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22歳児のときから、あのうさこちゃんに恋をしている。

故ディック・ブルーナ氏の描いたうさぎの絵が好きだ。以前はそうでもなかったのに。

事件

北海道に住んでいたある日、年末年始を過ごすために姉が私の家を訪ねてきた。
年越しの準備をすべく、ふたりで札幌駅の地下店舗を渡り歩いていたとき。
忘れもしないPASEO EASTの一角。
雪に濡れたコートを抱えても、セーターで暑いくらいのあのとき。
とある雑貨店の店頭で、ミッフィーのダルマぬいぐるみが鎮座していた。

別に私は何とも思わなかったが、
傍らで姉が釘付けになっていた。

「どうしたの」
「かわいい」
「兎年になるからね」
「かわいい」
「兎年しか使えないよ」
「かわいい」

かわいい、しか言わなくなった姉に、かわいいねと相槌を打ってみたが、内心困惑の嵐だった。

まず旅行先でそんなものを買う時点で個人的には結構イミワカラナイだったし、当時のわたしはぬいぐるみの良さがまるで分からなかった。
峰不二子とブルマ(ドラゴンボール)のフィギュアは飾るくせに、ぬいぐるみの価値はわからなかった。


もっと言うと恥ずかしかった。私の美の範疇にぬいぐるみは存在しなかった。細部に気を配られていることこそが美だと思っていた。峰不二子もブルマも肉体美があるけれど、ミッフィーは、あれは球体であった。


ぬいぐるみは子供のおもちゃだと思っていた。
ボークスで売ってるドールは美術品だけど、トイザらスで買えるリカちゃん人形はおもちゃ。
ぬいぐるみはリカちゃん人形と同じ、子供の特権だと思っていた。

今年も来年も再来年も使うもん、と言って姉は迷わずぬいぐるみを抱き取るなりレジに行ってしまった。後悔しないといいけどな、などと偉そうなことを思っていた自分が、普通に人として恥ずかしい。ちょっと間違ったかも、と言う姉すら想像していたんだから。

家に帰ると、姉は袋から例のだるまぐるみを取り出し、我が家のカウンターキッチンの上にちょこんと置いた。そしてまた抱いた。そしてまた置いた。余程気に入ったようだった。

私が夕餉の準備をしている間に、彼女___だるまぐるみはテレビ台の上に移動していた。視界に入る位置だからということだった。

なるほど、インテリアとして使うのか。
適当に作ったミネストローネを姉によそってやりながら思った。 デパ地下で買い込んだ総菜を適当に並べ、年末最後の食事の挨拶をした。

割に小食の姉と「笑ってはいけない」を見た。途中だるまがやはり邪魔だという事で、彼女は姉の膝におさまった。たまに紅白にチャンネル替えをしながら、32インチもない小さな画面に見入って、二人で時たま大笑いをした。


こうして、わたしたちは年を越した。


翌朝起きてみると姉が発熱していた。37度後半台。経験上これからが本番だ。それでも姉はせっかく北海道まで来たんだから寿司を食べないことには明日帰れないと駄々をこねた。

そうして札幌駅の根室はなまるに早朝から並び、私たちは寿司を食った。姉は、あれだけ言ったくせに全然食べなくて、姉のために奮発して頼んだ海老のスペシャルな一皿を「実は海老嫌いなんだよね」と言って押しのけた。おい、お前何しに来た。

結局フラフラの姉を急いで連れて帰った。解熱剤を飲ませて暖かくしたけれど、ずっと具合が悪そうだった。ミッフィーのだるまぐるみが炬燵の上で所在なさげに姉を見ていた。

姉はすぐ寝た。「初詣でも行っておいでよ」と言って、ぱったり寝てしまった。

わたしは悲しくなった。もっと遊びたかった。お姉ちゃんに色んなことを教えたかった。外の氷柱を手袋で掴むと離れなくなること。口に入れたらベロから離れなくなるから絶対やっちゃいけないこと。白い雪の気持ちよさ。一緒に雪だるまを作りたかったし、本当は善哉も食べて欲しかった。別に今際の際でもないのにとても悲しくて、そんなとき目が捉えたのだ。だるまぐるみを。


別に可愛くない、ただのうさぎでしょと思っていたものが、あったかく励ましてくれるものに見えた。とても愛らしく勇気づけられると思った。


そうして、姉は帰っていった。帰宅してからインフルエンザだったと分かったが、私は何故か罹患しなかった。

そこから時折、あのだるまぐるみのことを思い出すようになった。正月を過ぎてただのミッフィーといううさぎのぬいぐるみが売られるようになった。愛らしいなと思った。バイトの帰りに眺めるのがいつしか楽しみになってしまっていた。

それで、就活とかいう業に足を突っ込み出した折り、わたしはとうとう「この子におうちに来てほしい」と思った。

恥ずかしかった。姉にはあんなに引き留めたのに。でも何度見てもそのぬいぐるみはかわいくて、小さくても抱きしめたいと思った。そこで私は過去を清算すべく、姉にLINEを送った。

「お姉ちゃん」

「うん?」

「このぬいぐるみ…買おうと思っててん。」

「いんじゃない?」


いんじゃない。

いんじゃないであった。私の不届な態度など覚えていないみたいに。衝撃を覚えつつ早速私は買った。確かに置き場所には困った。結局枕の横においた。寄り添って欲しかったからだ。

こうして私は沼に落ちた。恥や潔癖をかなぐり捨てて(あるいは両立する形で)沼に飛び込んだ。

これが事件の顛末である。めでたし、めでたし。


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