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マッチョドラゴン月へ還る

月が高いところにいる。

ちゃんと私の手の届かないところに。

神様が人間のことを赤ちゃんと考えているなら、きっと月は(※幼児の手の届かないところで保管してください)な天体なはずだ。
いつか人間が行ったことがあるなんて、ほんとうにほんとなのだろうか。

そんなことを思いながら、月の周りに魚眼レンズをのぞきこんだような雲が散らばっているのを眺めた。最近の夜はちょうどよく涼しく、少し湿った空気の膜が肌を包むことで、自分が大切に育てられた植物になったような気分になれる。
内定式のちアルバイトの塾講師というなかなかのハードスケジュールをこなした私は、月の光を浴びながら青い流線型こと愛しのBaby(普通のどこにでも売ってる自転車)にまたがって、例の如く爆走くりだしていた。ざっくりと切りすぎた前髪が風を受けて、髪がオールバックみたいになった。


あぁ、やっぱり前髪を切りすぎてしまった。


なんで前髪を切りすぎちゃったのかというと、私が、飛龍革命よろしく藤波辰巳マインドを持ってるからに他ならない。
「飛龍革命」といえば、1988年4月22日に新日本プロレスの試合後控え室で、藤波辰巳(現 辰爾)が当時の新日のスーパースターであるアントニオ猪木に対して初めて意を唱え「エースの座を譲れ」と直談判するプロレス界の歴史に残る事件であるが、大事なのは、そんな緊張感あふれる場面で藤波辰巳が突然ハサミを持ち出し前髪をジョキジョキ断髪しはじめたという珍事件である。この突然の前髪の断髪にはあの猪木も「まてまて、まて」と少し焦りながら制止するのだけれど、藤波はなおも「いらないですよこんなの!」と答え髪の毛を切り、ついには猪木も「よぉし…」と若干引き気味にその様子を見届けるのだ。

私には藤波辰巳の気持ちがよくわかる。
気持ちのギア入ると前髪なんて、そんな陳腐な肉体の付属品。いらなくなるのだ。

昨日の夜の私も、案の定心のうちに秘めていた藤波辰巳を解放してしまい(明日内定式があるし、ほら、あの、飛龍革命起こそうって思うわけじゃあないけど、やっぱり社会人になるわけだし、ねぇ、前髪とかこんなんいらないすよ!!!!!!!)みたいになった結果、今となってはすっかりこっきり「マッチョドラゴン」といった具合である。

(藤波辰巳の名曲「マッチョドラゴン」は聞くと非常に元気がでるのでおすすめです)
  

てか今夜の月、ほんとに綺麗だ。
もし今夜、この月のひかりを浴びた女の子が生まれたらその子は将来的に中谷美紀か、はたまたケイト・ブランシェットみたいな艶があってそれでいてハンサムな雰囲気の女性になるんだろう。一方で私は前髪を切りすぎちゃっていて、完全に藤波辰巳なわけだけど。
いつかその女の子と街ですれ違うときがあれば、私はその子の悲しみを全部掬い取ってマッチョドラゴンにしてあげるつもりだ。

私はペダルを強く踏み込みながら、自転車と妄想を飛ばす。
また、切りすぎた前髪が風を受けてオールバックになってしまったよ。

ふいに、こんな最高にロマンチックな空気の中で飛び出る事なく埋もれる事なく、わざわざ背伸びするなんて事をしない真っ直ぐで純白のハンカチのような私が存在してる感じがちょっと素敵だと思った。

ていうか思ってください。
私は私のことをもっと信じなさい。

昼間のことを思い返せば、太陽はいつも白すぎ&光量エグすぎというその凄みゆえ、ヒト科ヒトとして生を受けたこの私には肉眼でその姿をはっきり捕らえられた試しがないわけだけれど、目が開けられなくても皮膚が爛れても、私たち、太陽がいる時間に生きていかなくてはならないと思う。
なんでってそりゃあ、ロマンチックばかりに身を浸してばかりいたらフレンチトーストみたいなふにゃふにゃ人間が出来上がっちまうからですよ。2週間ほど前まで、すっかり昼夜逆転の堕落した生活を送っていた私がいうんだから間違いない。

こうして昼間がんばって夜の心地よい風を受けてお布団でぐっすり寝るのが最も健やかな在り方なんだ。
 
寝る前に、せっかくだからマッチョドラゴンを聴きながら寝ようと思ったんですけど、曲調が賑やかすぎて寝らんないので、鬼束ちひろの『月光』を聞くことにしました。
鬼束ちひろのいいところは、名前に濁点かひとつもつかないところてす。

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