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世界平和のために感情自己責任論を伝えること

何故この世には戦争や飢餓や事件・事故など不幸があるのだろう、という子供の頃からの素朴な疑問を折に触れ追及していたら、いつしかあらゆるトラブルや揉め事の根本原因・共通原因が<低水準教育>にあることに気付いていた

低水準教育の原因も結局は低水準教育に行き着くので、全ての社会問題の根本的な問題解決策は「教育水準を高めること」に尽きる

TVでコメンテーターらがしたり顔で「この紛争・事件の原因は差別(或いは孤立、貧困、経済格差、資源、宗教、民族etc)云々」などと言っているのを聞くと、「教育の”き”の字も出ない。この人はまだ<原因>と<口実、言訳、動機、条件>の区別がついていないのだろうな」と思う

具体的にどんな教育が社会問題を生じさせるか。それは「言ってダメなら叩け、叩いてダメなら殴れ」「問題解決のためには時には人権蹂躙も必要だ」というテロリズム即ち暴力肯定主義である。単に無知なだけでは人は犯罪には至らない。寧ろ中途半端な知識主ほど、思い込みが激しく辛辣に批判したり犯罪に手を染めやすかったりする。つまり罪なのはただの「無知」ではなく「無知の無知」(byソクラテス)である

「無知の無知」の背景にあるは「我が知見こそ全で真」という傲慢や独善。換言すれば「自分の怒りの原因は他者にある。なので怒りを感じたらそれを他者のせいにして良い」といった甘えだ。暴力肯定主義は、自分に甘く他人に厳しいエゴイストの自己正当化に過ぎない

などと考えていた丁度その頃、色んな事件や事故を契機に巷で安直な自己責任論が流行していたので、そのアンチテーゼとしてまとめたのが以下のサイトのページだった

感情自己責任論(解釈の自由と責任)~学校では教えない合理主義哲学~http://kanjo.g1.xrea.com/kanjo.htm

と偉そうに上から目線で啓蒙しようとしている僕自身、元々怒りっぽい性格で、未だにオンライン麻雀で負けたストレスで十円ハゲを作るような自己矛盾を内包している。だが少なくとも「己の怒りを他人のせいにする」ことや、そこから生じる無用な対立や摩擦は無くなった。以前ほどイライラしなくなったという実績だけでも、その浅知恵を他人に情報提供する資格くらいはあっていい筈だ

感情自己責任論に似たような内容の書籍は既に何冊も市販されているし、似たような考えを持っている人は大勢いるだろう。しかし今、地球上でその主旨(解釈の原因は発信者ではなく解釈する受信者)を理解している人はまだまだ極一部だと感じる。実際、死刑廃止に賛成な人も現時点で9%くらいしかいないし

結局、紛争等の未然防止や世界平和のためには、まず一日も早くこの哲学を全人類に伝授すること、そしてその手段として全世界の義務教育で全ての子供に教える体制の構築が理想だ。が、僕にはクリエイターとかプランナーとかプロデューサーとかシンガーソングライター等としての才能が全くないので、ちまちま細々コツコツ地味~にやれることをやれる範囲でやるしかない。恐らくこの感情自己責任論が地球人に常識として定着するにはあと数世紀の時間が必要だろう

微力でも何もやらないよりはマシだ。例え何らかの理由でnoteから永久追放されても、あらゆる手段を駆使して命尽きるまで一人でも多くの人に情報提供し続けようと思う。目の前の一人の人生観が少しでも良い方向に変われば、バタフライ効果で100年後の7人くらいの命が救われる、と妄想しつつ。それが今の自分にとって大切なことである

#自分にとって大切なこと

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