自分がされたら嫌なことはしない、相手が「やめて」と言うことはしない

昨日の記事(参照:「そんなこと思っちゃいけない」なんて言っちゃいけない)にも書いたのだが、私は、我が子が書いた日記は基本的に見ない

「見ないで~」

と言われているからだ。

※今回の記事は、主に対面でのコミュニケーションについて書いています。

「やめて」と言われたらすぐやめる

私は、自分が絶対見ないで欲しいものを見られたくないから、子どもが「見ないで」というならそれは見ないことにしている

「親子なんだからいいじゃない。かわいい我が子がどんなこと考えてるのか知りたい!!」

と思われる親御さんも多いかと思うのだけど、私は、自分がされて嫌なことは出来るだけしないことにしているので、見ない。

私が日記を見られるのが嫌、だからではない。「やめて」と言ったのに「やられる」のが耐えられないからだ(日記を見られるのももちろん嫌だけど)。

「え~いいじゃない、ケチ。減るもんじゃなし」みたいなのは本当に嫌だ。


くすぐり

先日、TwitterでタレントのSHELLYさんの記事が流れてきた。親のくすぐりが恐怖だった人も...SHELLYさんの子育て巡る発言に反響「一度の“やめて”でやめて」(ハフポスト)だ。

「私はくすぐられるのが本当に嫌いな子どもだったのに、親はコミュニケーションの一つとしてくすぐっていたのだと思います。やめてと伝えているのに、くすぐったいから笑ってしまう。親は喜んでると勘違いしてやめてくれませんでした。拒否しても続ける親に恐怖も感じました」

この発言は、SHELLYさんの発言を紹介したツイートを投稿した30代の女性が、ハフポスト日本版の取材に応じた際のもの。

この記事を読んで、私はぞっとした。夫も、同じことをしていたからだ。

夫「こしょこしょこしょ~(くすぐる)」

子「やめて~!やぁめぇてぇ~~~!!」

夫「それ~!こしょこしょこしょ~(激しくくすぐる)」

子「やめて~!やめてよ~~~!!」

私はその時も、「やめてって言っているんだからやめなさいよ」と思ったのだが、夫のお母さんが子供をあやすのがとても上手で、そのお義母さん直伝の技なのなら、納得はいかないけど仕方ないか、とそのまま見ていた。


この記事を読んだ後、私は、我が子に聞いた。

私「お父さんにくすぐられてた時、やめてって言ってもやめてくれなかったでしょ?笑ってたけどくすぐったいから笑ってただけで、本当はすごく嫌だったんじゃないの?」

子「そこまで嫌だったわけじゃないよ」

我が子はそう言っていたけど、本心だろうか。お父さんが怒られちゃうといけないから、マイルドにしてはいないだろうか。大人になったら、また聞いてみたいと思う。


自分がされたら嫌なことはしない

大阪市立大空小学校の元校長、木村泰子さんの著書(今回は『「みんなの学校」で自ら学ぶ子の育て方』を参照)によると、大空小学校には、たった一つの約束がある。それは

「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」

というもの。

もしこれを破ってしまったときは、

「たった一つの約束」を破ったら、必ず校長室を訪れて、何がどう間違っていたのか、それをどう解決するのかを自ら宣言し、また自分の居場所へと帰っていくのです。この時、宣言をする相手は校長である必要はありません。

ということになっているようだ。


私は最初、この本を読んだ時に思った事があった。

「自分がされたら嫌なことに限定していたら、他の人のされたら嫌なことは置いてきぼりになるんじゃないのか」ということ。

しかしよく考えていくうちに、考えがまとまってきた。

長い付き合いの人間同士ならともかく、初対面や、あまりよく知らない相手との付き合いにおいては、「まずは自分がされたら嫌なこと」から始めるしかないのではないか。


「嫌」「やめて」を表明できることが大切

そして、何かされた時に「やめて」「それは嫌」「そういうのは嫌い」ということをちゃんと表明することによって、「「やめて」と言っているのにやめてもらえないことは、『自分がされたら嫌なこと』なのだ」だから、結局は同じ事だ。

ここで大切なのは、相手が何を嫌がっているかについて想像力を働かせるよりも、自分が嫌なことを「嫌」「やめて」と言えることの方だ、と分かってきた。

それを、「相手の気持ちになって考えなさい」だとか、「相手の立場に立ちなさい」なんて、子どもの経験値に完全に依拠するような言葉で諭す。子どもの経験値が足りないと思えば、「道徳教育」で何とかしようとする。

悲しい気持ちを勝手に想像して、本当にそう思っているのかわからない感情をでっちあげて寄り添うよりも、「あの時こんなこと言ったら、○○ちゃんは『やめて』って言ったな」という経験を積ませてあげる方が、よほど人の気持ちが分かるようになるのではないのかな。


しつこく「嫌」「やめて」を言ってもいいんじゃないかな

家族でもそうなんだけど、いやむしろ家族だからこそかもしれないが、「相手が言ったことをすぐ忘れてしまう」ことがとてもある。

例えば我が子が、ギーギー変な音を立てると、「お母さんその音嫌いだからやめて欲しい」と言う。しかし、またやるのだ。なぜか。

「この音好きなんだよね~」

そうなの?いやがらせかと思いきや、まさかその音が好きだったとは。ひょっとしたら昔コンパスのふたで黒板をこすって喜んでいたあの子たちも、あの音が面白かっただけなのか・・・

「自分が面白いと思っていること」>「相手が嫌だと言ったこと」

という具合になっているのだと思う。

簡単に言うと、相手が「それ嫌い」と言ってきたことなんて、すぐ忘れてしまうのだ。だからこそ、嫌なことをされたら、『毎回』「それ嫌なんだけど、やめて」って言っていいと思う。

一度言ったから分かってくれただろう、という前提で暮らしていくと、実際にはまったく配慮されない現実が展開されていく。「前に言ったのに!どうして?私は馬鹿にされてるの?」と思ってしまいそうだが、相手は忘れているだけのことが圧倒的に多い。

何度も、何度も相手に言っていくうちに「ああ、こういうの嫌いだったっけ」と、覚えられていくのだと思う。

割合近しい関係性での場合、しつこいかな?と思っても気にせず、されたら嫌なことをされるたびに「嫌」って言ったらいいと思う。

※あくまで、「やめて」と言えばやめてくれる関係性での話。「やめて」って言えば言うほど嫌なことをしてくる相手はほおっておいた方がいいかも


「嫌」と言えずに長年ずっと我慢してきて来てしまった人は、これからどうしていくのがいいか、今後またもう少し掘り下げて考えてみたい。



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