見出し画像

大臺神楽闇夜 1章 倭 2襲来3

 けたたましく銅鐸の音が鳴り響く。歩いている者は歩みを止め、作業をしている者は其れを止め、建物の中にいる者は外に出て皆が皆南の空を見やった。
 立ち登る赤粉、染まる赤い空、その空を茫然と見やり香久耶は震えた。神楽は香久耶の手を強く握り赤い空を睨め付ける。
「お姉ちゃん…。」
「大丈夫じゃ。我がおる。兎に角今は伊都瀬と合流じゃ。」
 と、神楽は手を握ったまま第二城門に向かって走り出し、ふと、思い出した様に落とした金袋を拾いに元いた場所に戻った。
「お姉ちゃん…。今はそれどころではないぞ。」
「何を言うておる。焦っても仕方無いであろう。急いだ所で迂駕耶は遥か彼方じゃ。」
 と、神楽は金袋を袖にしまう。
「確かにそうじゃが…。」
「心配しよらんでも迂駕耶には別子がいよる。八重の兵も一杯じゃ。」
 と、神楽は又第二城門に向かって走りだした。
 何も心配いらぬ。そんな感じでは言ったが内心は不安で一杯だった。そんな中、落とした金袋を取りに戻ったのは神楽がしっかりさんだからである。
 とは、言え矢張り不安である。秦は今の今まで戦をして来た国、対して八重は戦の経験は無い。此れは卑国も同じである。そんな国が天下を取った国に勝てるのだろうか ? 敵はどの様に攻めて来るのか ? 神楽には全く想像が出来なかった。
 だが、攻めて来た以上は戦わねばならない。相手がどれだけ強くとも負ける訳にはいかないのだ。そんな事を考えながら走っていると、つい紬の袖を足で踏んでしまう。 
「どぅぉぉぉ !」
 と、神楽はこけた。手を繋がれていた香久耶もつられてこけた。
「お姉ちゃん。何しとんじゃ。」
「すまぬ。ついうっかりじゃ。」
 と、神楽は立ち上がり土を払いブルッと体を震わした。
「お姉ちゃん。大丈夫じゃか。」
 不安そうに神楽を見やる。
「何を言うておる。やっとじゃ。やっと此の時が来たんじゃぞ。確かに不安じゃ。敵は強く我等は弱いからの。敵の攻め方も技も知りよらん。じゃが、我は感謝しておる。」
「感謝じゃか ? なんでじゃ。」
「我がおるからじゃ。我がおる時に来てくれよった。秦が如何に強いであろうが我はもっと強い。良いか、我等は弱い。じゃが我は強い。じゃから、香久耶はイカダに乗った気分でおればええんじゃ。」
 と、神楽は言った。が、ハッキリ言うが此れは強がりである。戦がたった一人の英雄の力で勝利出来る。そんな馬鹿げた話などないからだ。
 其れに神楽が思う不安は他にもある。其れは若倭根子日子毘々が出雲にいると言う事である。迂駕耶迄の道中はどんなに急いだとしてもは三月は掛かる。この三月は非常に大きいと神楽は考えている。王不在のまま八重は三月もの間、秦軍と戦わねばいけない。志が高く、強い意志を持った王が其処に居るか居ないかでは兵士の士気に大きく関わってしまう。
 とは言え、八重には猛将と言われる大吼比古智乃眞咫冲(こちのまたおき)がいる。この者も若倭根子日子毘々と同じく志は高いがいかんせん王ではない。
 神楽と香久耶は胸中に不安を抱え乍ら又走り出す。今度はコケない様に袖を腕に巻きつけ、パタパタ、パタパタと走り第二城門に向かった。真夏の日差しが徐々に徐々に高くなって行く。其れにつれ汗がジンワリと体から湧き出して来る。慌ただしく神楽と香久耶は町中を駆けていく。そんな中、神楽と香久耶とは逆に町の様子は落ち着きを取り戻し始めて来た。
 銅鐸が鳴り始めた直後に比べると民の様子は比較的ノンビリし始めている。赤粉が上がり銅鐸が鳴り響いても今すぐに秦軍が攻めて来る訳ではないからだ。戦場になるのは迂駕耶の何処かであり出国ではない。出国の民にとって出国に秦軍が攻めて来ない限り何処までいっても他人事なのだ。其れに渡来人の侵略など八重が何とかしてくれる…。この様な安易な考えがあったのも確かである。
