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大臺神楽闇夜 1章 倭 3高天原の惨劇 5

高天原の火が鎮火し始めた頃…。神楽と香久耶は卑国に無事辿り着いていた。出国から卑国へ何の問題も無く帰る事が出来たのは香久耶の道案内のお陰である。此れが神楽だけなら同じ所を何回もグルグル回るので二月は掛かる。だが、一番の功労者は助菜山である。何せ長い道中ずっと二人乗り助菜山だったのだ。気を使って交替しながらどちらかが歩くと言った考えは二人には無く、二人が助菜山から降りたのは虫を追いかけて遊んでいる時か休憩をしている時だけだった。だから助菜山はモーモーと抗議したが”良し、良し。”と神楽と香久耶は頭を撫でるだけで降りようとはしなかった。此れはどうにもならぬと助菜山は腹いせに歩きウンチをした。
 そんな旅も卑国に到着した事で終わりを迎える。見慣れた田畑が一面に広がり退役した娘達が農作業に勤しんでいる。赤粉が上がっても彼女達は焦ったりはしていない。しっかり自分達のすべき事をする。必要なら召集されるだろうし何より先を繋ぐ子達を育てなければならい。だから、驚くほどのんびりである。
 テコテコ、テコテコと二人を乗せて助菜山は農道を歩く…。
「お…。神楽ではないか。帰って来よったんか。」
 農作業をしていた娘が声を掛けた。
「じゃよ。香久耶も一緒じゃ。」
「伊都瀬はどうしたんじゃ ? 水豆菜もおらんみたいじゃが…。」
「迂駕耶じゃ。帰って来よったんは我と香久耶だけじゃ。」
「じゃかぁ…。矢張り侵略じゃか。」
「分かりよらん。じゃが赤粉が上がりよったからそうじゃ。」
「とうとうじゃか…。」
「まったく…。我等が現役の時に上がって欲しかったぞ。」
 と、別の娘が言うと其処にゾロゾロと娘達が集まって来た。そして暫く閑話休題となり終わりがないので神楽はソロリとその場を離れて行った。
 広大な農地を進んで行くとやがて丸太の杭を突き刺しただけの城壁が見えてくる。此の中が俗に言う卑国である。
 卑国は他国と違い主要領土から集落が点在する様な形式では無く、主要領土に全てが集中している。だから長い年月を経て城壁が外に向かって広がって行ったのである。だから卑国の中は想像以上に広大である。
 助菜山は其の中をテコテコと歩く。中心部に向けて徐々に道が上り坂になって行く。螺旋状に作られた水路には橋が架かっている。
 テコテコ、テコテコ進むとやがて鷺(さぎ)の宮殿に辿り着く。鷺の宮殿は日三子や月三子が公務を行う場所であり日三子の寝床でもある。だから其の周りはグルリと壁で囲まれている。大きな門があり其処が唯一の出入り口である。
「さてさて…。やっと着きよったぞ。」
 と、門の前で神楽が助菜山から降りようとすると、香久耶が其れを止めた。
「どうしたんじゃ ?」
「我が行きよる…。我が皆に伝えよる。」
「…。じゃかぁ…。まぁ、香久耶がそう言いよるんなら任せよる。」
「うん…。」
「良い。なら我は安高(あたか)の茶屋迄団子を食べに行きよる。なんかありよったら来ると良い。」
「分かりよった…。」
 と、香久耶は助菜山から降りると中に入って行った。
 門兵の役を担う二人の娘がテクテクと歩いて行く香久耶を見やり、神楽を見やる。
