もう一人の名付け親|ルイス・キャロル
『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている』
ニーチェの言葉だ。
なにか得体のしれない存在を示唆するような気味の悪さ。
言葉の意味を思考するよりも、まずその感覚に襲われた。
つまりーー意思のないただの物体や、何もないと認識している空間に、人は知らぬ間にじっとりと見つめられ続けているのかもしれない、と。
「深淵」という名が付けられたことで、暗闇は、私の中で目に見えない目を持つようになった。
名前の持つ力は強い。
だからこそ人は、名前に込められた願いに沿うように、無意識に行動してしまうのでは。
名付けという行為の恐ろしさを思う。
私は、数学者が生み出した物語から「アリス」という名を授けられた。
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(2018. 1. 27. 著)
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『あとがき』
ルイス・キャロルは、私がはじめて出会った作家です。
生まれた頃から文献やアリスグッズに囲まれて育ち、物心ついた頃には不思議の国のアリスの仕掛け絵本で遊びました。
文字の読めない頃から、キャロルは私のそばにいたのです。
私の本好きは母から受け継いだもので、自分にもし女の子が生まれたら「アリス」か「アン」と名付けようと、すでに学生のときから決めていたようです。
私は昔から、自分に与えられたこの名前をとても気に入っていて、チェロ奏者の活動にも役立ってくれています。
日本人にも外国人にも、わかりやすく覚えやすいと評判で
「印象的で、君の名前は忘れないよ」
という言葉を、知り合えた方からよくいただきます。
私は「ありす」以外ではいられなかった、そんなことさえ思うのです。
「不可思議な存在に、名前を明かしてはいけない」
ホラーやファンタジーなどの読み物で、よく目にしてきました。
七五三文化がいまだ根付いていることからもわかるように、日本では「子供が七つになるまでは神様のもの」という考えが昔からあります。
元服の儀式にはそれを乗り切り、新たな名前をつけるという意味合いがあったそうです。
その他にも、呪殺を避けるため、山で神隠しにあわないためなど、名前を隠すという行為は命を守るということにつながります。
それは人間側だけでなく、不可思議な存在側にもいえること。
悪魔を召喚して使役する際には、悪魔の真名を知ることが絶対的な必要条件です。
漫画「夏目友人帳」では、主人公の祖母が妖怪たちから名前を聞き出し、それを友人帳に書き留めることで、彼らを使役していました。
『名前は命や存在を言語化したもの』 そう私は認識しています。
そんな重要な『名前』
物にとっては、人から与えられ
人間にとっては、自分が知らぬ間に親から与えられている
それは少し怖いことなのではないか…
そう思ったことから、ニーチェの言葉と私の名前との話がつながりました。
そして、1月27日のルイス・キャロルことチャールズ・ドジソンの生誕日に際し、私のもう一人の名付け親である彼のことを絡め、文章を書きました。
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