 神楽はそんなノンビリとした民の態度が気に入らないでいた。確かに戦うのは兵士の務めであると神楽も考える。しかし、万が一秦軍が出雲に侵攻して来た時、此れでは勝てぬとも思っている。民であれ何であれ戦う時は戦わねば奪われるだけなのだ。誰かに助けを求めてもその手は伸びては来ない。神に祈りを捧げても何処吹く風なのである。
 そんな事を考え乍らパタパタと走り続け第二城門に着くと既に伊都瀬や若倭根子日子毘々、氷室達神が集まっていた。
「伊都瀬 !」
 伊都瀬の姿を見やるなり神楽は大声で叫んだ。
「神楽か。待っておったぞ。」
「おぅじゃ。」
 と、神楽は周りを見やり首を傾げた。神楽は既に若倭根子日子毘々や氷室達は出発していたと思っていたからだ。
「其方らは何をしておる ?」
 若倭根子日子毘々を見やり神楽が言った。
「儂等は出発前の朝廷を開いておったのだ。所で神楽はコレか ?」
 と、若倭根子日子毘々は札を捲る仕草をした。若倭根子日子毘々は大神、つまり八重国の王であるが、その権力を振りかざす事の無い気さくな男である。
 勿論権力を振りかざし暴君になれば三子に命を奪われる。だから気さくなのかと言えばそれは間違いである。若倭根子日子毘々は元々優しい男なのだ。だから神楽の不躾な言葉にも嫌な顔をを見せる事なく返答を返すのだ。と、言うのは建前で若倭根子日子毘々と神楽はたんなる博打友達なのである。
「じゃよ。今日は香久耶も一緒じゃったんじゃ。」
「そうか…。其方が一緒なら安心だ。」
 と、言った若倭根子日子毘々の表情は硬い。赤粉が上がっているのだから当然である。詰まらぬ話に花が咲く事などはない。
「其れでは伊都瀬、儂等は第一城門で待っておる。」
 そう言うと若倭根子日子毘々達は第一城門に向かって歩き出した。歩き様氷室がチロリと神楽を見やる。神楽は氷室を見やり“又後でじゃ。”と、言った。
「さて、出兵じゃな。我も行きよる。」
 伊都瀬を見やり神楽が言う。其れに対し伊都瀬は渋い表情を浮かべた。
「何じゃ…。どうしたんじゃ ?」
 と、神楽は首を傾げる。
「其れなんじゃが、其方は香久耶を連れて国に戻られよ。」
 と、言った伊都瀬の言葉に神楽の雰囲気が突如急変した。
「冗談じゃか。」
「本気じゃ。」
「なんじゃぁ、恐怖でぼけよったんか ? 赤粉が上がっておるんじゃぞ ! 既に秦軍は迂駕耶じゃ ! 万人隊長の我が行きよらんでは話にならんじゃろうが !」
「分かっておる !」
「分かっておらぬ ! 分かっておって何故我が帰らねばいけんのじゃ !」
「待て…。落ち着け神楽。」
 怒る神楽の両肩を強く握り水豆菜が言った。
「何じゃ ! 何を落ち着け言いよるんじゃ。」
「神楽の気持ちはよう分かりよる。分かりよる。じゃが、我等は今直ぐにでも迂駕耶に行かねばならん。じゃが、香久耶は連れて行けん。じゃぁ言いよっても香久耶を一人で国に帰す事は出来よらん。少なくとも百人の護衛が必要じゃ。じゃが、今は一人でも多くの三子を迂駕耶に連れて行きたいんじゃ。分かるであろう。」
「其れは分かりよる。」
「じゃから、神楽に頼みよる。たった一人で無事に香久耶を国に連れ帰れよるんは其方だけなんじゃ。」
「じゃ、じゃぁ言いよっても…。」
「大丈夫じゃ。迂駕耶には我も行きよるし、伊都瀬も行きよる。其れに神楽には別の頼みもありよる。」
「頼みじゃか ?」
「正子全軍を率いて迂駕耶に集結させて欲しいんじゃ。」
 伊都瀬が言った。伊都瀬の此の言葉に神楽の機嫌は少し良くなった。
「じゃぁ言いよっても赤粉が上がっておるんじゃ。既に国から出発しておるであろう。」
「帰れば分かりよる。中々そうすんなりとは…のぅ。」
