥がし真顔でホームへ降りていった。
そして姉は私に3万円だけ渡し、
『私の住んでる土地に足を踏み入れられると思うなよ。児相からもお前を10年間子供たちに会わせないようにって言われてる。お前が子供たちを奪い取りに来たら、警察が動くことになってる。お前は罰を受けろ。10年は子供たちに会えないと思え』と吐き捨て、ホームへ降りていった。
子供たち、主人の香典、通帳も全てとられ、家も無くなり、私は1人で呆然と改札前に立ち尽くしていた。

友達が助けてくれて、2週間ほど居候させてもらった。
その頃の記憶は あまりない。
どう生きていたか、覚えていない。
そんな中、警察から電話がきた。
『お子さんたちも元気ですか?』…は?
姉から言われてる事を伝えると警官は ものすごく驚いていた。
『こちらでは そのような事案は把握しておりません。お母さん、1度児相に確認してみてください。』と言われたので直ぐ児相に確認をした。
すると『こちらでも、そのような事案は取り扱っておりません。お母さんには何も制約はありませんよ。お子様たちの親は、お母さんだけです。直ぐに迎えに行ってあげてください。』と言われた。
警察からも『これは体のいい誘拐です。お母さん被害届出してくれたら警察動きますよ』と言われたが、短期間で色々な事が起こりすぎて心身共に疲弊してしまっていた私は、子供たちが帰ってくるなら それでいいと被害届は出さなかった。

子供たちを迎えに行きたくても お金が無い私は、どうしたらいいのか考えた。
その時、主人の給料振り込み用口座の通帳だけは手元にあることを思い出した。
凍結してしまっていたが、私も同じ銀行に口座を持っていた事もあって直ぐに私の口座に移してくれた。
姉に全て嘘だった事が分かった、子供たちを返せと電話をした。
すると姉は『わー、良かったー!やっと家族で生活出来るんだねー。ずっと待ってたよー』と、気持ち悪いほどに別人格だった。

この数年後に姉の近しい人から私に連絡があり、この時の姉の言動は恐ろしかったと教えてもらった。
姉が私の子供たちを連れて、自宅に戻ってきた時に『子供たちがここに居れば子供たちに入る保険金は全部私がもらえる』『子ども手当とかも全部もらえるってことだわ』と高笑いしながら話していたという。
そして子供たちが少しでもキャッキャとすれば『うるせーんだよ!!お前らのせいで私は座ってご飯も食えねーんだっ!!』などと怒鳴り散らしていたとも聞いた。
そして、聞くに絶えない事を子供たちに言い続けていたという。
更に私から親権を奪い取ろうと目論んでいた様で、足繁く弁護士事務所に行っていた事も後に分かった。

飛行機代を用意出来た私は、直ぐに子供たちを
取り返す為に向かった。
しかし、姉の悪あがきは まだ続く。

第四章へ…

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