「神楽は入りよらんのか ?」
「話は香久耶に任せよる。」
「矢張り侵略じゃか。」
「じゃよ。伊都瀬も水豆菜も迂駕耶に向かいよった。」
「じゃかぁ…。とうとうじゃか。」
「じゃよ…。」
「戦じゃか…。フフフ…。我はこの日を待っておったんじゃ。」
「我もじゃ。出兵じゃ。秦兵を殺しまくってやるぞ。」
「じゃよ…。」
「じゃが香久耶は何をしに行きよったんじゃ ?」
「伊都瀬の伝言を伝えにじゃ。」
 と、神楽はジッと中を見やる。
「其れはいけん…。」
「じゃよ。今は三院朝廷中じゃ。華咲と都馬狸がいがみ合っておる。」
「あの二人じゃか…。」
「じゃよ。いがみ合って一月じゃ。」
「なんと…。此の非常時に阿保じゃか。まぁ良い。香久耶が何とかしよる。」
「出来よるかぁぁ ?」
「我は無理じゃぁ思いよるぞ。」
「じゃぁ言いよっても任せると言いよったしのぅ…。取り敢えず我は安高の茶屋で待ちよる。」
「じゃかぁ…。」
「じゃよ。」
 と、神楽はテコテコと安高の茶屋に向かって行った。 
 助菜山に跨りテコテコともと来た道を戻り町に入ると色々な店が建ち並ぶ場所に入る。安高の茶屋はその中にある。神楽は助菜山から降りるとテクテクと中に入って行った。
「神楽。なんじゃぁ帰って来よったんか。」
 ニンマリと笑みを浮かべ安高が言った。店の中は旅の者や行商人やら娘達で溢れかえっている。忙しなく小さな娘達が団子やら花水を運んでいる姿が神楽には懐かしく映る。
「じゃよ。相変わらず繁盛じゃな。」
「当たり前じゃかよ。久しぶりにどうじゃ。」 
 と、安高は栗パンをこねる手つきをして見せる。
「…。我は団子を食べに来よったんじゃ。」
「今は忙しいじゃかよ。」
「じゃかぁ…。」
「ほれほれ…。娘達では追いつかんじゃか。」
 と、安高は神楽を調理場に連れて行った。
 安高と神楽は非常に中が良い。と言うより安高は神楽の育ての親である。だから神楽は幼少の頃より団子や栗パン作りの手伝いをさせられて来たのだ。神楽も安高の作る団子と栗パンが大好きだったので店の手伝いをする事に嫌な気持ちは無かった。
 幼き頃は兵役が終われば自分が安高の茶屋を引き継ぐのだと本気で考えていた。神楽は適当で大雑把ではあるが手先は器用だったので団子を作るのも栗パンを作るのも得意だったのだ。
「ほぅほぅ…。暫く離れておっても覚えておるもんじゃのぅ。」
 栗と小麦を練り合わせる神楽を見やり安高が言った。
「当たり前じゃか。我は天才ぞ。」
「うんうん…。分かっておる。其れでどうなんじゃ ? 秦が攻めて来よったんか ?」
「分かりよらん。秦か…。別の国か…。じゃが侵略じゃ。」
「じゃかぁ…。其れで伊都瀬は皆を集めて朝廷じゃか。」
「伊都瀬は迂駕耶に行きよった。」
「迂駕耶に…じゃか…。なら、何故其方は此処におるんじゃ ?」
「香久耶を連れ帰って来よったんじゃ。」
「其方一人でじゃか ?」
「じゃよ…。」
「其れで香久耶は何処におるんじゃ。」
「鷺の宮殿じゃ。」
「さ…。」
 と、安高は言葉を飲み込んだ。
「伊都瀬の伝言を伝えに行きよったんじゃ。」
「伊都瀬がそう言いよったんか。」
「じゃよ。」
「真に香久耶に伝えよと言いよったか ?」