「華咲じゃか…。其れとも都馬狸(とばり)じゃか…。」
 と、神楽は眉を顰め言った。都馬狸は闇三子を務める娘である。
「両方じゃ…。あの二人は折り合いが悪いんじゃ。巫沙妓(ふさぎ)達も華咲には逆らえよらんし。」
「分かりよった。我がバシっと決めて来よる。」
 と、言うと神楽は香久耶を連れて寝所に向かって歩き出した。道具箱を取りに行く為である。
「神楽…。其方が頼りじゃ。頼みよるぞ。」
 水豆菜が言った。
「おぅじゃ。」
 と、神楽はテクテク歩いて行く。香久耶は不安な面持ちで伊都瀬を見やる。
「なんと言う顔をしておる。其方は星三子ぞ。」
 伊都瀬が言った。
「じゃ、じゃぁ言いよっても…。」
「良いか…。戦が始まった以上我等はいつ死ぬやもしれん。我が死んだ後、其の後を継ぐのが其方じゃ。強くなられよ…。」
 伊都瀬は優しい口調で嗜め言った。
「…おぅじゃ。」
「良い…。其れでは行ってまいる。」
「おうじゃ。頑張ってじゃ。」
 香久耶がそう言うと伊都瀬はニコリと笑みを浮かべ、水豆菜と共に第一城門に向かって歩いて行った。

 さて、その頃高天原では既に海戦の準備が整えられていた。第一砦から戦船二十隻、第二砦からも戦船が同じく二十隻。オノゴロ島からは十隻。一つの船に兵士は十人。内訳は弓兵四、盾兵三、操舵ニ、指揮一である。此れは八重国が所有する全隻である。
 海軍を統括する雨廼灘越(あめのなだこし)も戦船に乗り込み迫り来る船を見据えている。美佐江達陸組は上陸された時に備え罠の安全装置を外しに山中にて作業を行い、三佳貞達は戦船付近で更に小さな船に乗り、相手船に乗り込む作戦を立てている。
 既に船団は小島を通り過ぎ、先頭を走る船は既に目前である。一時程止まっていた風が又吹き出したからだ。
「しかし、大きいのぅ…。」
 船を見上げながら三佳貞が言った。
「じゃよ…。此れは予想外じゃぞ。」
 眞姫那が言う。眞姫那達が想像していた船は自分達が天煌国に渡航する時に使う船より少し大きい程度。つまり小型船より一回り大きい程度の船を想像していた。
 が、実際見やる船は三佳貞二人、否、三人分程の高さがあり、長さは三〇mはある。三佳貞の身長が大体百五十三位なので高さは四m程である。
「ピョンでいけよるか ?」
 三佳貞が言った。
「無理じゃな…。」
 音義姉が答える。
「鉤爪で外板を登るしかないのぅ…。」
 迫り来る船を見やり眞姫那が言った。
「じゃかぁ…。其れよりなんで秦軍は二つも印を付けておるんじゃ ?」
 と、首を傾げ乍ら三佳貞が問うた。印とは軍旗等に描かれている紋章の事である。
「二つ ?」
 と、眞姫那と音義姉が幌を見やる。大きさに圧倒され印など見ていなかったのだが、確かに三佳貞が言う様に船によって印が違う。
 先頭集団の印の大半は秦軍の印である。その中に見慣れぬ印がチラリチラリと垣間見れる。眞姫那はその印を見やりブルっと体を震わせた。
「えらいこっちゃ…。」
 眞姫那が言った。
「どうしたんじゃ ?」
 音義姉が問う。
「あれは、天煌国の印じゃ。」
 と、眞姫那はその印を睨め付けた。
 天煌国。つまり倭族が支配する国の事であるが、天煌国と言う名称で呼んでいるのは八重国と卑国だけである。他の国々や部族は秦が支配している領域はそのまま素直に秦国と呼んでいる。その理由は倭族の支配領域が秦国が統一した領域以外にも及んでいるからなのだ。其れに神となった倭族に国と言う概念そのものが既に無く、全ての国や部族が自分達の支配下であると考えているのである。だから、秦国を天煌国と呼ぶ八重国や卑国の認識は間違っているといえる。
「天煌国…。」
「倭族が来た言う事じゃか ?」
 三佳貞が言う。
