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あの日を敢えて思い出す#1

2019年2月25日。僕は母親と共に名古屋駅にいた。外は少しばかり風が吹いており、既に暖かくなったカイロを手で擦りながら待合室で新幹線を待つ。膝上には表紙の代わりに百均の厚紙をくっつけた古文単語帳があり、ひたすらに文字を視界に入れる。

新幹線が来た。今回はいつもより席間がゆったりしている。グリーン車だ。「大事な日だもの。いつもより豪華に。」母はそう言って初めてのグリーン車を僕にプレゼントしてくれた。落ち着くようで、逆にソワソワしてしまう。まだまだ幼心を捨てきれない自分に笑ってしまった。母親は横でウォークマンをいじっている。いつも安室奈美恵やB’zを聞いているなとふと思い出した。その日は何を聞いていたのだろう。音漏れがすごかったことしか覚えていない。

新幹線が動き出した頃には、僕も母と同様にウォークマンをいじり、目の前のテキストと耳から勢いよく流れる単語と単語の羅列をしがみつくように聞いていた。英語はずっと苦手意識があった。見る。聞く。見る。聞く。この繰り返し。たまにちょっと寝たりした。起きたらすぐさま同じ作業を開始した。

「We'll be stopping at Shin-yokohama...」もう少しすれば東京かと思うと同時に、なんで駅に着くのは確定なのにwillなんだろうとか考える。意外とどうでもいいことが気になるくらいの心の余裕はあるらしい。あるらしいがなんとなく落ち着かない。もう身支度をしちゃおうかなとか、これだけは机に置いておいてもすぐ片付けれるよなとか、余計な動作とともに自分の頭に判断を逐一迫る。受験前日に不安を覚えるその時の僕と何ら変わらない。新横浜にいる僕はその縮小図そのものだった。まぁ、新幹線みたいに真っ直ぐ進めてる人間じゃないけど。

ようやく東京着弾。前日とはいえ(前日だからこそ?)やるべき事は沢山ある。真っ先に僕らは湯島天神へ向かった。学問の神様・菅原道真公にお願いしに行くのだ。「神様、ちょっと力貸して」って。基本無神論者の僕でもこのイベントばかりは神頼みしたくなる。もちろん、血の繋がった母も。

重いスーツケースを持ち運びながら受験キャンパス付近のホテルに到着。隣の中華料理屋からいい匂いがする。後でここで食べようなんて言いながらロビーへ向かう。鍵を受け取り、4人用くらいの狭いエレベーターで上がっていく。部屋に着いた。とりあえず肩を痛めていたリュックを下ろして布団にダイブ。なんも言えねぇ。このままだと疲れと不安でどこまでも沈んでいきそうだったので渋々身体を重力に逆らうよう持ち上げる。「えーっと、とりあえずキャンパス見に行かないといかんよね」「まだそんな早くなくていいんじゃない?」「そっか」このそっかは「そっか」と思って言ったそっかではなく、言わば句読点のような「そっか」だった。キャンパスまでの道確認という予定が延ばされて時間に空きが出来たので、その時間を緊張に潰されることなく上手く消化する方法を考え出さなくてはいけなかった。とりあえず初日の数学に向けて復習を開始した。貧乏揺すりがあんなに止まらなかったのは初めてだったかもしれない。

母親とホテルから出て、受験キャンパスまで歩いた。夕暮れ時で帰路につく人と何度もすれ違った。そういえば近くに学校があって、学生ともすれ違った。なんとなく漠然と「いいな。」と思ったのを覚えている。キャンパスに近づくにつれ、飲食店や商店が顔を見せ始めた。なんだか下町感があっていい。ここで過ごせたらなってワクワクしてみたりした。
キャンパスに着いた。門の前にある「○○大学△△学部試験場」という看板は、明らかに目の前の建造物の雰囲気とは異なっていた。入試のためだけに存在する看板。二次試験ってホントにあるんだなんてこの時になってやっと自覚できたかもしれない。変な高揚感が自分を襲った。「俺マジでここ受験するんだ」って。

帰る頃には日が沈み始め、あたりは暗くなり始めていた。暗い時の光景の方が記憶には残りやすいらしく、気持ち悪いほど煌々とする家の灯りを横目に、虚を埋めるための会話を母親とし続ける。多分お互い口だけが動いてる状態で、脳は動いてなかったと思う。親子共々本当に似ている。感受性豊かで他人の緊張を貰ってしまうところとかね。

睡眠薬を忘れてしまったので近くの薬局に寄って調達した後、さっきの中華料理屋に入った。キャンパス付近の店でも良かったのだが、"店がある"という情報しか頭では処理出来なかったために、選択肢は中華料理屋のみとなった。美味い飯をたらふく食べると気が楽になってきた。やはり食べ物は偉大だ。周りの会話に耳を傾けると、隣の席はどうやら先生と生徒2人らしい。「□□大怖いよな」と聞こえてきたのでおそらく受験生だ。先生らしき人は「あそこの数学は…理科は…」と落ち着きのある柔らかい口調で話している。生徒たちは大学の問題の傾向なんてこのひと月で頭に叩き込んだこととは思うが、こういう時は視野が狭くなって不安分子にしか目がいかなくなる。そこで初心にかえるよう自然と説く先生らしき人は、彼らにとってまさしく師そのものだったと思う。そういえばあの二人は、受かったのだろうか。

中華を放り込んだ腹を一丁前に擦りながら、母親とホテルに戻った。勉強するか迷ったが、何となくテレビをつけてしまった。『渋谷区で殺人事件があり、〜』「えっ、ここ渋谷区なのに、怖っ。」「会場着く前にうっかり刺さないようにしなよ。」「なんで俺が刺す側なんだよ。刺されるのを心配しろよ。」なんてことない親子のバカみたいな会話。なんてことなかったからこそ覚えていたのかもしれない。チャンネルを変えるとバラエティがやっていたのでそれを見た。気を紛らわすために見たので、どんな番組で、誰が出てて、どこで笑ったのか全然記憶にない。気付いたらシャワーをすませた自分がそこにいた。思い出したかのようにカバンから国語の過去問を取り出して復習し始めた。満足いくところまで復習出来たので勉強用具をチャチャッと片付け、母親と少し話をしてから睡眠薬を飲んで眠りについた。枕が少し高く思えた。

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