「其れは言うておらん。」
「はぁぁぁ…。何故着いて行きよらんかったんじゃ。」
「一人で行く言いよったんじゃ。」
「じゃかぁぁ…。」
 と、安高は引き伸ばした生地を釜の中に入れた。其れから暫く二人は団子と栗パン作りに集中した。
 神楽が卑国に到着したのは日が昇って暫くしてからの事である。そして気がつけば日は少し傾き始め昼食を終えた者達が店から去って行きようやくの一段楽が訪れる。神楽はやれやれと皿に大量の団子を盛り花水を持って店の外に腰を下ろした。
 神楽は店の中で食べるより外で食べる事を好む。広く青い空を見やりながら食べるのが好きなのだ。草木の匂い、川の匂い、風が運んで来る其の全てが団子を十倍にも二十倍にも美味しくしてくれる。神楽はズズと花水を飲みパクパクと団子を食べた。と、其処に負のオーラを醸し出す娘が一人…。香久耶である。 
 香久耶はなんともションボリとした様子でトボトボと歩いている。神楽は何ともバツが悪い気がしたので見ないふりをした。
「お姉ちゃん !」
 神楽を見つけた香久耶は大声で叫び泣きながら走って来た。
「うぇぇぇん…。」
 神楽にしがみつき香久耶はシクシク泣いた。
「な、何がありよったんじゃ…。」
「皆が我を除け者にしよるんじゃ。」
「除け者 ?」
 ピクリと神楽の頬がひくつく。
「じゃ…。我は、我は伊都瀬の伝言を言いよったんじゃ。そしたら我にはまだ早いじゃとか、今は朝廷中じゃから後にせえとか…。既に三千の兵を出しておるじゃとか…。我は…。我は…。」
「じゃかぁ…。話はよう分かりよった。」
 と、神楽は団子をパクリ。
「うぇぇぇぇ…。」
 と、泣く香久耶をギュッと抱きしめ”団子を食べて気持ちを落ち着かせると良い。我は少し用事がありよる。”と言って神楽は鷺の宮殿に向かって歩き始めた。
「お姉ちゃん…。」
「後は我に任せると良い。」
 と、神楽はニコリと笑みを浮かべて見せる。が、其の実内心は非常に腹が立っていた。
「其方はよう頑張りよった。後は神楽に任せると良い。」
 其れをコッソリ見ていた安高が香久耶を抱きしめ言った。
「我は全然駄目じゃ…。」
「何を言うておる。其方が役目はもう少し先じゃかよ。焦らんでええんじゃよ。」
 と、安高が言うと香久耶は更にシクシクと泣いた。
 さて、テクテクと歩き鷺の宮殿に向かっている神楽は既に鬼の形相である。だから道ゆく人は誰も神楽に話しかけなかった。
 神楽は本気で怒っている。内心では香久耶の言葉を素直に聞き入れると思っていたからだ。既に赤粉は上がっている。伊都瀬は迂駕耶に向かい。迂駕耶では今まさに戦になっているかもしれないのだ。既に出兵の準備が出来ていて当然の話。其れがどうだ…。華咲と都馬狸がいがみ合い話が先に進まず香久耶の話にも聞く耳持たず。
 香久耶から詳しく話を聞かずとも想像はつく。
 イライラ、イライラと苛立ちが募る。
 イライラ、イライラし乍歩いていたので鷺の宮殿に着いた頃には神楽の顔は真っ赤になっていた。
「あ、神楽…。」
 と、門兵の娘は言葉を飲み込んだ。野生の勘が関わるのを止めたのだ。神楽は目もくれずテクテクと朝廷の間に向かって歩いていく。
 テクテク、テクテクと歩きやがて朝廷の間に辿り着くと力一杯戸を蹴破った。

 ドン !