「じゃよ…。我は間者で天煌国に行った事がありよる。その時にあの印を見よった。あの印は間違いなく倭族の印じゃ。」
「じゃ、じゃぁ言いよっても何で倭族が来よるんじゃ ? 倭族は戦はせんはずじゃぞ。」
 音義姉が言う。
「さぁのぅ…。じゃが、来よった以上は敵じゃ。」
「じゃな…。其れでどうしよる ?」
「お尻から登るしか無いじゃろうのぅ。じゃぁ、言いよっても真後ろからは駄目じゃ。後続の船に見つかってしまいよる。じゃから、お尻の横から登りよる。」
「横から登りよってもバレてしまいよるぞ。」
 三佳貞が言う。
「じゃよ…。横から登りよっても後続船からは丸見えじゃぁ。」
「分かっておる。じゃから、登りよるんは戦が始まってからじゃ。戦が始まりよったら船の外壁等だれも気にしよらん。」
「おぉぉ…。流石は眞姫那じゃ。」
 そう言って三佳貞はパチパチと手を叩いた。
 と、そうこうしている内に巨大な船は更に大きく三佳貞達を圧倒する。船団は戦船を前に幌を閉じて船を停止させた。三佳貞達は頭を天に向ける様にして船を見やる。
 船首には多くの兵士が集まっているのが分かる。彼等も八重の兵士と同じ様に鎧を身に付け戦う準備はできていると言った感じだ。彼等の突き刺す視線が痛い。既に開戦の合図は鳴っている。
 状況から見やるに八重が圧倒的に不利である事は明らかである。船首に集まる兵士がどの様な役割を担っているのかは分からないが、秦軍は高所から矢を打てる。矛を投げる事も容易である。何より僅か二十隻程度の小型船で大量の船の進行を堰き止める事等出来るはずもない。
 なら、何故秦軍は態々船を止めたのか ? 
 世界を制したチャンピオンの貫禄と言うやつであろうか…。船団の動きはピタリと止まっている。
「我は秦国の将、麃煎(ひょうせん)である。八重国に告げる。降伏せよ。」
 船首に躍り出て来た男が言った。秦国では麃公(ひょうこう)と呼ばれている男である。
「なんじゃらほいじゃ…。降伏を勧めておるぞ。」
 三佳貞が言った。
「余裕じゃか…。勝てる思うておるんじゃ。」
「じゃな…。目にもの見せてやろうぞ。」
 と、眞姫那はチャポンと海に入ると音義姉と三佳貞も続けて海に入った。三人は気づかれぬ様に一番近くの船に向かって泳ぎ始める。そして、八重の兵は弓を構え秦軍を睨め付けていた。
「降伏するなら、武器をすてよ。」
 麃煎が言う。
「あの男は何と ?」
 雨廼灘越が横の兵士に問うた。雨廼灘越は秦国の言葉を知らないのだ。そもそも秦国の言葉を知っているのは間者として渡来する者だけである。ただ卑国は違う。稚児院で秦国…。つまり、天煌国の言葉を学ぶ為皆が天煌国の言葉を流暢に話す事が出来る。
「武器を捨て降伏せよと…。」
「降伏…。以外と呑んびりだな。其れとも王者の余裕か…。」
「勝てぬ戦はするなと言う事でしょうな。」
「確かに…。その通りだ。」
 と、雨廼灘越はニヤリと笑みを浮かべる。
「見せてやりましょうぞ。我等が力。」
「当然だ。ー 銅鐸を鳴らせ ! 弓兵打ち方用意。」
 と、雨廼灘越は剣を抜き天を突き刺す。其れとほぼ同時に銅鐸の音が鳴り響く。
「第一射 ! 放て !」
 其処からの行動は早い。軍隊長が直ぐさま弓を撃たせ戦船の幌が上がる。秦軍は銅鐸の音が鳴ると直ぐに前衛部隊に盾を構えさせ、弓兵は天高く矢を放った。秦軍の此の行動の速さは降伏を促し乍らも既に攻撃態勢を取っていたと言う事である。
 幌を上げ直ぐ様移動に移るが、天から降り注ぐ矢に多くの兵が死んだ。海軍が見に纏う鎧は銅製ではなく綿襖甲(めんおうこう)である。綿襖甲とは、綿で作られた安価な鎧であるが、此れは軍事費をケチっての事ではなく、銅製の鎧を付けて海に落ちれば溺れ死ぬからである。
「何が降伏しろだ。ちゃっかり攻撃態勢をとっておるとは…。」
