離婚は女を進化させるか?2 人生初の反抗か(マンゴー🥭メモ)

このところマンゴーの独壇場になっていて、申しわけありません。
他の完熟さんたちの話も読みたいですよね……?
話題も相変わらずですいません……。

ねえさんたちから「書きたいことを書いておけ」と許可をいただいているので、謝りつつもそれに甘えて下記メモの2、出させてください。

さて、夫妻がくっついたり離れたりする意味で、結婚と離婚は表裏にある関係です。

ゆえに周囲の人間が「結婚=祝福・善」という意味を強く持っているほど、その裏返しである離婚は「忌み嫌うことであり悪である」と認識されるのかもしれません。

離婚したいと報告した周囲の人間の筆頭、私の両親、とくに父の開口一番は、「勝手なことをするな! 認めない(怒)」でした。

昭和の「男は外で稼ぎ、女は家の仕事と育児」という男女の役割ステレオタイプからアップデートできない父。開口二番は「人間は社会的動物だ! それが勝手なことをすれば社会が成り立たない!」。

でもね、離婚は結婚と同じく当人たちに認められた権利です。
社会はそれで成り立っているのだよ、お父さん。

これらの態度は想定内であったので対策は講じていましたが、特に説得はせず、父の納得より先に離婚を成立させました。

で、私思ったのです。

これは人生初か2番目の親への反抗じゃないかと。


これまで父とは小競り合いはあったし、"親の期待に添わない"という本来なら当たり前であるが父からすれば気にくわないことは多々ありました。

でも小さいころから父の転勤に伴い、幼稚園2つ、小学校3つ、中学2つを渡り、その場になじんで問題なく通学し、お友達もつくり、グレることなくそこそこの成績で過ごしてきたマンゴーは、親を困らせたという認識はありません。

忠孝の精神で親を困らせないことが「普通」で、波風ある転勤生活も「普通」。長女だったので、弟の面倒を見ることもゆずることも「普通」。

幸か不幸か、だいたいのことを器用にこなせるので、親も甘えてくるわけです。これってもしや俗にいう「無理をしたいい子ちゃん」だったのではないかと41歳にして疑いだしました。

おまけに私は否定されこそすれ、父から応援されたことはありません。

結婚する気がないといえば「医者か弁護士か公務員になれ」
仕事が楽しいといえば「生物学的時間というものがある(子どもを産むには年齢制限がある。仕事ばかりしていていいのか)※しかも25歳から顔を合わせるたびに言われる」
「離婚したら年金はどうするんだ!」とも言ってました。

これらは経済基盤が薄くなる娘を心配しているのでしょうが、私を信用していない裏返しでもあります。
心配は執着であり、私への毒にもなる。

私は、「マンゴーなら大丈夫だ! 何でもやってみろ、私は味方だ」と父に言ってほしかったのでしょう。

ちなみに離婚が2番目の父への反抗だとしたら、人生初の出来事はフリーランスになったとき。
「世間を甘く見ている! 食っていけるわけがない!」とプンプンしていましたが、27歳でフリーランスとなり、翌年父も早期退職でおなじ身となり。
「なんだ、お父さんより稼いでいるのか」という一言でゆるされた、認められたように思ったのでした。

この「ゆるされる・認められると思った」にもマンゴーの思考のクセが垣間見えます。親と子は別物ですから(スン)とアドラーの言ってることを支持しているくせに、物心ついた頃から私は儒教道徳の「三従(女は父と夫と子に従えというやつ)」が大嫌いでそうはなるまいと思っていたくせに、なんだかんだと父に歯向かわないレールに乗って、惰性でここまで来てしまったのではないか。私のイデオロギーは実はチョロいのではないか。

また、これら一連の父の言動は、当事者意識が欠落したオッサンの妄想である「女の幸せ像」のおしつけであり、公人が発言したら炎上するものであり(よかったなお父さん、フツーの人で)、やや毒味をおびた親であることの証左でしょう。

この年になってそれは分かる。
が、唯一の父親であるがために毒親と切り捨てて、私に傷口を残すこともなんだか違うのです。

というわけで離婚は、山場は過ぎたと思っていた親子関係が未熟だとあぶりだす契機にもなってしまい、私のアイデンティティとイデオロギーを再考する機会になってしまった。

なんだろうな、いろいろ無意識に積み重ねたり、スルーしてきてしまった人生をおびやかす事案の棚卸と、私の行動のクセについてがっぷりよつで向き合うステージにのっかってしまったようですね。

あーめんどくさい。
でも今後のためにも、ぼんやり点検をしていきたいものです。

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