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雨のち晴れ〜第二章〜

幼少期の両親の離婚、虐待、ネグレクト、そして精神疾患がある姉の奇行。
私は高校卒業後、今までの私の人生の全てを切り捨てるかのように実家を出た。

ワンルーム・ユニットバスのアパート、
誰にも汚されたくない私の城。
私は初めて 何にも縛られない、自分の思いのままに生きていい場所を手に入れた。

大好きな職種のアルバイトを見つけることが
出来、毎日が本当に楽しくなった。
そんな時ふと、高校時代にワーキングホリデーや留学に興味があった事を思い出し、バイト代を貯めて数ヶ月お休みをもらいバックパッカーで初海外へ行った。
行先はカナダ。
バンクーバー、ウィスラー、ビクトリアで
自由気ままに過ごした。
決定権も責任も自分にある、なんてワクワクするんだろう!と19歳の私は全身で喜びを感じた。
この時の経験は、今も私を助けてくれている。

帰国後、また大好きなアルバイトに復帰し
充実した生活を送った。
私のアパートの住所は、姉には絶対に教えるなと母親に釘を刺しいた。
私が留守の時に窓ガラスを割ってでも
侵入して来そうだったからだ。
それでも姉は、私に電話をしてきては
白々しく世間話を噛ませながら住所を聞き出そうとして来ていた。

そんな姉にも彼氏がいた。
統合失調症の姉は妄想がスゴすぎて、怖いくらいだ。
ゼロから話を作って、人を騙す。
本人は騙してるつもりは無い時もあるし、
完全に騙しにかかってる時もある。
私のアルバイト先に姉の彼氏が乗り込んで来た時があった。
『おいっ!おまえっ!!〇〇の話を もっと聞いてやれよ!母親とグルになって無視しやがって!しかも、〇〇から金巻き上げてるらしいなっ!!
〇〇が優しいからって付け上がってんじゃねーぞ!!』と…。
あぁ、またか と、瞬時に理解した私は
姉の彼氏に『ウチの事に首を突っ込みたいなら、内情を全て分かった上でお願いします。中途半端に首突っ込むんじゃねーよ』と、返答。
そんなやり取りをしてる時に、当事者の
姉が登場。
顔が青ざめ、慌てふためいて、でも猫なで声で
彼氏に『もぉ行こう?ね?もぉ いいから。帰ろう?ね?ね?』と鼻息の荒い彼氏を外に連れて行った。
私は お金も服も下着も化粧品も手当り次第に盗まれてるのは こっちなのに…とぼーっと考えていた。

そんな事も 定期的にありながら、私は
ひとり暮らしを満喫していた。
カナダの後には、離島で住み込みバイトしてみたいと思い立ち、また数ヶ月お休みをもらい
住み込みバイトに行ったりもした。
3食お酒付き、16万円のバイト代は 一切使わず、めいっぱい楽しんで しっかり稼ぐことが出来た。

幼少期の がんじがらめの生活から解放され、
思うままに人生を楽しんでいた時に、色々な人との出会いもあった。
今思えば、男女年齢問わず全て良縁。
感謝してもし切れない程に、良い人ばかり。
そんな出会いの中で、夫となる人にも出会った。

ファーストコンタクトは電話だった。
初めて聞く声なのに、どこか懐かしく感じる声だった。
見た目、服装、趣味も 今まで お付き合いしてきた人とは真逆。
…なのに、ものすごく居心地がいい。
そのままの私で居られるとは、まさにこれ。
ボソッボソッと話す内容も、なんだかすごく
面白い。

ひとり暮らしを始めて、自分の家は
自分のサンクチュアリである事と、自分以外の
人間と住むのは、もう二度とごめんだと思っていた。
でも、この人は違った。
初めて 一緒に住みたい、一緒に生活がしたいと思った。
出会って半年、一緒に住むことになった。
引っ越し当日、荷物を新居に運び入れてる時、
夫は嬉しさのあまり少し泣いた…と 後に聞いて腹を抱えて笑った。

同棲をして1年後、友達から『2人でウチ会社に来ない?』と誘いを受けて、新天地へ引っ越しをした。
2人で働いているから、面白いほど貯金が増えていった。
週4で居酒屋や焼鳥屋、ラーメン、なんて
外食三昧していたが、しっかり貯金が出来ていた。

