土下座も愛の一形態

そもそも怒りの原因は怒る本人自身の固定観念なので、「自分の怒り」を相手のせいにするのは間違っているし、逆に「相手の怒り」を自分のせいにして気に病む必要もない。
従って、何かしらミスをした際は「物質的損害に対する補償や謝罪」はすべきだが(原因があるので)、「精神的損害に対する補償や謝罪」はする義理はない(原因がないので。論拠詳細は幣サイト)。

だが土下座一つで相手の怒りが一時にせよ収まるなら、敢えてそれをするのもまた愛のうちである。不機嫌な幼児をなだめあやすのが愛であるのと同じだ。

下記引用は、土下座を矢鱈と深刻に考えている弁護士の弁。

>取引先との関係で発生させてしまった仕事のミスについては、本来は所属している会社と取引先の間の問題として、履行責任や賠償責任など、法律上のあるべき責任の取り方を検討すべきです。

業務上の指示に従わずに個人的判断で為したミスの場合や先方が「当人と自分との個人間の問題で会社は無関係」と主張する場合は、しても良いのでは。土下座一つで賠償責任等を回避できることもあるだろうし。
勿論、するしないを決めるのは本人だが。

>法律上、土下座をする義務はないということです。

義務はなくとも権利はある。土下座もその要求も、身体的自由を犯さない限りは表現の自由。無理強いは当然論外だが、そもそも解釈は人それぞれ。「土下座程度で済むなら幾らでも」という人もいる。

>取引先の担当者が土下座を求めること自体が、他人に対して故意に精神的苦痛を与える行為といえます。

何にせよ要求自体は言論の自由。土下座要求と精神的苦痛に因果関係はない。土下座を求める側・求められた側双方の精神的苦痛は、各々の自業自得・自己責任である(論拠詳細は弊サイト)。

>業務上の指示として土下座を命じたのであれば、雇用主である会社は上司と雇用先の会社は安全配慮義務違反など、雇用契約上の賠償責任を負うことにもなりえます。

文章が一部重複しているようだが🙄それはさておき。
業務上ではなく個人的言動がきっかけだった場合は、会社は関係がない。仮に会社が絡むとしても、土下座自体は特段危険とは言えず安全配慮義務違反には当たらないのでは(床の汚れ具合や本人の健康状態によっては、話は変わるが)。

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