 と、言い乍ら雨廼灘越は周りの状況を見やる。
「船を止めるな ! 動かし続けろ !」
 軍隊長が叫び乍ら銅鐸を鳴らし続ける。操舵手が船を巧みに動かし、弓兵はその中で矢を放つ。だが、秦兵の持つ盾の前では無力だった。だが、逆に秦兵の放つ矢は八重兵の盾を簡単に突き抜ける。盾は綿でもなければ木製でもなく銅製である。
「船を近づけさせろ ! 離れては矢にやれてしまうぞ !」
 雨廼灘越が指示を出す。幸いな事に秦軍の船は動きが鈍い。幌を上げるのにも戸惑っている感じだ。矢は雨の様に降り注ぐが、全ての船から矢が放たれている訳ではない。攻撃して来ている船はたったの四隻。第一砦の戦船二十隻相手にである。
「始まりよった。」
 鉤爪を船の外壁に引っ掛け様子を見ていた眞姫那が言った。
「おうじゃ。」
 音義姉が言う。
「行きよるぞ。」
 そう言うと眞姫那は鉤爪を使い船を登り始める。外壁を登り暫くすると船が動き出した。
「眞姫那…。後ろの船も動き出しよったぞ。」
 船の後方を見やり三佳貞が言った。
「皆、急がれよ。」
 と、眞姫那達は急いだ。
「もう少しじゃ…。」
 と、眞姫那は手すりに手を掛けて甲板の様子を探る。読み通り後方に兵は居ない。眞姫那は二人に指示を出し甲板に辿り着いた。
「はぁぁ…。広いのぅ。」
 着くなり驚いた様子で三佳貞が言った。五十人もの人を運ぶのだから当然広い。だが、この広さは外からでは分からないものである。
 秦国が建造した船は戦を主としたものでは無く、あくまでも渡航する為のものである。だから、八重国の戦船の様に取り回しは良く無いが大きく安定感があり、何より居住する為の船室が非常に大きい。船員達の船室は主たるジャンク船と同じ様に甲板の上にある。中央よりやや後方に設けられた船室は左右の柵付近まであり、船室の壁と柵までの幅は人一人分程度である。そして、その船室の上に一回り程小さな船室があるのだが、三佳貞達には其れが船室の二階部分であると言う認識は出来ていない。理由は八重には二階建ての建造物が無いからである。
 さて、後方部分から船室を見やると船室の前に下に降りる階段がある。船倉に続く階段である。その周りには紐で縛られた甕が沢山置いてある。恐らく水を確保する為の物だ。
「まったく…。どえらい船じゃぞ。」
 船室を見上げ乍ら音義姉が言った。
「じゃな…。さて、どう攻めよるか。」
 と、眞姫那は左右の通路を見やる。が、此処からではその先の状況を知る事が出来ない。続いて船室を見やると大きな窓が三つあるのが見えた。
「あの窓からいけよらんか ?」
「窓じゃか…。じゃぁ言いよってもあの中で暴れても意味が無いぞ。」
「入りよるんは三佳貞だけで良い。我と音義姉はあの通路から行きよる。」
「ん ? 何で我は中なんじゃ ?」
「三佳貞は鐘じゃ。あの通路から行きよっても状況を知る事は出来よらん。じゃから、中に入って良き場所を探されよ。」
「成る程じゃか。分かりよった。」
 と、三佳貞は身を屈め船室迄行くと窓からそっと中を見やった。戦中だからであろうか中には誰もいない。三佳貞は後ろでに振り返ると首を縦に振った。
「覚悟は良いな…。」
 音義姉を見やり眞姫那が言った。
「今更じゃか…。」
「じゃな…。我は右。音義姉は左じゃ。」
「おうじゃ。」
 と、二人は二手に別れ船室の壁に身を寄せ、三佳貞は窓から船室に侵入する。三佳貞が無事に侵入した事を確認すると二人は中央に向かって走り出した。
 船室を壁とする通路は予想よりも長い。それだけ船室が大きいと言う事だ。だが、既に目前の状況は見えている。
 柵から身を乗り出しながら弓兵が弓を射る。慌ただしく矢の補充に走り回る兵士。戦況は先程迄と違い盾を構える兵士はいない。此れは八重国の戦船が前方から船の横に移動したからだ。
