〖本好き欧州紀行〗ヘルマン・ヘッセの故郷 カルフ|ドイツ
チェロ弾きだけど、三度の飯より本が好き!
そんな私がお送りする〖本好き欧州紀行〗
ヨーロッパ各地に散らばる本好き必見の素敵スポットを実際に訪問。レポートと詳しい解説を交え、ご紹介していきます。
今回のスポットは、ドイツ人作家 ヘルマン・ヘッセの故郷
『カルフ(Calw)』
『カルフ』は、ドイツ南西部に位置する バーデン=ヴュルテンブルク州内の町で「黒い森(Schwarzwald)」の北の玄関口といわれています。
そして、作家 ヘルマン・ヘッセが生まれ、その半生を過ごした場所です。
中学時代、教科書でヘッセの作品と出会った時に受けた衝撃。
私が海外古典文学へと傾倒するきっかけとなりました。
この時の経験は、サイトに投稿しているエッセイにも記しています。
教科書に取り上げられていることもあり、日本でも著名なヘッセ。
中でも小説「車輪の下」の知名度は非常に高く、誰しも一度はこの題名を耳にしたことがあるのではないでしょうか。
そんな「車輪の下」は、ヘッセの自叙伝的小説とされています。
作品の冒頭、主人公の暮らす地は "Das kleine Schwarzwaldnest"「黒い森の小さな町」と書かれ、これはまさに「カルフ」のことを指しており、実際の町を歩けば小説内に登場する様々な場所を見つけることができます。
幼少期から勉学における非凡な才能を見せ、いわゆるエリート街道とされる神学校へ進学した主人公 ハンス・ギーベンラート。
自身の生き方に疑問を持ち、ついには退学した彼と同様に、ヘッセも神学校在学中に「詩人になる」という夢を諦めきれず、不眠症やノイローゼに悩まされ、入学からわずか半年で学校を脱走。故郷カルフへと帰りました。
出戻ったヘッセに対し、当然街の人間の目は冷たく。両親でさえ、彼のこの突飛な行動に、悪魔祓いを依頼したほど。
死を予感させる「車輪の下」の結末や、現実に自殺未遂を図ったヘッセ自身を考えるに、この故郷での思い出は辛いものだったように感じますが、彼は終生この地を愛し、詩やエッセイを通して語っては、様々な小説作品内に登場させました。
カルフ訪問記
私がこの『カルフ』を訪れたのは、2019年のはじまりの日。
爆竹や花火で大騒ぎとなる大晦日が明け、街には人影がほとんどなく静謐さに満ちていました。
旅の基点におすすめなのが「シュトゥットガルト(Stuttgart)」
カルフの最寄りで一番利便性の高い街です。ここから片道およそ1時間~1時間半ほど、電車とバスに揺られます。
一つの参考として、私が用いた交通手段を載せておきます。
シュトゥットガルト中央駅から、Sバーンと呼ばれる電車の6番「Weil der Stadt」方面行きに乗車。
終点となる「Weil der Stadt」で670番のバス「Hirsau Liebenzeller Straße」や「Calw」方面行きに乗り換え、「ZOB, Calw」で下車し到着となります。
Sバーン 6番 時刻表(ドイツ語) ↓
バス 670番 時刻表(ドイツ語) ↓
(ドイツの電車はトラブルなども多いので、DB Navigatorなどの交通アプリを事前にダウンロードしておくことをおすすめします)
また、670番のバスはワゴン車のような見た目なので注意が必要です。
そのため行先や方面などがわかりづらく、英語やドイツ語ができる方は運転手に質問してから乗車するのが一番安全に思います。
さて、そうして車窓からの眺めが、どんどんと「のどかさ」を増していき……『カルフ』へと到着。
地図上部「ZOB」「H」「DB」と書かれている場所がバスの到着地点。
ここから⑧の「ヘルマン・ヘッセ博物館」までの道中を紹介していきます。
⑬ ヘッセの銅像
① ニコラウス礼拝堂(Nikolauskapelle)
停留所からほど近く、ナーゴルト川(Nagold)に架かる「ニコラウス橋(Nikolausbrücke)」上で、ヘッセの銅像が訪問者を出迎えてくれます。
橋の落款上には、この銅像に添えられるかのように、彼の言葉が刻まれています。
この橋も、そして橋の終わりに建つ礼拝堂も「車輪の下」に登場します。
「車輪の下」以外にも、「青春は美し」など他作品にも登場。
「ヘッセの街にいる」という実感を強く与えてくれる場所です。
⑱ ヘッセ広場(Hermann-Hesse-Platz)
銅像が見つめる先がこの広場。
ヘッセ70歳の記念に建てられた噴水にはレリーフがあり、その奥の建物には彼の小説の言葉が。
② ヘッセの生家(Hesse Geburtshaus)
マルクト広場 6番地(Marktplatz 6)
現在は1階部分が「Mode Schaber」というアパレルショップとなっている木組みの建物。この3階(ドイツでは2階に該当する)に当時のヘルマン一家は居を構え、1877年7月2日 月曜日 午後6時30分にヘルマン・ヘッセは生を受けました。