 と、大きな音と共に戸が吹き飛んで来る。中にいた娘達は驚きのあまり一瞬行動が止まった。
「其方らは何をしておる ?」
 皆を睨め付け神楽が言った。
「お、おう…。神楽ではないか。我等は朝廷をしておる。
 華咲が答える。
「既に赤粉は上がっておる。」
「じゃ、じゃから出兵の話をじゃな…。」
 都馬狸が言う。此の二人の返答が更に神楽を苛つかせる。
 此の二人が何故いがみ合っているのか神楽は知っている。だから余計に腹が立つ。本来なら正子を頂点とし話が進む。難攻しても伊都瀬がいれば押し切っていただろう。だが、伊都瀬不在の正子はただただ部が悪いだけの集まりに過ぎない。
 奥子は卑国の治安を維持し稚子の教育に熱心に取り組んでいる。別子は情報収集を怠らず、日々八重を裏から支え続けている。だが正子は違う。戦が無い以上正子の役目は無い。日々訓練は怠らずともそれ以外にする事がない。だから、次第に正子の発言力が低下し奥子別子の発言力が強くなって行ったのだ。
「我等は出兵の段取りを取り決めておるんじゃ。」
「じゃよ…。華咲が駄々をこねよるから話が進まんのじゃ。」
「何を言うておる ! 駄々をこねよるんは都馬狸ではないか。」
「はぁぁぁ ? 我がいつ駄々をこねよったんじゃ。我は当然の事を言うておるだけじゃか。」
 と、二人は又言い合いを始める。
 華咲と都馬狸の言いたい事は分かっている。正子の兵全てが卑国を出発すれば外敵から卑国を守るのは奥子の役目になる。外敵とはつまり盗賊や山賊の類いの事だ。華咲は自分達のすべき事が増えるので全ての兵を出兵させる事に反対しているのだ。逆に都馬狸は今直ぐにでも全ての兵を出兵させたいと考えているのだが理由が不順なのだ。都馬狸は迂駕耶にいる別子の娘を戦に駆り出すような事をしたくない。正子の兵力が少なければ必然的に別子の娘が戦に加わらなければならなくなる可能性が出てくる。だが、別子の娘は暗殺や罠を仕掛ける訓練はするが戦に対しての訓練はしていないし、そもそも戦に加われば自分達の公務が疎かになってしまう。だからこの都馬狸の主張は正しい。だから問題はもう一つの方である。
 迂駕耶から赤粉が上がったと言う事は出雲六国は全兵力を迂駕耶に出兵させなくてはならなくなるのだが、そうなると出雲六国が手薄になり外敵のかっこうの餌食となる。そうならない為に別子の娘が他国を守る役目を担う事になる。此れは八重大国と卑国との間での取り決めである。だが、実際にそうなると自分達のすべき事が大幅に増える事になる。だから都馬狸は正子の娘を別子に回せと言っているのだ。
 月三子達は必死に何方の要望も聞けぬと突き返すのだが、そうなると華咲が都馬狸が駄々をこねるからだと華咲と都馬狸が言い合いを始める。
 こんな調子で一月…。
 本来三院朝廷は日三子、月三子、闇三子、夜三子、日影、月影の娘が集まって行われるのだが、華咲と都馬狸が一月も此の調子なので夜三子と月影の娘は顔を出さなくなっていた。出来る事なら月三子達も退席したいと願っている。だが、伊都瀬がいない以上そう言うわけにも行かない。
 そして、華咲と都馬狸はこんな調子であーだこーだ。
 二人の言葉が耳に届く度に神楽の苛立ちは激しく溜まって行く。既に体に留めておける量を超えているのだろう。イライラが体から溢れ出してくる。
 イライラ、イライラと…。
 あーだこーだと華咲と都馬狸は自分の主張をぶつけ合う。
 イライラが…。
 止まらない。
 イライラ、イライラと…。
 既に我慢は…。
 そんな神楽を見やり月三子達は見ないフリをする
 イライラ、イライラと…。
 プルプルと体が震え出す。
 神楽は面倒臭いから殺してしまおうかと本気で考え始めている。
 そして…。

 ドン !

