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わたしの気持ちに「尊い」以外の名前をつけたい

書きかけの文章が数ヶ月間宙ぶらりんの状態で放置されていたのですが、久しぶりに「書くこと」について考えたので、このnoteを完成させようと思う。

この頃、いろんな人に文章を読んでもらえる機会が増えて本当にありがたい限りです。
わたしがめちゃくちゃ喋るタイプの人間であること、自分の頭の中が言葉で溢れてて喋り出したら止まらないタイプであること、鬱陶しがられることも多いので短所だとしか思っていなかったのだけども、じゃあ私の頭の中を占めている思考の濁流を言葉にして発信してみようと切り替えて発信してみると褒めてくださる方も喜んでくださる方も反応をくださる方もいて、なるほどこういう表現のしかたもあるのか~~と思ったり、でも全員を喜ばせることはやっぱり無理で、ひとつの発言にも賛も否もあって、(「これが好き」という話をしても「私は嫌いです」「〇〇という悪い所のことは考えていないの?」と言われることもあるし、逆にネガティブな話をして「どうしてわざわざ嫌な話を」嫌な顔をされることも勿論あるけれど、逆に「言語化されているのを読んで私も頭の中が整理された、ありがとう」「自分の気持ちを代弁してくれてありがとう」と言われることがあったり…………)言葉で表現することってなかなか難しいし一筋縄ではいかないものだな~などと思っているところです。

伝えることって大変難しいし苦労してばかりだ。吐露した本音が受け入れてもらえるとも限らないし、そもそも吐露した本音って猫被ってないから面白いもんでもないものな。

私は常に頭の中が言葉でいっぱいだし色んなことを考えすぎてしまうタイプなので、それをなんとか言葉にしたい。言語化してアウトプットしたい。それが誰かに届くなら大層ありがたいことだと思う。

だいぶ前の話にはなりますが、お題箱にめちゃくちゃありがたいお褒めの言葉をいただいたんですが、

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書きかけのnoteのタイトルと全く同じワードが登場しておお……と思った & この文を書き上げろと言われている気がしたので、なんとかまとめたいな~~と思った次第です。

言語化の方法を勉強したり理論的に学んだりは一切していないのでいいこと言えるかどうかは分からないんですが……とにかく私の頭の中は色んな考え事で常時フル稼働してる感じなので(長所でもあり短所でもあり……という感じなのですが)、特に舞台作品を見たりコンサートを見たりするとそれがもう情報でてんやわんやになってしまうんですね。脳が。

こんがらがった毛糸を解していく感じというか…………あらゆる情報でごった返してる脳内を整理する一環として文章にして外に吐き出してるという意味合いが強いのかな……??
Twitterだとものすごい勢いで書いてそのままツイートボタン押すみたいなことがありすぎて誤字脱字大魔神みたいになってますし、日本語おかしいツイートありまくりなんですが、書いてったら150字になった→じゃあ10字削ろう→どこを削る?みたいなのが脳の整理になるというか……パンパンになった脳を解放したいというか……デトックスに近い……??ような感じです。

何かの感想を書くときだったり普段の呟きだったり、自分の中でひとつ決めてあるルールがあって、できるだけ「尊い」という言葉を使わないことです(でも「エモい」はめちゃくちゃ使っちゃうんだよなあ。反省)

「尊い」のひとことでまとめるのは簡単なんですよ。

「マジでヤバかった。あーやばい最高。尊い。尊すぎて語彙力なくなったわ。最高しか出てこん。推ししか勝たんわ。」そうやって定型文でまとめてしまうのは簡単だけど、私は私の気持ちに「尊い」意外の正しい名前をつけたい。

元ツイートを見つけられなかったんですけど、先日Twitterで「クソデカ感情」という言葉は便利だけどそれに頼り続けるのは如何なものかというような話題がRTで流れてきて、それなんだよなあと思ったり。私が長文で喋り倒しているのはそういうことです。

「クソデカ感情やばいマジ尊い」
この一言でまとめちゃうのは簡単、でも私は自分の気持ちにありふれたネットスラングのレッテルを貼りたくない。たとえば「クソデカ感情って結局何?」「尊いって何?」「心を動かされたのはどこ?」と紐解いていく、どんなに長くなっても140字ツイート連投になってもいいから自分の言葉で表すようにしている。

これは例文ですが
「クソデカ感情がヤバい尊いしんどい」
を、
「憧れと嫉妬と羨望が混ざって素直になれなかったり時にはいざこざがあったりもしたけど、切磋琢磨しながら必死に追いつこうとする姿を見てると胸がぎゅっとなる」
ぐらいには言い換えられるので、長くなるけどできる限り普段からそうやって言い換えるようにしています。

「かわいい」も「尊い」、
「切ない」も「尊い」、
「感動した」も「尊い」、
のレッテルをぺたぺた貼って同じパッケージの大量生産品の感情にしてしまうのが私はどうにも悔しいので、絶対に自分の感情に名前をつけて言語化したいと思っているし、そのために必死に最適な言葉を絞り出そうとわーわー喚いているので必然的に常に喋りすぎの人みたいになっているわけだが…………。


地方に住んでいることやお金がないことへのコンプレックスやはしょっちゅうnoteにも書いているんですけど、もし逆に私が都会に住んでいるお金持ちの家の一人娘だったりしたら、こんなに文章を書いていたりしただろうかと思うことは正直あります。
これ言っちゃっていいのか?と思うのだが、あえて正直に書くと行きたいと決して綺麗じゃない感情というかバチバチの対抗心の部分も大いにあります……ね……。

何年か前、初めて観劇のために遠征した時、たった一度の舞台を目に焼き付けて頭を整理して自分の言葉を必死で手繰り寄せて感想を話していたら、何度も現場に入っている子に「よく喋るねえ(笑)うちら語彙力無くなってヤバいしんどいしか言えんかったわ~(笑)」と言われたことがあって、なんだか悔しかったんですよね。あなたにとっては何回も見た作品でも、「マジやばマジ尊いしんどいあーーーまた見よう」かもしれないけど、私にとってはたった一度、たった一回だけ、たった一枚のチケットの分まで目に焼き付けた数時間だった。
膨大なエネルギーをぶつけられて感情を動かされて「しんどい」「まじつら」「クソデカ感情」「尊い」「泣いた」で済ませていいのか、私が思ってるのは「尊い」じゃない、「しんどい」じゃない、だから自分の言葉を絞り出したかった私が笑われるのはなんだかくやしい。

というわけなので、自分の気持ちを的確に表せる言葉を探すためにいつも騒がしくやっております。




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