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【1D1C #1】トリックスターのトリックは、ばらさなくていい。 『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』河野啓(集英社)

 新年度になったので、改めて仕切り直し、noteを書き連ねていくことにします。

 本、映画、音楽、テレビ、アーティスト、スポーツ、伝統芸能。
 私はさまざまなコンテンツに囲まれて暮らしていて、そこから様々なものを受け取り、生き、仕事をしている。
 松岡正剛のように1日1冊、という手もあるのだと思うけど、私はもっと気が散っていて、脈絡がない。
 そこで、とにかく1日1コンテンツ、自分なりにどう感じたのかを、赴くままに書き連ねていこうと思う。題して、1D1C。

 1回目は、2020年の開高健ノンフィクション賞を受賞した作品だ。


 世の中には、嘘だか本当だかわからないような言動で人々をケムに巻きながら、なぜかキャリアをステップアップしていく人がいる。

 その人の気持ちを推し量ることは大変難しいのだが、おそらく彼にとっての嘘は、凡人にとっての嘘ではない。
嘘をつき続けているうちに、その嘘はなぜか自分にとっての“真実“へと変異し、あたかも勲章のような存在としてその人の自尊心を支え、し、名声の糧となり、キャリアという石垣を築く一つの石となってしまうのだ。

 これまでの人生の中で、そういう人と関わったことがある。
 仮に、Tさんとしよう。
 Tさんと知り合ったとき、私は雑誌記者だった。彼の証言をもとに、記事を書いたこともあった。業界の内側にいて、いろいろなことを知っていた。魅力的なエピソードを、いくつも教えてくれた。大事なネタ元だ、と思っていた時もあった。
 ちなみに彼はその後ジャーナリストに転身し、キャリアを積み重ね、ジャーナリストとして名の知られる存在となる。毀誉褒貶は激しいが、ある分野では評価を得ているし、今も身辺をめぐる小ネタで世間を騒がせていて、しぶとく生き残っている。

 でも、その彼とは、関わって数年のうちに、関係を断つことになった。
私と知り合ってすぐに取材・執筆する側に回った彼は、大変フットワークが軽く、優秀だった。人脈もあった。取材対象も、書く記事も、どんどんと魅力的な内容となり、また大きな扱いのものとなっていった。それは、彼の努力、懸命な取材の賜物なのだ、と最初は思っていた。
 でもやがて、彼の書くものはすべて、あまりにも魅力的なエピソードに彩られすぎていて、全体として信頼できない、と思うようになった。できすぎている。そう感じた。読んでいて、ずっと気持ちがザワザワするようになった。

 この人と関わり続けていると、虚実や善悪についての自分の価値軸が壊れてしまうのではないか。
 心から、そう思った。
 だから、職場の上司が熱心に付き合っているのを横目に、私は関わりを断った。
 その判断は、間違っていなかった、と今でも思う。10年以上経った今、彼を地上波や新聞・雑誌で見かけることはほとんどない。彼の取材成果や言動の信憑性を疑う報道が増え、彼そのものが信頼を失っていったからだ。

 それでも、彼の行状はネットニュースで報じられたりするし、メディアという大海の中でしぶとく生きている。

 彼のように、うさんくさいのに、なぜだか人々が注目してしまう人。
 富や名声をその手に掴んでいたりする人。
 だれもが、そういう人を自分の視界に入れ、複雑な思いを抱いたことがあるだろう。

 栗城史多さんは、私にとっても、メディアで見かける、そういう人の一人だった。
 端正な顔立ちで、人たらしの要素満点の素人登山家が「世界7大陸最高峰無酸素登頂」というチャレンジで名を成し、最後の一つとなったエベレスト無酸素単独行に何度も挑み、自分の姿を「配信」「SNS 」といったトレンドを最大限活用して世に知らしめた人。凍傷で指のほとんどを失い、最後はエベレストでの滑落死でこの世を去った、トリックスター。筆者は、このトリックスターの虚実を、取材者として接した時の直接証言と、綿密な周辺取材を通じて明らかにしていった。

 その過程は、たしかに面白く読めた。

 でも、この本を読んでも、特に発見はない。
 ああ、やっぱりそうなんだな、というところ。

 筆者はかつて彼を取材した。そして彼に魅力を感じ、番組を作った。
その意味では、私とTさん、筆者と栗城さんとの関わりは、スタート地点では同種のものだったのかもしれない。
 でも、筆者は栗城さんの磁場に取り込まれ、沼にはまり、やがてその沼の水の汚濁を知り、離れた。

 いや、厳密にいえば、離れることはできなかった。
 沼の底を見たいがために。
 だから栗城さんの死後、何かに駆り立てられるかのように取材を続け、この本を書いた。
 本を書くことで、なんとかしてその沼から逃れようとしたのだ、と思う。 

 死者に鞭打つような内容の本となったが、それは筆者も予想していたことだろう。きわめて読後感が陰鬱なこの作品は、筆者がこれから生きていくためにどうしても必要なことだったのだろう。

 彼は、栗城さんという沼から這い上がることができたのだろうか。
栗城さんが魅せられ、その栗城さんを通じて自らも魅せられた「デス・ゾーン」から、逃れることができたのだろうか。

 私は、そうは思わない。
 トリックスターのトリックは、暴いてはならないのだ。

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