新天地に引っ越して1年、入籍した。
特にプロポーズも無かったが、私たちらしい
居心地の良い流れだった。
その1年後、夫の転勤で大移動となった。
実家からも地元からも、ものすごく離れた土地への引っ越し。
心がスっと軽くなる感覚だった。

大移動から半年後、長男が産まれた。
昔から赤ちゃんより動物の方が可愛いと
思っていた私は、長男が産まれるまで
『可愛いって思えるのかな』と少し不安だった。
産まれた我が子を抱いた瞬間、母性が…
とまではいかなかったが、日を追う事に
目の前の小さくてか弱い それでいて爆発的に
大きな存在感の塊にフツフツとグツグツと
母性が湧き出てきた。
退院する頃には『世の中は危険がいっぱいだから、口の中で育てたい』と真剣に考えていた。数年後には長女、次男と産まれ、その度に
過保護が度を増していった。
それと同時に、実母に対して軽蔑する気持ちが
より強くなった。

長男を妊娠した時から、姉の様子が更に
おかしくなった。
姉は、私の職場に乗り込んできた彼氏と結婚したが子供は居なかった。
厳密にいうと、結婚して直ぐに妊娠したが
『まだ遊びたい』という理由でおろした。
しかも人目に付きたくないからと、郊外の静まり返った廃墟のような産婦人科で堕胎手術を受けた。
そこでの処置が良くなかったようで、子宮にキズが付き不妊になってしまった。
自分の選択ミスが起こした事だが、そこは
健常な精神状態ではない姉のことだ、
理由は自分に都合が良いように塗り替えられ
『お母さんが産むなって言ったから 堕ろしたんだ!』などと騒いだ。
『お母さん、もう私の事なんて可愛くないんでしょ?!産まれてくる赤ちゃんだけが可愛いんでしょ?!』『私なんて死ねばいいと思ってるんでしょ!』『今、レストランにご飯食べに来た。お金がないから捕まる。お母さんが お金くれないから こーなった』などと1日に100回以上実家に電話をしてきたらしい。
あんなに姉を庇いまくってた姉の旦那は、
この時すでに見て見ぬふりをしていた。

姉の奇行は、この時を境にエスカレートしていった。
私に電話をしてきて『お母さんが アンタのこと こんな風に言ってたよ!私が止めたけどね』『お母さんは、アンタのことも孫たちのことも可愛くないんだって。ひどいよね』
『お母さん、孫たちの誕生日プレゼント、買いたくないって。私からあげるからね』
『お母さん、孫たちに お年玉あげたくないって言ってる。ホント酷すぎるよね!私から あげるからね』…と、こういう内容の電話が ほぼ毎日来ていた。
母親の方には、私が母親の悪口ばかり言っていて孫も会わせたくないと言ってると作り話をしていた。
実際には、母親は孫たちへのプレゼントや
お年玉を姉に預けて送ってもらうようにしていた。
しかしそれは、孫たちの手には届くことはなかった。
プレゼントは未開封でリサイクルショップに売られ、お年玉は そのまま姉の懐に入っていた。

姉は とにかくお金に異様なまでに固執していた。
しょっちゅう合鍵で留守の実家に入り、家中を荒らして お金を探した。
それでも足りない時には発狂しながら
母親の職場にまで電話をして お金を要求していた。祖母の年金まで 丸々盗んだことも何度も
あった。
母親も母親の内縁の旦那も、姉を気持ち悪がり 怖がり、いいなりになっていた。
見るに見兼ね、私は姉の旦那に伝えたが
返ってきた言葉は『ま、みんな
ハッピーなら それでいいんじゃない?』と
まともとは思えない返答だった。

姉は、自分の職場の社長や 私たち姉妹が幼い頃に家を出ていった父親にも連絡をとり、壮大な作り話をして合計何百万円ものお金を得ていたことも発覚した。
真実を知った父親は『そうか…あの子は寸借詐欺をしていたのか』と 電話口で うなだれていた。

数年後、私たち家族が姉の標的になった。
そして私の人生で最大の事件が起きた。
第三章へ続く…

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