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場面緘黙にとっての新年度


クラス替え後の新学期は、まるでエスカレーターで処刑場に運ばれる感じだった。大げさでなく、生きるか死ぬかの別れ目なのだ。担任の先生はどんな人か?クラスメイトは?そのなかに話せる子がいるだろうか?安心できるメンバーは?場面緘黙だと、まわりの環境、人・場所・活動の要素などで話せる度合い・自分を出せる度合いは大きく変動する。話せて安心できる一年になるか、話せなくて緊張の続く苦しい一年になるか、その中間か。

大きな環境の変化は「症状改善のための稀なるチャンス」にも、「症状が悪化するきっかけ」にもなりうる。だから新年度は、緘黙の人にとって重要な意味を持つ節目なのだ。「話せない私」を誰も知らない環境に行けば話し出せるかも。そう考えて行動し(例えば、遠方の学校に入学するなど)、実際に話せるようになった人もいる。あるいは、話せるようにならなかった人もいる。

場面緘黙という不安症状は、人も含めた環境因子に大きく左右される。また症状の変動は、まわりの環境と自分のそのときの状態との相互作用でもある。当事者の情緒の安定や不安の軽減、話したい気持ち、話す意欲が持てるほどの心身の休息などが充分満ちていなければ、環境が変わっても話し出せないこともあるだろう。

良くも悪くも、場面緘黙の症状は環境の影響を受けやすい。ゆえに、外側からの環境の微調整で改善が見込めることもあるという。もし教室で話せなくなってしまっていても、何かしらの偶発的な出来事がチャンスになることもあり得る(例えば、普段話せないことを知らない転入生が現れ普通に話しかけてくれたことで症状が改善するなど)。もちろん、症状改善をまわりの環境の変化や偶発性といった外的要因だけに頼るわけではないが、学校、家庭、専門家などから場面緘黙支援を受けていない場合、当事者自ら環境調整をすることは不可能に近い。

しかし、新年度だけは劇的な環境の変化が自動的にもたらされるのだ。できることならば新年度を活用して、何とか良い方向に向かってほしい。

そして新年度は、社会に新たな場面緘黙の子どもや大人が生まれるときでもある。もし新しい環境で話せなくなってしまっても、場面緘黙を知っていれば無闇に自分を責めることを緩和できるのではないだろうか。予防的啓発と言ってよいか分からないが、「場面緘黙という症状があること、そして、それは新たな環境の変化で起こりやすいこと」を新年度に向けて啓発すべきだと感じる(なぜ今まで気が付かなかったのだろう)。年度が変わっても急に話し出せるようにはならなかった学生時代だが、場面緘黙を知っていれば二次症状のような苦しさは軽減したのではないだろうか。今後は新年度に向けた啓発を何かできればと思う。

新年度に向けた啓発に関するご意見、ご提案などある方はお気軽に声をかけてください、是非一緒に考えたいです!



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学生時代の悩ましさ、二次症状や後遺症のような苦しい体験について、場面緘黙の啓発について、など書いています▼




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