 八重の戦船のその向こうには自軍の船が走っている。その為甲板中央から弧を描く様に矢を射れば自軍の船に矢が当たってしまう。其れに分散した戦船を弧を描く軌道で狙うより直接狙う方が理にかなっている。だが、秦の兵士は不安定な場所からのショットは不慣れ、逆に八重の兵士は船から矢を射る訓練をしていただけの事はあり上手く秦兵を射抜いていく。
 八重国の矢が盾はおろか鎧さへも貫けぬ代物であっても鎧を纏っていない部分は別である。秦国の兵士は仮面や顔を防具する物を付けていない。しかも、矢を射る為に柵から身を乗り出している。つまり顔面は絶好の餌食となる。眞姫那と音義姉の瞳には顔面を射抜かれ倒れ、海に落ちる秦兵の姿が映る。
 此処だけを見やれば戦況は変わった様に見えた。事実眞姫那と音義姉はそう思っている。此処で船内を掻き乱せば其れに乗じて八重兵が乗り込んで来れる。そうなれば船を鎮圧出来ると…。
 だが、実際は違う。其れに気づいたのは三佳貞である。三佳貞は船室から左の窓を見やっていた。
 其れは偶々だったのかも知れないし、三佳貞の洞察力が優れていたのかも知れない。何方にせよ、三佳貞は船室から状況を把握出来そうな場所を探した。窓から侵入して目前の扉は上部が格子状になっているので外を見やる事は出来る。が、一部しか見やる事は出来ない。扉に近づき外を見やればある程度は見渡せるが、其れでもある程度である。だから、どうにかならぬかと周りを見渡している時に其れは三佳貞の目に止まった。
 言い知れぬ違和感。三佳貞はその様に感じた。窓から見える船はぎこちなく船上からは弓兵が矢を射っている。戦をしているのだから、この状況に違和感は無い。問題は更に向こうを走る船である。
 その船はまるで何事もなかった様に過ぎ去って行く。其れも一隻二隻では無い。その向こう、更に向こうを走る船は此処で戦が起こっている事実を無視するかの様に通り過ぎて行く。
 三佳貞にとって其れは不思議な光景だった。二十隻もの戦船が出ているのだ。付近の船も率先して戦に加わるのが道理だと三佳貞は考える。だが、其れは違う。
 三佳貞は船内の状況よりも外の状況の方が気になって仕方なかった。だから、もっと外の状況を知る場所はないかと周りを見やった。そして、三佳貞は見つけた。二階に上がる階段があった。
「なんじゃらほい…。部屋に階段がありよるぞ。」
 と、三佳貞は階段を見やり、ソロリソロリと階段を上がると先程より少し小さな部屋に辿り着く。其処には更に階段があったので三佳貞は更に上に上がると先程と同じ様な部屋に辿り着いた。
「なんともじゃ…。」
 と、三佳貞は周りを見やり前方を見やる。前方には大きな扉がある。三佳貞は合口を忍ばせ乍ら扉をガラリと開け左右を見やった。其処に兵士は居なかった。ただ大きなベランダがあり、前方には大きな幌が風を受けて膨らんでいた。
 三佳貞は急いで左の端に向かい柵から身を乗り出し乍ら周りを見やった。
 ドクンと鼓動が高鳴る。
 違和感は嫌な感じに変わり最悪な現実を三佳貞に見せつける。戦をしているのは僅かにも満たない船。残りの大多数は依然進路を迂駕耶に向けている。三佳貞は右端に移動し今度は高天原を見やる。僅かな船が第一砦の港に進路を向け進んでいる。
 つまり…。
 なんじゃ ?
 三佳貞は考える。
 考え無くても答えは出ている。
 この船を占拠する事に意味は無い。大多数が迂駕耶に向かっているのなら、高天原に船団を足止めする作戦が意味を成していないと言う事なのだ。三佳貞は左端に戻り船団を見やる。其れこそ穴があく程ジッと見やり…。そして、三佳貞は銅鐸を鳴らした。

次のお話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?