大臺神楽闇夜 1章 倭 3高天原の惨劇6
久しぶりに雨が降った。否、此れは台風である。強い風に殴りつける雨。その雨が高天原を焼く火を鎮火させた。
生き残った八重兵と民は予め決めておいた場所に集まり火が治るのを待っていた。が、此れからどうするのか ? 美佐江はいない。娘達もいない。必死に作った罠も全て焼かれてしまっている。火が消えれば敵が攻めて来る。皆はそう考えている。
一月も続いた山火事。本来なら生存者等いないと考える。だから、来た道を戻り倭人達は迂駕耶を目指すはずなのだが、泓穎達の退路は八重兵達が既に奪っている。森の中には複数の罠が仕掛けてある。泓穎は既に煮湯を飲まされているので念の為森も焼いていた。だから、まだいるのである。泓穎達は中集落にて火が鎮火するのを待っているのだ。
だからと言って泓穎達が消し炭になった山を探索するかは不明である。だが、民は皆不安である。せめて娘達がいればとも思うが集合場所が山の中だったので娘達との合流は果たせていない。
幸いだったのは山の中にある河原が集合場所だった事だ。そのお陰で皆が炎に焼かれる事も食料に悩まされる事もなかった。だが、此の状況では流石に打つ手は無い。
「雨だ…。」
「火が消えるだぁよ。」
「倭人さ攻めて来るだぁよ。」
「だども、ごの火事だ。皆焼けじんだ思うでおるじゃぁよ。」
「だったらええだ。だどんも奴らさの事だ。死体さ見に来るかもしれね。」
「だよ。」
「だったらどうするさ。罠さ焼けただよ。」
「それだぁよ。娘さおれば…。」
皆が皆不安の言葉を口にする。
先の戦で既に兵士の数は千を割った。民は辛うじてその大半が生き残っているが、此れでは話にもならない。兵士達は少しでも勇気づけようとするが良い言葉が思いつかない。罠を張るにも山は消し炭である。其れに高天原にいる八重兵は海軍である。陸地専用兵では無い。罠を張るにもその知恵が無かった。出来る事があるとすれば一人でも多く迂駕耶に逃す事ぐらいである。だから、兵士達は話し合い民を逃す事に決めた。
「皆よ。良く聞け。嵐が止めば川の氾濫も治るだろう。そうなれば川を下って行く事が出来る。其方らは川を下り逃げよ。」
兵士が言った。
「何言うてるだ。儂らにげね。」
「そうだ ! 儂らにげね。」
「駄目だ。逃げろ。無駄死にするだけだ。儂らが倭人を食い止める…。だから…。」
「阿保言うでねぇぞ。儂ら逃げたら美佐江や迫らぁは無駄死にだかや。阿保言う暇あんなら策考えろ。」
「そうだ ! 策かんがえろ。」
「皆よ…。気持ちは分かる。だが、儂らは海軍だ。娘達の様に策は持っておらぬ…。其れに倭人は儂らが死んだと思うておるかもしれぬ。残った我等が倭人に攻撃を仕掛けに行く。その間に川を下り下集落を越え更に進むとオノゴロ島に行く港がある。」
「オノゴロ島に行ってどうするだよ ?」
「迂駕耶に行け。」
「行かねぇだ。わしんら戦うだぁよ。」
と、民達は頑なである。
「だよ。わしんらの土地さ奪われて…。応応応とは言えねぇだ。」
「此れはわしんらの名誉の戦だぁよ。」
「そんだ。わしらの名誉汚されてええわけないだがよ。」
此処には既に男女の差はなく、誰かが守ってくれると惚けた者も居ない。侵略者を前に…。現実を目の当たりにした民達は一人一人が英雄として此処に居た。
「分かった。共に戦おう。だが、既に罠は無く。儂らに策は無い。」
「考えるだよ。皆で知恵さ出すだよ。」
そして激しく雨が降りしきる中…。皆は何が出来るのかを必死に考えた。
雨はバチバチと地面を叩きつけ、風が激しく唸る。黒い雲は空一面に広がり日の光を閉ざす。昼間にも関わらず薄暗く、そして寒い。皆は適当な洞窟に身を宿した。
