現実を見れない人々〜自分の理念に対する妄信〜

 今期の大ヒットドラマと言えばもちろん『半沢直樹』だ。主人公・半沢直樹が、巨悪を打ち倒す痛快なストーリーや、豪華俳優陣の熱演が視聴率を押し上げている。毎回登場する悪役に「倍返し」を決める姿にエクスタシーを感じる人が多い事だろう。しかし、私は半沢直樹が絶対的なヒーローには思えない。一期から数えれば資料改竄、窃盗、恐喝、証拠隠滅、インサイダー取引etc…大小合わせていろんな悪事をやって来た。清濁併せ呑むなんて言葉があるが、これほど良い言葉はない。この世に清廉潔白な人間がどれほどいるものか。このぐらい薄汚れている方が私は好きだ。少なくも人間として信用できる。

 でも、世の中には自分の「正義」を掲げ、見えない影と戦う人間のなんと多いことか。私からしてみれば、そんな生き方して疲れないの?なんでそんなに怒ることがあるの?と思ってしまうが、本人達は、どうにも本気で怒っているようだ。そんな人たちは、自分の信じる正義の為なら、様々なレトリックを組み合わせて、相手を「論破」する快感に浸る。いや、本当は議論は平行線を辿ってるだけなのに、逃げただとか言い返せないなどと思い込んでしまうパターンも見受けられる。自分の正義を断行できれば真実をねじ曲げて見ることも出来るのだ。そういう人たちに限って、ファクトチェックだとか印象操作だとか、フェイクニュースだとか言い始める。確かに、本当に真実ねじ曲げられている場合もあるが、多くの場合は自分にとって不都合な真実を受け入れられないだけだ。

 世の中には賛否いろんな意見がある。裁判を開けば検察側の証人と弁護側の証人では、言っていることがまるで違う。自分に有利だけな意見を合わせれば、自分の望む結論までたどり着く事は容易だろう。誰だって真実を想像する事ができる。あの人が言っていた、という論拠がたった1人である場合、もう一度立ち止まって自分の積み上げて来た証拠と向き合って欲しい。自分でたどり着いたと思っている真実を人間は信じ込んでしまう。貴方の見ている真実は、ダイヤモンドではなく、自分で作ったジルコニアかもしれない。そして、貴方の作り出したレトリックはまた誰かの真実を歪めるかもしれない。

 正義と言う快感は誰もを魅了する。しかし、この世に絶対の正解があると信じてはいけない。この世はもっと玉虫色で、何色に光り輝いているかなんてわからない。貴方の信じる白い光は、本当に純白ですか?