 激しい音と共に砕けた戸が宙を舞った。考えるより先に神楽はもう一枚の戸を蹴り付けていた。そして華咲と都馬狸を鬼の形相で睨みつける。
 冷や汗がタラリ…。
 華咲と都馬狸は神楽をチロリ。神楽は本気で怒っている。ピクリ、ピクリと神楽の体が小刻みに動く。神楽は一度大きく息を吸い、再度華咲と都馬狸をみやる。
 その目は冷たく静かである。だが、言いようのない怒りがヒシヒシと伝わってくる。

 此れは非常に不味い状況じゃ…。

 と、華咲は身の危険を感じた。
 冷や汗がタラリタラリ。
 そして、二人を見遣り神楽は言った。
「其方らの主張等どうでも良い ! 如何に其方らが主張を通そうと此の地支配され国無くなれば皆奴婢ぞ。我等が思い、我等が願い…。座して伝わる事無し。すべきは今であろう !」
 声を張り上げ神楽が怒鳴りつけた。と、同時に強烈な殺気が華咲と都馬狸を締め付ける。ゾクリト悪寒が走り更に冷や汗がタラリタラリと落ちる。すると皆はスッと神楽から視線を逸らし華咲と都馬狸はいがみ合うのをやめた。
「ま、まぁあれじゃ。神楽がそう言うておる。卑国の守りは我等に任せると良い。さぁ、出兵の用意じゃ。」
 とサラリ。あっさりと華咲が手の平を返した。
「良い…。我も賛成じゃ。他国の守りは我等に任せると良い。」
 と、都馬狸も其れを承諾したので月三子達はホッと肩を撫で下ろした。が、違う重圧がのし掛かっている。何とも空気が重い。
「わ、分かりよった。なら我等は兵を纏め迂駕耶に行きよる。」
「出発は七日後…。其れで良いか…。」
 と、月三子の津馬姫(つばき)がチロリと神楽を見やる。
「良い…。」
 と、神楽はそれ以上何も言わずスタスタと歩いて行った。
 神楽が出て行って暫く朝廷の間は静まり返っていた。余りの恐怖に言葉を失っていたのである。
「こ、殺されるか思いよったぞ…。」
 心臓をバクバクさせながら都馬狸が言った。
「な、何を言うておる。あのまま突っぱねておったら間違いなく殺されておったじゃか…。あれはそう言う娘じゃ。」
「やっぱりじゃか…。」
「じゃよ…。安高の育て方が悪過ぎじゃか…。」
「何を言うておる。母親は其方ではないか。」
「産みの親より育ての親じゃ。」
「子は産みの親に似るもんじゃ。」
「これこれ…。我はおしとやかで有名じゃ。」
「?…。どの口が言うておる。」
 と、華咲と都馬狸がつまらぬ話を始めた頃、神楽は安高の茶屋には戻らず稚子院に向かって歩き始めていた。
 稚子院は奥子が公務を行う蛸の宮殿の敷地内にある。宿舎も其の中にあるので所有面積は驚く程広い。と、言っても其の九割は稚子の教育に使用されているので宮殿と呼ばれている蛸の宮殿は鷺の宮殿の四分の一程の大きさも無い。つまりは小屋の様な建物が蛸の宮殿なのである。
 神楽はテクテクと歩き稚子院に向かう。町と呼ばれる場所から離れた場所にある鷺の宮殿から更に山道を登り木々が生い茂る場所に入る。其の道を更にテクテク歩き続けるとやがて大きな門と塀が見えてくる。蛸の宮殿の入り口である。
 神楽は中に入ると宿舎には行かず、中央広場に向かってテクテク歩く。賑やかな声が徐々に大きくなりやがて中央広場で修行をしている稚子達が目に飛び込んで来る。神楽は其の中を更にテクテクと歩く。
「神楽じゃか。いつ帰って来よったんじゃ。」
「今じゃ。」
「戦じゃか ?」
「じゃよ。」
 と、声を掛けてくる稚子達に返答し乍神楽は進む。やがて大きな銅鐸が吊るしてある場所に辿り着くと神楽は其処で歩みを止めた。
