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フライングサパ感想メモ

劇場で1回・Blu-rayで1回観ましたよ〜
文章書くの久々すぎてまとまらないのでラストに対する簡単な意見だけです
※円盤が手元にないのでセリフはうろ覚えで書いてます

不穏な音楽、緻密に作り上げられた世界観、SFディストピア、映像、コンテンポラリーな振り付け、全てが大好き。ラストだけ、正直「えっこれで終わり?」って思いました。手緩すぎる。生優しすぎる。ご都合主義すぎる。あそこまでやっておいて、このラストはないだろう。
このラストは上田久美子先生の本意なのか?とすら思います。とってつけたようなハッピーエンド、実は「こうじゃない」の最たる例を見せたかったんじゃないかなと勘繰っています。

総統01が「システムは完成した」と言っている以上、ミンナ・ミレナ統合システム計画は彼の思惑通り達成されたとわたしは受け止めています。
ミレナが総統01を殺したのは、「死だけが彼をその寂しさから救えるから」というのと、もう一つ、「思念統合システムが完成したので、もう肉体の生死に意味は無くなったから」ではないかと思うのです。人格さえデータ化されていれば、肉体の生死はもはや何の意味も持ちません。3万人のうちの一人として、彼のデータは保存された。それはミンナ=ミレナの中で生き続けるということ。だからミレナは肉体の命を奪うことに躊躇しなかった。

そもそも「3万人の人格がミレナと一体化したら、実際にはどんな変化が起きるのか」が明言されてないのがミソだと思うんですけど、わたしは「人格が肉体から抜かれて肉体は廃人になる」「肉体の生死が意味を持たなくなる」さらには「人格はシステムの中で生き続けられるので人類はシステムが続く限りその中で恒久的に存続できる」んじゃないかなと思っていて。人類存続の悲願達成ですね。
そうじゃないとしても、システムが完成されたら、少なくとも、ラストで描かれているような「みんなが自分の意見を好きに言えるようになる」「自分のありかたを好きに決められる」世界にはならないですよね。

ラストの、サーシャはフライングサパの船長になって恒星から恒星を旅する…というのは、ミレナ=ミンナがサーシャに見せた夢。こうだったらすばらしいよね、みんな幸せだよね、というifの世界なのではないかとわたしは思います。
サーシャもイエレナもノアも、反逆の重罪人です。記憶を漂白された上でならいざ知らず、全ての記憶を保持したまま要職に就くなんて有り得ません。ポルンカの全人格を統合したミレナがポルンカを離れられるわけもないし。

みんなが元気で生きてたらいいよね、行きたい場所に自由に行けたらいいよね、思想を制限されず好き勝手言えたらいいよね、親子が相互依存せずに自由に選択肢を持てたらいいよね、こうだったらよかったよねえ。っていう皮肉のif世界を描いたエンディングなのではないかと思いました。じゃないと世界観急転換すぎてびっくりだよ…!

サパのラストの「サパの二次創作」感がすごくて。なんなのでしょうね、あの違和感は。とりあえず、絶対こうはならないだろ!と強く思うのです。


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