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ワルシャワ金色夜叉

苛つく夜がある。

こういうときは、とりあえず3日ほど堪える。そもそもの理由も当然分かっている。それでも口に出して現状の説明から改善策までをわざわざ用意するのもかったるいからアルコールと共にすべての感情を体の中に流しこむ。そうすると私の体のなかにある臓器たちは優しいから、きっと3日間は全部内緒にしてくれる。だから私は他の酒飲みよりずっとマジに、肝臓とは喧嘩したくないと思っている。

ちょっと何もわかってない立場から言わせてもらうけど、ここまで「オラオラ過去なんてどうでもいいんだよ!!m9(^Д^)」という肝が座ってます的女を演じて2021年の今ここまで来たからには、内なる動揺を見せては自意識の問題としてなんだか恥ずかしいし、 自分自身に動揺を悟られ一旦険悪な空気が生まれると、あとは無限に広がるだけだという事は屈折した思い出のなかに学習したし、なんつうかもう今更なのかもだし。うわああらあああああ!!!!

と、まあ色々パニクリながらも、
切り札みたいに「さて。」と口にしながら飲み終わったビールの缶を潰したら、私に押し寄せてきた感情は一気に退いていった。


ここで、一旦話は変わるけれども
賢者は「人間、いかなる時でも平常心を失うな」と言ったそうだ(本当に?)

情報の真偽は不確かだが、この言葉自体に対しては私も「その通りだ、至言だ」と思う。しかし、私にはその平常心というやつがどんなものか、さっぱりわからない。
もちろん、辞書的な意味としての平常心とは(普段と変わらない落ちついた心)のことだろうが、私は普段からそんな落ちついた心の持ち主ではない。

微妙な心の揺れ動きを隠そうともしない私は、落ち着きもなく全力で喜怒哀楽する。時に、私は隙あらば蟻地獄のような「哀」状態に陥るわけだけれど、そうなってしまったら最後なかなか切り替えることができない。ンガ、年を重ねるうちに段々と、自分がどういった前兆で初期段階の落ち込み(または一人泣き)になるか程度はわかるようになってきたことも紛れもない事実。例えば

泣くぞ泣くぞ泣くぞ、あ、ほら泣いた~。
さて、お風呂でも入るか。


こんな感じで、初動の「哀」さえ見極められれば、お風呂や酒やその他諸々に頼りつつもどうにか切り替えることが可能になった。これには理由があって、太宰治の『思ひ出』だったかな?なんかとにかく小説のなかの一節に

「恥ずかしい思ひ出に襲はれる時にはそれを降り払ふために、ひとりして、さて、と呟く癖が私にあった。」

というような雰囲気の文があって、ふとしたときに痛み出す痣のような思い出に悲観的になるよりよっぽど前向き、かつ建設的な響きのあるこの「さて」の素晴らしき利用法を私はこれで学んだのだ。

つまるところ、ここでいう「さて」は、辛さを感じる過去の自分と、今ここで生きてるだけの自分の入れ替わりの合図なのだと思う。呟く事によって辛さを感じている自分は厳重に蓋をされた瓶の奥深くに閉じこめられて、太い鎖でぐるぐる巻いて封印するんだと、どうやらそうゆう事らしい。なぜだか口調が他人事になってしまったけど。とにかく、他人様にご心配や迷惑をかけない正しい道を歩むべく太宰先生に倣った私は、自分自身を欺いてでも全ての感情に「さて」で関白になるように堅く決心し、このところ秘かに「さて」を実行していた。

しかしね、私はよっぽどバカに違いない。
その「さて」という行動が、感情に蓋をすることを可能にすると同時に私の頭のなかから記憶力、理解力、判断力を消していくということに気づかず迂闊に実行していた。だから私は、それらの「チカラ〜POWER〜」を一気に失って、ときどき空っぽになった。そうして、その空っぽさが心と身体の剥離を進行させていくのだった。それが進行していくと、どうなるかわかりますか?

はい、そうです。

やっぱり不眠の朝がくる。

子供のころは夜と朝の間には「眠り」があり、それが緩やかに変貌していくような様子を見ることはなかったのにね。気づけば夜通し起きて朝を迎えるような人間になっていたの。め〜〜っちゃ起きとるが。そしてこういうことをしたって、ちっとも効率的に生きたことにはならないんだよな。

ああくそほんとにWTF(ワット座Fアッック!)って感じだよ。眠れない度に、なんで20年近く一緒にいるはずの心と身体がいまだに上手く扱えないんだろって思うんだけど、最近は逆に年月を重ねるほど心から身体が遠ざかっていく気がしてる。心が欲してるのに身体がそれを許してくれない。

さて、ひとしきり自分の感情と身体の状況を整理しきれたところで話を今日の昼くらいに戻すんだけど、不眠特有のぼーっとした頭で久々に日曜日のテレビを眺めていたら、「噂の東京マガジン」終わっちゃってたね。(残念な人間なのでアッコにおまかせと噂の東京マガジンの最悪コンボで逆に心が「ととのう」ことがあってお世話になりあした!)

そのままでTVみてたらなんかお腹減ってきたから、食べようってなって、私、不眠のときのご飯はカップヌードルってきめてんだけども。

カップヌードルのシーフード味になんかトッピングしたいけどあんまコッテリしないやつがいいから増えるワカメとかどうかな?と思って(でも合うのかこれ……?) (いや、まてよ、元を辿ればワカメもシーフードだわな)という2段階認証を経て増えるワカメを入れることになった。

そしたらそれがすごく美味しくてえ、え、あ、なんかもうどうでもいいわ全部!てなった。
なんでこんな極端な女なんだろうね。そいで、「さて、お腹もパンパンになったしトイレでも行こうかいね〜」つって誇らしきメイドインジャパンの技術、TOTOの便座に座りこんでパンツを下ろした。すると、そこには今月の紅がいらっしゃってる事をやんわり告げるハ-トマ-クがそれはもう朝靄に桜の花びらが溶けているような色合いで見事についておりまして。
私が素晴らしく反物の見立てが上手な花街育ちの京女だったなら、 深刻な顔してパンツ下ろして仁王立ちで

「そやな、これはオトコはんと逢い引きするときの着物に仕立てよか。」

などと呟きながら思わず感嘆の溜息を漏らしてしまっていたところ。
まさかこの苛つきや不眠やなんやかんやのすべてが、月経の掟と共に奇しくも立ちはだかる食欲暴走と矛盾の壁につながるとはね。

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