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纏わないくつろぎ

今から59年前の朝。
わたしがこの世に生まれた。

世間で言うところの数えで言う還暦になる年。

わたしは全てを脱ぎ捨てたかった。

と言っても、今までの記憶や経験が嫌で脱ぎ捨てたかったわけじゃない。

生まれてきた時。
わたしは何も纏っていない裸一貫で生まれてきた。

だから、ぐるっと一周した人生の新たなる生まれ変わりとも言える時間という幻想の還暦という節目。
この時に裸一貫に還るために脱ぎ捨てたかった。

そして。
大自然の中で生まれるための脱ぎ捨てをした。




大自然の中で一糸纏わずに立ってみた。

驚くほどのくつろぎと楽しさ、何よりも軽やかだった。

私が私らしいと感じた時間だった。

撮影されている目など気にしない。
二人と自分の時間にしっかりと入ることができたから不思議だ。

それほどに私はもう「人の目を気にしないで行動できる」ところにいたのだと気がついた。

それも「二人一緒」に。

こんなことを一緒にやってくれる人はそうそういない。

私はやっぱり最幸な男性と出会えたのだとつくづく思った。

59年前は1人で生まれてきたドラマ。
孤独を感じ、しゃかりきにそのドラマを演じてきたけれど
60年目の生まれ還った時からのドラマは2人で演じるスタートを切れるようだ。

これからは自分でやっているのではなく、
なるようになる!とわかっているからこその「流れ任せの人生」を、笑って暮らしていこうと思っている。

ただ、わたしも伴侶も、この世に生まれた個性という質がどうやら、波風を立てることが好きなようで(笑)、
やりたいことを、丁寧に表現していったら、なぜか流れでこの写真のような2人になるんだなあと、写真というツールを介して改めて見ると笑えてしまった。

この日の六甲山は、11月に入ったのに半袖でいられるくらいの暑さでいい天気だった。

この日の前も後も、寒かったとか。

まあ、この写真を撮るような「流れ」が起きていたのだろう。

流れ。

わたしのぐるっと一周まわった人生の流れに「戦い」というエッセンスを入れることはないだろう。

融合・和合・統合・目合

合わせていくと開放が起きる。
自由がある。

その流れに身を任せたい。


そのために分離していたものを合わせ続けていく。

何に合わせるのか?

答えはシンプル。

本当のわたしの意識に合わせる。

私以外のものが全てわたし。

だから、私の前にある全ての世界のわたしに意識を合わせていく。

そのために
私を生きながら、わたしと共にある。

その感覚とその意識を持てるエネルギーを感じることができること。
それこそが、目合い(まぐわい)。

目醒めて暮らし続けるために
とても優しくて、穏やかで、安寧にいられる、最短のツールが
「パートナーシップ」であると確信している私は、
誕生日の今日から新しい形で「目合い」を表現していこう。

これを見ている母は何を思うのだろうか?

ちょっと気にはなるけれど
あなたのおかげで私は、
今こうやって、愛する人と出会えて、
わたしの愛を表現することができています。

ありがとうございます。

産んでくれた母に。
そして生まれてきた私に。

今日から新しいパートナーシップの表現の第一歩を始めていきます。

私のパートナーシップの表現にしていくツールは

肉体・精神・自然・リラックス、そして、目合い(まぐわい)。


みなさま、ここから改めてよろしくお願いいたします。

撮影 Yasuha Oda

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