 そして力一杯銅鐸を鳴らす。
 ゴーン、ゴーン、ゴーンと荒々しく銅鐸の音が響き渡る。銅鐸の音が鳴り響くと宿舎で修行をしている稚子達、広場で修行している稚子達、皆がその作業を止め銅鐸の場所に集まり出す。
「な、なんじゃ…。銅鐸がなっておるぞ。」
 宿舎で稚子達に修行をつけている奥子の娘が首を傾げる。其れと同時に嫌な感じが胸中を締め付ける。
「これこれ…。行ってはいけん。」
 と、娘達が言っても稚子達は言う事を聞かない。何故なら其の鐘を誰が鳴らしているのかを知っているからだ。荒々しく特徴のある鳴らし方は神楽が鳴らしていると言わんばかりの鳴り方で響き渡っている。
 稚子の娘にとって神楽は憧れであり英雄なのだ。つまりカリスマなのである。その神楽が銅鐸を鳴らしている。集まらない理由がないのだ。
「これはいけん…。非常にいけん状況じゃ。」
 と、奥子の娘達も中央広場に向かう。勿論誰が鳴らしているのかは分かっている。
 中央広場に行くとゾクゾクと稚子達が集まって来ている。稚子達を掻き分け神楽の元に行くと既に数名の娘達が神楽に何があったのかを問うていた。だが、神楽は其れには答えず銅鐸を鳴らし続ける。
「美咲(みさき)美咲…。」
 と、後から来た娘が手招きをする。
「七重(ななえ)。其方らも神楽に何か言うて欲しいじゃか。」
 と、後から来た娘達を見やり言う。
「良い…。皆も良い。取り敢えずこっちに来るのじゃ。」
「じゃ、じゃぁ言いよっても…。」
「ええんじゃ…。神楽には神楽の思う事がありよるんじゃ。」
 と、七重は神楽の周りにいる娘達を自分の元に引き寄せた。
「七重…。」
「良い…。神楽の顔を見たら分かるであろう。あれは何を言うても無駄じゃ。」
「じゃ、じゃぁ華咲を呼びに行きよるか ?」
「まだ良い。兎に角神楽の話を聞いてからじゃ。」
 と、七重は神楽を見やる。神楽は平常心を保とうとしているが、あからさまに機嫌が悪いのが伝わってくる。
 まぁ、大体の予想はつく。
 赤粉が上がり、万人隊長の神楽が此処にいる。其の理由は一つ。兵を率いて迂駕耶に行く為である。だが、華咲と都馬狸が其れを邪魔しているのだ。当然神楽の機嫌は悪くなる。と、七重は神楽が此処に来るまでの経緯を知らない。だから、そう考えて当然ではある。だが、だとして何故神楽が此処に来て稚子達を招集したのか ? サッパリと分からない。分からないから取り敢えず神楽の話を聞く事にしたのだ。
 神楽は皆が集まるのを見計らい銅鐸を鳴らすのをやめた。そしてジッと稚子達を見やり言った。
「皆よ…。集いし英雄達よ。迂駕耶から赤粉が上がり一月。既に迂駕耶は戦場である。我等侵略者を許さず。戦い続ける者ぞ。」
「応 !」
「皆よ…。今我等は一つとなり立ち上がらねばならぬ。」
「応 !」
 と、稚子達は神楽の言葉に真剣に答えている。奥子の娘達は既に不安しか無い。
「な、七重…。神楽は何を言うておるんじゃ ?」
「美咲…。華咲を呼んでくるんじゃ。此れは駄目じゃ。死ぬ気で止めねばならん。」
「やっぱりじゃか…。」
「じゃよ…。」
 と、七重が言った瞬間、稚子達が歓喜の声を張り上げた。
「戦じゃ !」
 力強く神楽が声を張り上げ叫んだのだ。七重は慌てて娘達を華咲の元に走らせる。稚子達は力一杯足で土を突く。
「今より二刻後我等は迂駕耶に向けて出兵しよる。直ぐに用意されよ。」
「応 !」
 と、稚子達は足早に宿舎に戻って行くと旅路の支度に取り掛かった。