彼らはヘッセが4歳になるまでをこの家で過ごし、その後宣教師であった父の都合でスイスへ。1886年、一家は再びカルフに戻ることとなりましたが、その際は町内の別の部屋に住みました。
生家が面するマルクト広場も、ヘッセの作品内に描かれます。
③ 市教会(Evangelische Stadtkirche)
マルクト広場すぐ、一際大きな存在感を放つこの市教会は、1262年からこの地に建ちます。「青春は美し」や「婚約」「少年時代から」「秋の徒歩旅行」など、ヘッセが書いた多くの作品に登場。
散策中にも時を知らせる鐘が鳴り、静かな町に響くそれに耳を傾けながら、きっと少年のヘッセも同じ音を聞いていたのだなと、目だけでなく耳でも彼を感じることができたことに心が震えました。
⑧ ヘッセ博物館(Hesse Museum)
1990年に開館した「ヘルマン・ヘッセ博物館」
1階に受付があり、入場券を買ってから2階の展示室へ……
(2階への踊り場でヘッセがお出迎え)
展示室は全9部屋。
この博物館の面白さは、豊富な展示品のみならずその展示方法。
例えば1室目、彼の家族を中心とした展示室は、宣教師であった父の影響を表すためか礼拝堂を思わせるデザインが施されています。
ずらりと並べられた、世界中のヘッセ作品コーナーも圧巻。
蛍光色使いのモダンなデザイン。
博物館ではオーディオガイドも用意され、日本語での案内も楽しむことができます。
『ヘルマン・ヘッセ博物館』
4月~10月:火~日 11:00-17:00
11月~3月:水~日 11:00-16:00
聖金曜日、クリスマスイブ、大晦日は休館。
クリスマスと元日は営業しています。
入場料:
大人 5ユーロ / 学生・若者 3ユーロ / グループ(10名以上) 3ユーロ
Tel : +49 7051 7522
www.hermann-hesse-museum.de
番外 ホテル『アルテ・ポスト(Alte Post)』
カルフ駅左隣側、ニコラウス橋から繋がる バーンホフ通り1番地(Bahnhofstraße 1)に建つペンションは『ハウス ギーベンラート(Haus Giebenrath)』とも呼ばれ、主人公ハンスの家として「車輪の下」に登場します。
当時はゲストハウスとパン屋を経営しており、その主人の名字が「ギーベンラート」であったことから、主人公の名前に使われました。
スイスから戻ったヘルマン一家は、この建物の隣(4番地)に住んでいたそうです。
上記のホテルHPにもそのことが記載されていますが、残念ながら私の調査不足により、当時は訪問することも写真に残すこともありませんでした。
悔いは残りますが、もう一度訪れる理由ができたのだと思うことにしています。
旅を終えて……
私が留学先にドイツを選択したのは、もちろん音楽的理由が大きいのですが、ドイツ文学という存在にも少なからず影響を与えられています。
そしてその出会いは、ヘルマン・ヘッセが与えてくれたもの。
私にとって大切な作家の一人である彼の故郷を巡る今回の旅は、特別思い出深いものとなりました。
幼少期、気性の激しい子供と評されていたヘッセ。
神学校脱走から、その後の自殺未遂と精神病院への入院。そして再進学からの再退学、就職からの退職と、経歴を見ればどうしても堕落した印象をぬぐえない半生です。
その後、27歳で発表した「郷愁」によって一躍名を馳せ、夢であった作家・詩人としての地位確立を叶えますが、時代は二つの大戦期に突入。
両大戦中、彼は非戦論者として活動したため、国からの強い弾圧を受けることになります。
新聞上で発された彼の叫び『おお友よ、そんな調子はよそう!』その言葉も、戦争に向かう波に呑み込まれ、彼の元へは連日侮蔑の言葉が綴られた手紙が届き、故郷 カルフの新聞からも「裏切り者」というレッテルを貼られました。
しかし、終戦を迎えてから1年後の1946年。この活動が実を結んだかの如く、ノーベル文学賞を受賞。カルフからも名誉市民の称号を贈られました。
カルフに残るヘッセの足跡は、ここに住む人々が代々護り続けてくれたもの。だからこそ町を歩けば彼への愛を深く感じます。
しかしその反面、生前の彼へと思いを馳せる度、覚えてしまう物寂しさ。
『ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの』
室生犀星の詩句が、しみじみと心に響きます。
愛と影。きっとその二つが混じりあうからこそ、この町が、そしてヘッセとその作品が人を魅了するのだと、そう私は思います。
作品の舞台を実際に巡ることを、漫画やアニメ界隈では『聖地巡礼』といわれます。
ヘッセ自身を訪ね、小説の舞台を歩くカルフでの聖地巡礼。ぜひ一度、訪れてみてはいかがでしょうか。
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