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小平のぶ『風に立つ』(1988年・昭和63年)雪の夜に 5~7ページより
小平のぶ『風に立つ』(1988年・昭和63年)より
雪の夜に
吹雪が寝室の障子の破れ目から、又建てつけの悪い戸のすきまからピューと入って来て寝て居る顔の上に吹きかかる。どこもかしこもすきまだらけの部屋ばかりだ。
そうした山寺に私達姉弟妹はそだった。照明は四分芯のランプ1個だから、寝るときは、暗やみの部屋で真ん中に50センチメートル四方位の小さな炬燵(こたつ)の周囲に四人の子供がいちばん都合
その身にある言葉
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その身にある言葉
菅家洋子2020年12月24日
おじいさんは、枝の出ていない、スジョウのいい木のことを、「ろうそくのような木」と表現した。霧来川沿いに立つヤマスギ(本名杉・三条杉)は、弘法大使から授かったものだとい
(3)「草屋根フキ(出稼ぎ)」
(3)「草屋根フキ(出稼ぎ)」
沼ノ又で育った小学生のころの話をミヨコさん(昭和13年)からうかがった。ちょうど終戦、戦後のことのようだ。約2kmの峠道を歩いた。
「フジクラ、オオマタ、サケダチ、ニトウジ、ヌマノマタの5カ所の村々からサケダチにあった山入分校に歩いて通った。現在の伝承館の場所に学校があった。ヌマノマタでも小学生は10人ほどいて、沢沿いの路ではなくて、尾根を越える峠道があってそこ
続・川のそばのお不動さま。
2020年12月21日 菅家洋子 森のかすみ草より
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続・川のそばのお不動さま。 2457字
その家の戸を開けたとき、まず、
(2)「沼ノ又のお不動さまが、オレの守り本尊だ」
(2)「沼ノ又のお不動さまが、オレの守り本尊だ」
秀雄さんは、「オライ(我が家)は村のいちばんカミ(上流)の端にあり、沼の又川の滝のそばに九尺(270cm)四方のお堂があって、そのなかにいやった(鎮座していた)」。「家からは滝、不動堂が見えたし、カジカやユワナ(岩魚)も川にはいた」「オレの守り本尊は、不動様だ」
「滝は44災(昭和44年8月の水害)のときには増水した水で滝が見えなくなった(水没
沼ノ又 (1)「あのころは、モメンジマ(木綿縞)なんて、なかなか買うよなかった」
(1)「あのころは、モメンジマ(木綿縞)なんて、なかなか買うよなかった」 2020年12月21日に聞く
ハツヨさんが回想して語った言葉のひとつである。
金山町の別な地区で聞いたなかでも「私の生まれた家は、経済的には豊かではなかったから、、、」と語られた。数軒で話を30分程度うかがった(マスク着用、留意した)。
奥会津のどの地域も、同じように、自らの暮らしで使うものを自ら作り出し、工夫して