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ドイツに行くのは、ドイツだ?#2

白い巨体が生身の人間では到底たどり着けやしない高度で安定すると、さっきまで動悸が激しかった心臓もそれに同期するように端然と脈を打ち始めた。

暇を潰してくれていた微々たる不安が消えてしまったので、無聊を慰めようと映画を見ることにした。どんな映画を見たのか具に書こうと思ったが、いささかなりとも思い出せない。寝てしまったのか、はたまた頭の片隅にも残らないほどつまらなかったのかのどちらかだろう。

隣の彼が何をしていたのかは奇妙にも覚えている。「はじめてのドイツ語」みたいな教材に真摯に対峙していた。もし彼がこのゲルマン言語を習得したら、4ヶ国語程をそれなりに扱えるということになる。これ以上背中を遠くされるのは困るなぁと淡い寂寥を覚えた。

あやふやな観賞を終えた後は前々から読もうとしながらも中々機会を得れなかった本を読むこととした。というのも、その本の内容が自分の主義みたいなものと相反する論理だったために、噛み砕く覚悟を持てずにいたのだった。なぜ修行にも似た読書をわざわざ母国と異国の間でしようと思ったのか。それは恐らく日常を逸脱した空間じゃなきゃ僕とこの本との均衡を破れないと自ずと考えたのだろう。
著者の主張は僕の頭に千鈞を乗せたように莫大な負担をもたらしたけど、人生で五本の指に入るほど充足した本だった。旅がなければ今も本棚の奥でジタバタさせたままだったかもしれないし、これもドイツ旅行が僕にもたらしたものの1つに数えていいだろうと思う。ドイツはまだ遠方だったけれども。

各々思うがままに地表と隔離された時間を消費しているうちに、天に冲していた飛行機は下降をはじめた。窓を眺めていた友達はどうやらうっすらと街を認識したらしく、僕にも同様の行為を促した。遂にドイツに来たのだ。僕は咄嗟に「ドイツ語でこんにちはってなんだっけ」と友達に尋ねた。

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