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余白のあるインタビューを。

大きな声で言うべき話ではありませんが、実のところ私はインタビューが上手ではありません。核心に迫るような質問も、次の話題が広がるような相槌も、取材する立場としての段取りの良さも、残念ながらどれをとっても今ひとつです。

それでも編集者になって7年目、本当にたくさんの人の話を聞き、文章を書いてきました。続けてこられたのは、出会った人たちが、その人たちの生き方がすばらしかったからです。そして、助けてくれたからです。

支えられながら、下手なりに、自分なりには目一杯に、頭と心をはたらかせてやってきた中で、「これがあった」と言えるとしたら。それは「余白」だと思います。至らなさや拙さを、いい響きでまとめてしまったかもしれませんが、ここ最近の取材にあったできごとを3つ書き留めてみることにしました。

≪自己紹介≫
北海道、十勝在住。北海道で、ウェブメディア「スロウ日和」と雑誌「northern style スロウ」の編集者/ライターをしています。ものづくり、カフェ、食、農業に携わる人たちに会いに行って書いています。

春、カヌーガイドと雑貨店を営む夫婦を取材した日。

記事をまとめる上で必要なインタビューと撮影を終えて、ノートを閉じたあとで、「良かったらどうぞ」とコーヒーを淹れていただきました。コーヒー片手におしゃべりをした中で、「あ、さっきの話ってこういうことだったんだな」とつながるエピソードがいくつかあって。ノートもペンもレコーダーもカバンにしまったまま、ただ目の前の時間を心に刻みました。

結果的にその記事の後半は、取材後のおしゃべりの中でもらった言葉をヒントにまとめています。それがインタビューだとしても、日常会話だとしても、忘れられないひと言はいつも、ノートの上ではなく心の中にあるものですよね。

初夏、小さな村で焼き菓子店を開いた店主を取材した日。

撮影させてもらった焼き菓子をちょっとずつお皿に盛り付けてもらって、もぐもぐといただきながらのインタビュー。取材先で出会うおいしいものは、楽しみのひとつです。私は相変わらず、メモをとったり、とらなかったり。最後に「お店の名前の由来になった場所があるんです。すぐ近くなので、時間があったら寄っていきませんか?」と、声をかけてもらって、その場所を訪ねることにしました。

もしその場所を見ていなかったとしても、記事はまとめられたかもしれません。だけど今、あの日を振り返ったときに浮かんでくるのは、きれいな木漏れ日と、その下を歩く親子の姿です。思い出の場所を共有してもらえたことを、とってもうれしく思います。

夏、海辺のまちでおいしい珈琲を焙煎する人を取材した日。

「うちに来てもなんにもないよ」と言われていたけど、「それでもいいから話が聞きたい」と、その人がいつも豆を焼く場所へ。誌面に載せる写真のことを考えれば、「焙煎の様子を見せてほしい」と事前に相談しておくべきなのですが、気づいたのは取材が始まってからのこと(写真がなければ文字で構成しようと割り切っていました)。段取りの悪さを発揮する私に、「あ、今から焼こうか?どの豆がいい?好きなの選んでくれる?」とひとつも嫌な顔をせず、焙煎の様子を見せてくれました。

インタビュー自体も想定より長くなりお詫びすると、「いやいや、いろいろ聞いてくれるのがうれしくて話過ぎちゃったね」とひと言。お土産に焼きたての珈琲豆までいただいて、今度は一緒においしいものを食べようと約束して、「わからないことがあったらいつでも」と言ってもらって取材はおしまい。あの大らかな笑顔を思い出すたびに、心があたたかくなります。

書き出したらキリがないくらい、私の取材はいつもいつでも、皆さんの優しさに助けられて成り立っています。至らないところが多くてごめんなさい。そして、本当にありがとうございます。

「自分や自分がやっていることに興味を持ってもらえて、文字にしてもらえるなんて、こんなにうれしいことはないよ」。

数年前、知り合いの木工作家さんからもらったメッセージが今も忘れられません。取材を受けるということに対して、前向きではない人も多くいると思います。取材NGのお店もいくつか知っているし、電話した途端に切られてしまったこともあるし、ダメ元でお願いするような場面も多々あります。ほとんど初対面のような人が訪ねてきて、根掘り葉掘り聞かれて、時間もかかるなんて、考えてみればなかなか迷惑なものですよね。

そうやって申し訳なさを覚えるとき、あのメッセージを思い出します。受けてもらえる以上は、できるだけ心をひらいて会いに行こう、できるだけいい文章を書こう。もしかすると、「話を聞いてもらえてうれしい」なんてこともあるかもしれない。それならば、いくらでも聞きたいなと思うのです。

媒体によっては、とにかくテンポ良く、たくさんの情報を集めることが必要とされるときもあります。何よりも正確さが求められるときもあります。

ただ、それが許されるとき、自分なりの視点を持って表現することを良しとしてもらえるとき、私はやっぱり、余白のあるインタビューを続けていきたいと思ってしまいます。「良かったら」と一緒に飲むお茶も、寄り道も、おしゃべりも、私にとってはかけがえのないものだから。

そういうことばかりしていると、お昼は車でおにぎりとかパンをささっと食べたり、隙間時間に道端でバタバタとメールを返したり、結局余白とは遠いあわただしさにはなるのですが。それでいいというか、それがいいなと、今は思います。

あれこれ書きましたが、「ありのままを受け入れてほしい」なんてさすがに図々しいので。充分ではないかもしれないけれど、なるべく適切なテンポで、ちゃんと準備をして、これからも北海道のあちこちを巡って、文と写真を編んでいくつもりです。

そうして編んだものを通して、もらった気持ちや時間を少しでも多く返していけたら、とてもうれしく思います。

***

このときの取材から、一年が経ちました。今は、秋の号の取材を進めているところです。先週は旭川、一昨日まで函館にいて、今週はオホーツクに行きます。北海道をぐるっと巡る夏です。

追伸、2023年7月、noteの名前のところに「編集者」と加えました。

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