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読むだけ歴史 旧石器から弥生まで

 今回は、旧石器時代、縄文時代、弥生時代を勉強をします。しかし、その前に日本列島がどのように誕生したのか?を勉強したいと思います。日本列島は、そもそも大陸と陸続きの氷河時代と呼ばれていた時期があります。ちなみに、その時代にいたナウマン象の化石が長野県の野尻湖遺跡から発見されました。そして、約一万年前に氷河時代が終わり海面が上昇し、日本列島が誕生しました。そして、次は旧石器時代です。旧石器時代は、1946年に相沢忠洋が群馬県の岩宿遺跡にて打製石器を発見したことで、旧石器時代があることが判明しました。旧石器時代は狩りや採取で食料を獲得していました。さらに、移動生活をしており。黒曜石やサヌカイトを使って物々交換を行っていました。次に、役1万2000万前から紀元前4世紀まで続いた縄文時代です。縄文時代は、石を磨いて作る磨製石器や厚手でもろいのが特徴の縄文土器などが、作られていました。そして、当時大きなゴミ捨て場として使われていた貝塚がアメリカの学者モースが東京の大森貝塚を発見しました。当時は竪穴式住居に暮らしており、代表的な遺跡は青森にある三内丸山遺跡です。さらに、アニミズムという、あらゆる自然物などに霊の力が宿ると考えから、土偶や埋葬する文化が生まれました。最後に紀元前4世紀頃から紀元後3世紀まで続いた弥生時代です。弥生時代は、中国から稲作が伝わり、それに伴い石包丁や高床倉庫も伝わりました。さらに、金属器も伝わり、銅鐸や銅鏡である青銅器や、武器や農具用として作られた鉄器がありました。そして、薄くて丈夫である弥生土器が作られました。弥生時代の代表的な遺跡は2つあります。1つは、佐賀にある吉野ケ里遺跡で、その遺跡は、大規模な環濠集落として有名です。もう1つは、静岡にある登呂遺跡です。登呂遺跡では、水田跡や、高床倉庫跡が発見されました。環濠集落が作られるということは、国同士が争っていたことがわかります。このように、ここの範囲はその時代の特徴と、遺跡名を覚えてしまえば簡単です。

1, 相沢忠洋が打製石器を見つけた遺跡はどこか?
2, 日本が大陸と陸続きだった時代を何というか?
3, ナウマン象の化石が見つかった遺跡はなにか?
4, 縄文時代に作られた石を磨いて作る石器はなにか?
5, 縄文時代にできた、大きなゴミ捨て場のようなものはなにか?されに、東京で発見されたのはなにか?
6, 竪穴住居跡が多くみられる青森にある遺跡はなにか?
7, 弥生時代に伝わった金属器の中で主に祭りなどで使われた銅鐸などをまとめて何というか?
8, 弥生時代に作られた薄手で丈夫な土器を何というか?
9, 稲作をする際に、貯蔵の働きをしたものを何というか?
10, 弥生時代の代表的な遺跡を静岡と佐賀にあるもの2つなにか?


答え
1, 岩宿遺跡
2, 氷河時代
3, 野尻湖遺跡
4, 磨製石器
5, 貝塚 大森貝塚
6, 三内丸山遺跡
7, 青銅器
8, 弥生土器
9, 高床倉庫
10, 登呂遺跡 吉野ケ里遺跡

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