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IT亡者と観光と 其の一

ひろゆき氏の炎上の件で、と書いてから、おそらく氏の炎上はこれが始めてでは決してない筈なので、2022年10月沖縄の辺野古基地座り込みに因縁つけている件、とくれぐれも書いておく必要があろうことに気付く。ひろゆき(これより氏は省略)は自分の「軽妙」なジョーク(更に云えば、遠方よりはるばる馳せ参じてのウケ狙いの重みも持たせて)は至って罪のないもので、この洗練を理解しない、許さない世論が愚かである、という態度を取り屁理屈を駆使しつつ、現地の活動に参加している人たちを面と向かってからかい貶め、いつものように自分を珍重してくれるメディアとファンからの援護をただ待っていたようである。その際、私は、そもそもひろゆきは、積極的な悪意は持たないものの、ただきまりが悪く引っ込みがつかなくなって見苦しい悪あがきをしているだけなのかと思いきや。そうとしか考えられない低劣さなので。その後調べれば。この人は国葬賛成意見を以て、あの手のネットテレビ番組にすでに出演していて、今回は、沖縄の基地反対運動を実際「軽んじ揶揄する」意図やら使命やら帯びての当地への訪問だったというのが事実の模様。既に放送終了したアメバTVを観た方々によると、番組内でその通り「揶揄」と自らが明言しているらしいので、きまりが悪くひっこみがつかなくなった対人関係に難あり中年男子の失敗説は無効となる。伝聞体なのは、これを書いている時点私は未見のため。これでひろゆきはメンダイゴやへずまと同列(@能町みね子氏)認定。

それにしても、例えば二十年前(いや十年前ですら)であれば考えられない筈の「戦争の記憶を反故にしたいあの手この手」とはいまや多くの国民の支持を得ており、これもいまや日本の戦争過去の認識が本格的に廃れているという事実の一例なのか、と考えると憂鬱になる。というか、限りなく絶望に近い愕然、だよ。ひろゆきの類は無視すればいい、メンダイゴやひろゆきはYouTube観なければいいし、へずまはそもそも消えたし、という多くが用いる姿勢、対策は、しかし不十分である。例えばYouTubeを観なくても、メンダイゴがひろゆきが人目にふれる場所から消えても、日本の戦争の過去の認識が潰える日本は日帝逆行一直線であり、その兆しが大いに見て取れる日本の様子が今後それによって良くなるわけではないからだ。

(それでなくても、ひろゆきは観ているのが辛いタイプだから(貧乏ゆすり(というか?上半身を折る、頭を下げる癖がさすがに見る側には苦痛で、私は例えば彼の出ている映像をチェックしなければいけなくなった場合でも画面をできるだけ見ないで音だけで聞くことにしている。

これは常々考えてきたことなのだが、特に今日、本土日本に映じる沖縄とは何なのだろう。安室奈美恵も羽賀研二も、りゅうちぇるも、喜納昌吉も南沙織もフィンガー5も。中曽根りなも。沖縄アクターズスクールそして無論無数の無名の沖縄出身者も。ひめゆり部隊も。市民戦で命を落とした人たちもその遺族も。米兵に誘拐輪姦遺棄され徒歩で浜から帰ってきた12歳の少女も。戦火を逃れて入った壕で赤子の泣き声が漏れないようにその場で殺せと命じられて殺した母と殺された赤子も。それらの人たち総ての在り方、人生と沖縄の歴史は当然絶対に無関係ではない。むしろ、多くの必然の要素が働いているから今日の彼らの人生がある(あった)のだ。その重さは、その悔しさは、その怒りとその誇りは、IT亡者とそれを珍重するメディアに消費され嘲笑され、それを資本に健在する日本を万年日帝たらしめる為にあるのではないしそうあらしめてもならない。その筈なのだが、今日の今日まで、沖縄は消費されその「埒外」を時に巧妙に搾取され、時におおっぴらに強奪されてきており、それをならしめる現象の氷山の一角が今回のひろゆきとアメバ、愚劣な一行の顛末なのである。 (続く)

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