此の雨は三日続き四日目の朝には嘘の様に晴れた。台風の影響で一気に低下していた気温は瞬く間に真夏の日差しに変わり、ジョボジョボになった全てを乾燥して行く。
「雨が止んだだぁよ…。」
真夏の空を見やり民が言った。
「んだよ。ー結局さ何も考えつきよらんかっただぁよ。」
「んだな…。」
と、皆はゾロゾロと洞窟から川を渡り森に向かって行く。森に行けば何か妙案が思いつくかもと思ったからである。だが、其処にあるのは消し炭になった大量の木々と逃げ遅れた動物達の死骸だけである。
「あんれまぁ…。」
「焼け野原だぁよ。」
「またくだ…。ワジ…。良ぐごこで遊んだぁよ。」
悲しそうに木々を見やる。
「ワジもだ…。木さ登って虫とっただよ。」
と、木に触れジッと天を見やる。
「だよ…。全部燃えてしもたがよ。」
「ワジらの思い出奪われてしもたがよ。此の山さ登っておっとうと…。」
と、言った娘の目からポロリ涙が溢れる。悔しさと悲しさが込み上げて来る。コツンと木に額を当て声を出すのを我慢した。
「許せね…。」
「許しちゃなんね。」
と、泣く民のギュッと抱きしめる。そしてクスリと笑った。
「な、何が可笑しいだがよ。」
「ず、ずまね…。だどんもおめさの顔…。」
と、言ったので皆が顔を見やりそして笑った。
「な、なんだぁね。皆さして。」
「お、おめさ顔真っ黒だがや。」
「顔 ?」
と、手で顔を拭く。すると皆は更に笑った。
「な、なして笑うだよ。」
「お、おめ…。真っ黒だがや。先より真っ黒だ。」
「えー。」
と、自分の手の平を見やり、そして木を見やる。皆はゲラゲラと笑っているが娘は違った。
「これじゃ…。」
と、娘がボソリ。どうやら娘は妙案を思いついた様である。
さて、その頃三佳貞達はと言うと集合場所に戻る道中をテクテクと歩いていた。本来なら船を焼き皆と合流するはずだった。だが、ゴウゴウと燃え盛る炎が退路を断ち、偶然の台風の所為で戻る事が出来なかった。
三佳貞達は第二砦より遥か北の浜辺に上がり倭人達の追撃からは逃れる事は出来たのだが、山火事で退路が断たれていたので又第二砦付近迄戻る事にした。燃えていない山を探す為である。だが、偶然にも燃えていない山はなく三佳貞のみならず皆が愕然とした。
「倭人が燃やしよったんじゃ。」
皆が皆口々にそう言った。だが、此れだけの大規模な火事である。泓穎達も退路が断たれているのは確かである。問題は此れで皆が焼け死んだと思い第二砦に戻って来るのか ? 其れとも焼け死んだ死体を確認しに行くのかである。
何にせよ…。
美佐江がいる。
美佐江がいる以上何らかの策を考える。三佳貞は其れで少し安心していた。だからと言ってノンビリはしていられない。どれだけの兵が死に、どれだけの民が死んだのか…。仮に倭人が山や森を燃やしたのなら、其れは兵や民を焼き殺す為では無い。仕掛けた罠を燃やす為である。
だったら…。
倭人は間違い無く追い込みを掛けてくる。
だが、そんな事を本当にするのだろうか ? 山や森を焼けば食糧となるその全てが燃えてしまう。自ら退路を断ち食糧を捨てる様な事をするのだろうか ? 確かに付近に川はある。川があるから魚は取れる。だからと言って数千、数万の兵の腹を満たせる程の魚はいない。もしかしたら第二砦に戻るついでに燃やしたのかも知れないが、其れなら倭の軍勢は既に第二砦に戻って来ているはずである。幾ら退路を絶ったとは言え山道を塞いだだけの事…。森の中を進めば戻る事は出来る。罠を仕掛けてはいるが全滅させられるだけの罠では無い。三佳貞の中で疑問がピョンピョンと跳ねる。
もしかしたら其の多くは餓死しているかもしれない。だったら倭人は追い討ちを掛けず第二砦に戻る。其れなら体勢を立て直すのも容易である。