「な、なんと言う事を…。神楽、其方はどう言うつもりじゃ。」
「言うた通りじゃ。」
 と、神楽はプイっと顔を背けた。
「言うたも何も此れは駄目じゃ。稚子を戦に出すは認めぬ。」
「我も稚子じゃ。」
「じゃが其方は万人隊長じゃか。」
「そんな理屈が通ると思うてか !」
 と、神楽は一歩も引かず七重とあーだこーだの言い合いを暫し続けていると、遠くの方から牛の大群が走って来る音が聞こえて来た。華咲が大慌てで戻って来たのだ。
「神楽 ! どう言う事じゃか…。」
 慌てて戻って来た華咲が問うた。
「聞いての通りじゃ。」
「聞いての通りも何も話は纏まったじゃか。」
「え ? 纏まったんか…。」
 思わず七重が問うた。
「纏まりよった。」
 と、華咲と一緒に来た津馬姫が言った。
「じゃ、じゃぁ何で神楽はこんな事をしよるんじゃ ?」
「分かりよらん…。」
 と、津馬姫は首を傾げる。
「そうじゃ。正子三万を出兵させる事で其方も納得したじゃか。」
 何故か着いてきた都馬狸が言った。
「じゃよ。既に七日後に出兵と決まったではないか。」
 華咲が言う。
「知っておる。じゃから其方らはノンビリ七日後に出兵すると良い。じゃが事態は一刻を争っておる。じゃから我等は二刻後に出兵しよる。」
「ふ…。」
 と、皆は神楽の言葉で何が気に入らないのかを理解した。
「いけん…。此れは次の返答に全てが掛かっておるぞ。」
 と、七重がボソリ。
「分かっておる。」
 津馬姫が答える。そして津馬姫は神楽の元に歩みより言った。
「分かりよった。我等は直ぐに用意を済ませ一刻後に出兵しよる。其れで文句は無いじゃろう。」
 冷静に津馬姫が言った。
「一刻後じゃか。」
「そうじゃ…。」
 と、冷や汗がダラリ。
「分かりよった。なら我は安高の茶屋で待ちよる。」
 と、神楽はテクテクと歩き出し安高の茶屋に向かって行った。皆は神楽の姿が見えなくなる迄ジッと見やっていた。
「流石は津馬姫じゃ。見事神楽を納得させよった。」
 七重が言った。皆は大きく息を吸いゆっくりと吐き出す。
「何を言うておる。此れでノンビリできん様になったじゃかよ。」
 と、津馬姫もテクテクと歩き中央広場を出て行った。
「しかし…。赤粉が上がっておる言うのに何故神楽が此処におるんじゃ ?」
 と、都馬狸がボソリ。
「確かに…。不思議じゃぁぁ…。」
 と、華咲が首を傾げた。と、不意に伊都瀬の顔が浮かぶ。
「真逆…。」
 と、華咲は眉を顰めた。
 赤粉が上がり一月。難攻を極めていた出兵の話を神楽は二刻もかけずものの見事に纏めあげた。此れはつまり神楽を卑国に戻した伊都瀬の作戦勝ちなのである。伊都瀬は読んでいたのだ。だから敢えて神楽を卑国に戻したのだ。
 牛車に揺られ乍ら伊都瀬はクスクスと笑っている。卑国でどんな騒ぎが起こっているのかを考えただけで笑いが込み上げて来る。
 クスクス、クスクスと伊都瀬は笑う。其れを見ていた榊は首を傾げ乍ら”伊都瀬は何をあんなに楽しそうに笑うておるんじゃ”と水豆菜に問うた。
「そろそろ神楽が卑国に戻っておる頃じゃからじゃ。」
「卑国に… ? 其れで何で笑うておるんじゃ ? 卑国に帰ってからが大変なんじゃか…。我は心配しかないぞ。」
 と、榊が言うと”其方もまだまだ青いのぅ。”と言って水豆菜もクスクスと笑った。そして日が沈む少し前…。正子三万の兵は無事卑国を出発したのである。

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