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演劇はカラオケ感覚まで近づけられる演じることが身近になると良きところ多そうだがそれはなんとなく嫌だという人も多そうだなという話

演劇は観るのもいいがやる方は更に楽しい。
誤解を前提にカラオケ感覚にまで演じることを近づけられると全然違う。
皆が皆、プロになる必要は無いしあまりに崇高なイメージを相互に抱くと今は特に共倒れしかない。「他人」になり、大きな声を出し自分の感情をそのまま出すことで、得られるものは多い

今、ワークショップ再開について話をしている。(ヘッダーは今年4月に予定していた、ぜんさんとの演技ワークショップ。こちらも今再開に向けてる。)
人が集まりながら出来ることについてを考えている。週末だけや仕事帰りの習い事のような感覚、或いは大人のサークルのようなレベルから出来ることを模索していくこと。また今の状況に対して再開していく敷居を下げることが必要ではないかと考える

こういう意見を書くと「価値が下がるから良くない」と思う人が案外多いが私は逆。野球やりたい人が皆プロ野球選手にならなければダメなのかと言うとそんな事ない。演劇や演じるという行為に関わる物事が極端過ぎる。勿論技術的要求が高い場合は話は別。やりたいだけでは無理だから学ばないといけない

ここ数年のワークショップでは「公演をするための稽古しかしない人が多い/プロでもそれ以外の時間が厳しい」という状況に対して、感覚と感性のストレッチというテーマで、基礎や基本に立ち返りつつ、心身の柔軟性を獲得していくことが目的だった。しかし今は「そもそもやる機会がない/つくれない」状況

するとどんなワークショップがあった方がいいのかデザインする時に「ただ集まり、ただ稽古して、ただ演じて、ただ上演をする」というまるで部活動のようなレベルのことが必要なんじゃないかと思っている。演劇に対する健全性の獲得とでも言えばいいだろうか。そういう時間と場所が必要な気がしている。

公演数が減る。出会いが減る。露出が減る。その失った時間の分だけ淡々と己の技術を磨くことも大事だが、案外個人芸ではないのが演劇。草野球とかそんなレベルで出来ることが必要なんじゃないかなと切に感じる。

ワークショップって呼び方自体も今の状況では考えものではある。ここ一か月くらいぐるぐると考えてる。上演に匹敵するものとして配信を模索してきた。ここは一個解答出てるし自然と広がっていくだろう。これからの事を考えたら表現って楽しい!唯それだけの、シンプルに楽しめる機会も必要だ。

なんかやろう。

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