「皆よ…。我は中集落に寄ろうと思いよる。」
思い出した様に三佳貞が言った。
「中集落じゃか ?」
「じゃよ…。山火事の所為で戦況が分からん様になっておる。」
「戻って美佐江に聞けばええじゃか。」
日美嘉が言う。
「駄目じゃ…。美佐江は集合場所におる。彼処からじゃと現状を把握する事は出来よらん。」
「ん〜。まぁ、確かにそうじゃが…。倭人は第二砦に戻っておるじゃかよ。」
日美嘉は態々中集落に寄るのが面倒臭いのだ。
「確かめねばいけん。良いか…。憶測で考えるは愚かじゃ。倭人が第二砦に戻っておるなら其れで良い。じゃが、其れらしき影も足音も聞こえてこん。」
と、三佳貞に言われ日美嘉はプクッと口を膨らませた。
「じゃぁ餓死しよったんじゃ。」
多間樹が言った。
「かも知れよらん。」
「じゃったら我等の勝ちじゃか。」
貞人耳が言う。
「じゃよ…。何にしよっても確かめねばいけんのじゃ。」
と、三佳貞は進路を中集落に向けた。
其れから暫し歩き続け中集落付近にまで辿り着く。三佳貞達は腰を屈めソロリ、ソロリと近づいて行く。何処かに身を隠し乍ら進みたいのだが木々も草も何もかもが炭である。大きな石がチラホラと焼け残っているが都合の良い場所には無い。
三佳貞達は注意を払いながら徐々に徐々に近づいて行く。途中でピタリと止まり集落付近をジッと見やる。敵の姿がない事を確認して又進む。そんな事を繰り返して中集落の門前にまで辿り着く。三佳貞達は巨大な落とし穴を見やる。中には竹槍に刺さった兵士がジューシーな感じに焼き上がっていた。
「何ともじゃぁ…。」
多間樹がボソリ。
「しっかり落ちておるじゃかよ。」
日美嘉が言う。
「じゃよ…。」
と、娘達は落とし穴をピョンと飛び越え中を見やる。
「三佳貞…。倭人は何処じゃ ?」
中を見やり乍ら春吼矢が問うた。
「分かりよらん…。」
と、三佳貞はスタスタと中に入って行く。
「三佳貞…。迂闊に入るは危険じゃか。」
日美嘉が言う。
「此処に倭人はおらん。既に発った後じゃ。」
チロチロと目を左右に動かし乍ら答える。
「発ったじゃか ? 何処にじゃか ?」
「第二砦か…。山か…。」
三佳貞はテクテク、テクテクと周りを見やりながら歩く。竹槍ミサイルで所どころ破壊された形跡がある。此処で戦が行われたのは間違い無かった。地面に血の跡は無いが其れは三日間降り続いた雨が綺麗に流したのだろう。なら、策は上手くいったのだ。そして皆は策通り山に…。
なら、推測通り火は倭人達が放ったのか…。
と、三佳貞は更にテクテクと歩く。そして倭人達が此処で食事をしていた痕跡を見つけた。
「焚き火の後じゃ…。」
と、三佳貞はそっと薪に触れる。薪はまだほんのりと温かい。此処で飯を食った証拠である。「今の今迄此処にいた…。」
と、三佳貞は首を傾げた。その理由は矢張り食糧である。彼等は一体何を食べ飢えをしのいだのか…。数ヶ月分の食糧を持って攻め込んで来たのだろうか ? 否、其れはありえない。彼等は長い航海を経て此処にいる。数ヶ月分の食糧等あるはずがない。
なら、家畜を食べたか…。
彼等は馬に乗り移動する。その馬を食べた可能性は高い。だが、それだけでは皆の腹は膨れない。
何とも奇妙だった。三佳貞はキョロキョロと周りを見やり乍ら更にテクテクと歩く。餓死した骸を探しているのだ。だが、骸は見当たらない。其れ何処ろか戦死した骸も無い。本当に此処で戦があったのかと疑いたくなる程に死体が無かった。三佳貞は更にテクテク歩きやがて集落の中央に差し掛かろうとした時、何とも不快な臭いが鼻を刺した。
「う…。なんじゃこの臭いは。」
と、三佳貞は臭いがする方へとテクテクと進む。
そして…。
