コロナ禍で新発見。マンゴー×オレンジのオンライン井戸端会議。

しわっす、しわっす!
走ってますかー?
忙しいですかー?
マジで慢性疲労をかかえて死線をさまよう年末、息してます!

さて、2020年をふりかえれば、ヤツがいましたね、そうコロナです。
今年はさんざんヤツに振り回されましたが、よくもわるくも、WIthコロナ生活で見えたことがありました。

というわけで今回は、12月のお題である「自分新発見」のカメラを少しひいていき……社会を斬ります……いや、なでます。

題して「コロナで新発見」
師走で忙しすぎるライチ師匠とプラムさんの代わりに、マンゴー×オレンジさんが対談……いや雑談を垂れ流します。

HERE WE GOOOOOO!!!
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マンゴー:オレンジさーん、コロナ禍で何か発見したことはあります?

オレンジ:こんなことはあんまり書けんけど、この年末にコロナを理由に帰省しなくていいとホッとしている人もおるよな?

マンゴー:あー嫁の立場か。分かるわー、基本、行きたくないっすもん。

オレンジ:独身子なしの私なので、想像の範疇でしかないけど、里帰りってお嫁さんの立場では、かなりしんどいんじゃないかな。迎える実家のみなさんもしかり。体力的にも、金銭的にも。

マンゴー:言えないだけで、お互い「めんどくせええな」って思ってる場合もありますよね、少なくとも嫁マンゴーはそうでしたよ。遠いし。片道5万かかるし。
結局、自分の実家じゃなくて、夫の実家に帰るって仕事なんですよね。
義母が「座ってていいよ~」て言ってくれる人でも本心は分からないし、義理の祖母がいたら「動きなさい」って圧感じるし。
一年に数回とはいえ、夫の実家に行くときはマンゴーでも気を遣うし、緊張します。手土産でもいろいろ言われるしなー!

オレンジ:関東圏の人は「とらや」の羊羹もっていけって聞いたわ。

マンゴー:そうなんすよ、実母が「手土産は絶対『とらや』にしろ」ていうから持って行ったら、
「なんだ、『とらや』か」って言われました。
意外性がなくてつまらなかったらしいw。

オレンジ:めんどくせええええ!

マンゴー:くっそめんどくさいっすよねw 
でも当時の私はマジメだったので、「じゃあなにが喜ばれるんだろ?」とリサーチした結果、ちょうどクライアントに文化度の高いおばさまがいらっしゃり、その方にお歳暮としてあげたものがめっちゃ喜ばれたんですよ。「たねや」っていうんですけど。

オレンジ:「○○や」か。「や」の字が大事なんだな。でもでも、夏目漱石が愛した「空也」の最中をお持ちしましたって感じで、文化度の高さをアピールしたつもりが、旦那さんの実家の地域で認知されていないと全然評価されなかったりもする。かなしみ~。

マンゴー:かなしみ~w 
手土産ごときで、文化と地域性のフルコンボ勝負! みたいになっててそこから仕事っすね。「たねや」はどうやら茶道をやってる方にはよきブランドらしく、義理の祖母と義理の叔母も?お茶をやってて、義母にもすんごく喜ばれました。ようやく安寧の手土産を見つけたんですよ……秘書並み~!!!

オレンジ:秘書並み~(IKKOさん風に)。もうね、こういうお嫁さんの気苦労を旦那衆は……知るべきですよ!(ゆりやん風に)
この年末年始は、ステイホームでよかったですよ!(ふたたびゆりやん風に)

マンゴー:そうですね、もはや実家に帰るの、嫁抜きでよくね? と思って今年からそれを実行しようとしてましたけどねー。
結局、あちらさんが会いたいのって、息子+孫だけでしょ? 嫁は働き手でほしいかもしれんけど、降りるわ~w(※マンゴーは働かない嫁ゆえに最初から戦力外だが『82年生まれキム・ジヨン』を見た者として言っておく!)
自分の実家ならゴロゴロして昼から酒が飲めるから、この人権の差にそろそろWhy?を呈したくなったというわけです。

オレンジ:「この人権の差にそろそろWhy?を呈したく」。マンゴーリーダー、かっこいー!
やっぱり、コロナ関係なく、行きたくない人は行かなくていい。行きたい人は行けばいい。これが当たり前の世の中になるといいよな。

マンゴー:ですねー。義務より気持ちで動けるようになるといいですよねー。コロナでその風潮が強まるかな。

-------------あっというまにfin-------------


「好きだからあげる」とは1981年に掲載された、仲畑貴志さんによる丸井の新聞広告でのコピーです。

「義理ではなく、気持ちを起点に贈り物をしようよ」という提案となっていて、当時は大変斬新な発想であり、「それができる新しい丸井」が話題となったとか。

あれから40年。社会の建前は果たして変わったといえるのかは、あやしいところです。

新婚の頃のマンゴーは、「義実家のみなさまに喜んで欲しいからあげる」という気持ちと「嫁の責任」がまざったものでした。

とらや、たねや、つるや、すずや?、シュガーバターの木だの鎌倉ナントカ、NYほにゃらら、……とにかく持って行った、贈った12年。

そのたびに一応喜んでもらえたことと、義務を果たしたことでほっとしていましたが、問題は手土産の前段階。気持ちを優先すれば「顔を見せる義務」から降りることが、私のいつわりなき選択でした。

WITHコロナの今年、見えたもののひとつは慣習の取捨選択。それぞれが、どれを残してどれを手放すかのふるいを手に取った年だったように思います。


そのふるいで個人が価値観の選別をするといえば、スピリチュアル界隈では22日から「風の時代」に入ったのだとか。これまでの「土の時代」は画一的なものさしにのっとり、物質的な豊かさがイコール万人の幸せだったと聞きました。
これからは豊かさや幸せの基準が多様化し、逆をいえば個人それぞれの価値がみとめられてくる時代だそうです。

ええ、特にスピリチュアルを持ち出さなくてもその風潮は高まっていますよね。

ただマンゴーは、40年以上「土の基準」で生きてきた人間です。「あなた次第」といわれることに、自由と不自由さ、開放感とプレッシャーを同時に感じてしまうかな。

わたしの優先したいものってなんでしょう……もう少し探してみます。
みなさんはひとことで言えますか?

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