当たり前を考える#1

当たり前って何だろう。 普通ってなんだろう。
普通のコミュニケーションが取れない( ω-、)。当たり前のことやってくれない( `д´)。でも、相手があるもので、目の前の人は、自分ではないのです。別の人格を持った違う人なのだから。相手は自分と違うのだということを理解できていないことが多いように思います。きっと誰もが頭ではわかっているのですが…。って感じなのかもしれません。

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昔びっくりしたことがありました。
結婚したての頃。料理を作って、小皿に分けてテーブルに置いていく。さぁ、スープをお皿に注いで・・・「さぁ!いただきます!」をしようとしたら主人が目を丸くしています👀。

「なぁ、なんでこんなにお皿あるん?」

「???」

「ですごい数のおかずやなぁ・・・」

「???。夜ご飯やもん。量たらへんの?そお代わりあるよ?」

「いやぁ・・・。そうじゃなくて・・・」

後で聞いたら、一人づつにお皿におかずを取り分ける食べる習慣がなかったそうです。又、2品か3品のおかずをテーブルの真ん中において家族で取りながら食べているというのです。驚きました。私の実家では、母が毎日4~5品のおかずを作り、前日や前々日の作り置きのおかずも含め8品~9品のおかず(惣菜など)少量づつとメインのおかず(お肉やお魚)とお味噌汁とごはんが1人分づづテーブルに並んでいて、それでもお代わりが欲しかったらお代わりを食べるというシステムだったから目から鱗でした。

私の妹も言っていました。私の実家は、八宝菜、酢豚は本当に酢が沢山効いていて沢山の酢を使います。妹が八宝菜を作っていたら旦那である義弟が「入れすぎと違うん?そんなに入れないでしょお酢!!」と言われたらしい。びっくりしすぎて私に電話で、「お姉ちゃん。八宝菜にたくさんお酢使うよね~?お酢利かすやんね??」と話しました。「みんなそんなにお酢使わへんらしいねん。びっくりしたわぁ・・・」と話をした時も驚きました。

でも、冷静に考えて私には、普通でも相手にとっては普通じゃない当たり前の光景ではないものが目の前に繰り広げられているんだと体感した出来事でした。

続けます。その食事の習慣の違いをお互いに歩み寄りながら、我が家は、おかず(惣菜)の品数を2~3品にしてお皿に盛る量が多くなりました。味付けも同じ、少し濃いめに作るようになりました。それが家庭の味や姿になるんですよね。

仕事でも同じです。全然違うものが混ぜ合わされてそのチームの形が出来上がりますよね。それと一緒ですよね。




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