三佳貞は集落の中央広場で歩みを止めた。
ブルっと体が震えた。数えきれぬ首が山の様に積まれていたのだ。其の首は既に腐敗しておりウジやら変な虫が其れを喰らっていた。そして、其の山の前に杭に刺された首が一つ…。既に腐敗しているが三佳貞には其れが誰なのかが直ぐに分かった。
「美佐江…。」
グッと拳を握りしめる。ブルブルと体が震える。言いようの無い感情が体を駆け巡る。
「なんなんじゃ…。なんなんじゃ此れは…。ーー眞姫那…。此れが戦じゃか。此れが侵略じゃか…。我は…。我は…。」
プルプルとプルプルと体が震える。
「三佳貞。なんじゃか此のに…。」
と、後からやってきた娘達も此の異様な光景に言葉を失った。
腐敗した首から漂う不快な臭い。其れに群がるウジやら変な虫。積まれている首の数は十や二十ではない。恐らく百は超えている。だが、三佳貞にとっての問題はそこでは無い。美佐江の首が杭に刺されている事でも無い。三佳貞に取っての一番の問題は其処に大量の臓器…。腸(はらわた)が捨ててある事である。
「三佳貞…。其の首は美佐江じゃか ?」
多間樹が問うた。
「じゃよ…。」
「嘘じゃ…。」
と、皆は美佐江の死を悲しみシクシクと泣いた。
「美佐江の体を探してやらねば…。」
と、日美嘉がトボトボと歩き出す。
「そうじゃ…。美佐江の体じゃ。」
と、皆はキョロキョロと周りを見やりながらトボトボと美佐江の体を探し始めた。そんな中三佳貞は一人クスクスと笑い乍美佐江の首を杭から引き抜いた。
「何がおかしいんじゃ ?」
そんな三佳貞を見やり春吼矢が問うた。
「体なんぞある訳ないであろう。」
と、美佐江の首を首山に置く。
「無い訳無いじゃかよ。」
「無いと言うておる。」
と、三佳貞は更にクスクスと笑う。
「何を言うておるんじゃ三佳貞。」
「そうじゃ。体を探してやらねば美佐江が…。」
貞人耳が言う。
「刻の無駄じゃか…。」
「何を言うておる…。何でじゃ…。何で美佐江の体が無い言うんじゃ ?」
「倭人が食うたからじゃ…。」
何とも言えぬ冷たい声で三佳貞が言った。
「倭人が美佐江を…食うた ?」
三佳貞の言葉は娘達にとって衝撃が強すぎた。人が人を喰らう。豊かな国である八重国と卑国の人にとって其れは蚊帳の外の考えである。
「我は…我はずっと不思議じゃった。一月の間倭人がどうやって飢えをしのぎよったんか…。何が神の一族じゃ。何が神の王じゃ。神が人を食いよるか…。」
「う、嘘じゃかよ。ひ、人は人を食うたりせんぞ。」
「嘘では無い。その証拠に腸が捨ててあるじゃかよ。」
と、三佳貞は腸を見やる。娘達は腸を見やり言葉を失った。
娘達は必死に現実を否定しようとしたのだ。美佐江が倭人に食われた。その現実を否定したかった。
それは、辛いからか…。
それとも、悲しいからか…。
否である。
此れは屈辱であり最高の侮辱だからである。
娘達の体がピクリ…。ピクリと動く。怒りが腹の底から吹き出して来る。
「此れが侵略じゃか…。」
日美嘉は腹の底から怒っている。
「我等が鬼でも人を食うたりはせんぞ。」
其れは春吼矢も他の娘達も同じである。
「姉上達よ…。我等は屈する事許されず。我等は争う者ぞ。」
三佳貞が言った。
「応じゃ。行こうぞ三佳貞。」
日美嘉が言った。
「じゃよ…。倭人は山に行きよったんじゃろう。」
春吼矢が言う。
「我等が恐怖を植え付けてやろうぞ。」
多間樹が言う。
「じゃな…。此の地に来よった事を後悔させてやりよる。」
貞人耳が言った。
「姉上達よ…。民が待っておる。進撃じゃ !」
そして三佳貞達は山に向かって走り出した。
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