結果平等しか実現しないクォータ制

>例えば、2012年のサンパウロ大学の入学者で、公立高校出身者は26.7%でした。
>その割合をクォータ法により、半数にするように定めたのです。

「半数にした根拠が何か」は、番組では触れられていなかった。
もし公立高校出身者の数が私立高校出身者と同じなら妥当だが、倍なら半数ではまだ「不平等」なので、公立出身者を66%、私立出身者を33%とするのが筋だろう。
実際には2016年時点で学生の75%が私立に通うというデータがあるので、半数は多過ぎる。私立高出身者に対する逆差別と言われても仕方がない。

本来なら、更に公私別の「成績比率」「入学希望者比率」等も加味してその都度、臨機応変に割合を変えるのが望ましい。
経済的な理由だけが格差の原因なら、特別枠を設けるのではなく各人に応じたキメ細かい経済的支援をするのが正しい。

平等・差別を是正しようとして悪平等・逆差別に至るのも、低水準教育の結果。
義務教育で哲学や心理学を教えないから、先見力協調性適応力自制心倫理観論理力EQ各種リテラシー問題解決力等が低くなる。

以下、弊サイトより抜粋。

反差別の裏には差別心が潜む。例えば異属性間の収入格差を論うのは「高給者ほど偉い尊い」等の職業差別拝金主義の表れ。
同じ人間なのだから属性の区別比較も必要ない。下駄履かせは逆差別で偽善。追求すべきは結果平等ではなく機会平等。

差別を批判する人ほど差別している5 note.com/kanjoj/n/n1a0fcd14f9b8

同じ原因は常に同じ結果を生む。時に結果が異なるなら、それは原因ではなく主観的な理由や動機条件言訳口実根拠切欠発端相関。
原因ではない表層的事象の解消は偽善・自己欺瞞。根本的解決にならない。故に、仮に貧困を無くしても富豪が罪を犯す。

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