屋根裏の産声
パソコンの前に座る私が今いるのは、2020年の3月26日。
作曲家 L.v. ベートーヴェンの命日である。
今から3カ月前、2019年12月16日。
私は彼の生誕日に寄せて、チェロ奏者の一人としてエッセイを執筆した。
今日この日だからこそ、その文章をここにもう一度記したい。
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生まれたての赤子が放つ産声。
「生」と同義のその声には、生命の輝きと強さがある。
来たる2020年は「楽聖」と呼ばれる作曲家―― ルートヴィヒ・ヴァン・ ベートーヴェン の生誕250周年というアニバーサリーイヤー。
彼は1770年の12月16日に生まれたとされ、言うなれば今日が、彼の249歳の誕生日である。
ベートーヴェンの作曲した全5曲のチェロソナタ集は、我々チェロ奏者が永遠に取り組み続ける課題曲の一つ。
バッハの無伴奏組曲がチェリストたちの「聖書」と呼ばれ、私にとって現在の自分自身をありのままに映す鏡ならば
彼のチェロソナタを演奏する時の私は、今持てる限りの技術力と表現力をもって真っ白なキャンバスへと立ち向かわんとする、強い心意気を抱く。
年月をかさね、幾度もこの曲へと取り組むうち、深い愛情と血肉の通った人間らしいあたたかさを孕む曲調から、幼い頃に抱いた一般的なベートーヴェンのイメージは早々に打ち砕かれ、彼の心の奥へと思いを馳せるようになった。
そうして彼は私にとって、作曲家としてだけでなく一人の人間として、敬愛の念を抱く特別な存在となった。
ボンにあるベートーヴェンハウスには、今までに三度訪れた。
一度目は、まだ留学を決める前。
その望みを伴って、ドイツで行われるマスタークラスに、単身乗り込んだ帰りのことだった。
ボンは私にとって、特別な二人の作曲家の足跡が残る街。
ベートーヴェンとシューマンを訪ねるために、どうしてもと強行スケジュールを決行した。
そして訪れた『ベートーヴェン ハウス』
それは私にとって、今まで楽譜や本という紙面越しに思い描くだけであった作曲家の、生家というリアルへと初めて足を踏み入れた瞬間であった。
だからだろうか。
その後、何人もの偉人たちの「ハウス」を訪れてきたが、このベートーヴェンハウスの ――特に彼が生まれたとされる屋根裏部屋を目にした時の―― 雷に打たれたような一瞬の衝撃、それほどの強い印象を残す場所には未だ出会えてはいない。
彼の音楽は「これ」なのかもしれない。
自分の中でなにかを掴めたような、そんな感覚をこの場所は私にもたらしてくれた。
ベートーヴェンハウスには、聴覚を失った彼の「耳」を体験できる一角がある。
当時の彼が聞いたとされる、自身作曲の初演音声を、ヘッドフォンを通して追体験できるのだ。
聞こえてきた、音にもならぬ「音」
耳を塞がれているようにくぐもり、不快で、ほとんど「音楽」を知覚することもできない。
私の心はしばらく沈み、中々浮上させることができなかった。それ以降の記憶は朧気で。ハウス内を歩きながらも、どこかぼんやりとしていたことを覚えている。
音のない世界で音楽を描き、そうして完成させた自身の楽曲を聞くこともできない。
作曲家にとって、それはどれほどの悲しみだったのだろう。
その苦しみにもがき、遂には打ちひしがれ、彼は一度死の淵へと立つ。
しかし、彼は生きた。
生きて、音楽を生み続けることを決意した。
その精神の不屈さは 生命力は どこから湧き出でるのか。
その時書かれた『ハイリゲンシュタットの遺書』には、死へと対峙する彼の葛藤と共に、力強い咆哮のような言葉たちが連なっている。
たびたびこんな目に遭ったために私はほとんどまったく希望を喪った。
みずから自分の生命を絶つまでにはほんの少しのところであった。
――私を引き留めたものはただ「芸術」である。
自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。
『ハイリゲンシュタットの遺書』より
『 ハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)』とは、ドイツ語で『 聖なる街 』を意味する。
ベートーヴェンが不安定な精神状態の中で、静養のためにこの地を選び、
再び生きる決意を抱くに至ったことは全くの偶然でありながらも、まるでその名に導かれたかのような、どこか不思議な縁を感じずにはいられない。
ベートーヴェンの曲には、生命のエネルギーが込められている。
それが私の中で、人が誕生した瞬間に発せられる「産声」と重なる。
彼の曲と向き合う度、いつも頭に思い浮かべるのは、
彼が生まれた場所とされる小さな一部屋。
ベートーヴェン自身がこの世で最初にあげた産声を、私は幾度も想像する。
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現在、世界は混乱に包まれている。
新型コロナウィルスの蔓延により、WHOはパンデミックを宣言。
国境閉鎖や外出禁止令があちこちの国で発令されている。
私自身、外出は買い出しなどの必要最低限におさえ、ドイツの自宅に一人、こもり続ける日々を送っている。
ネットや携帯越しでのみ、人との交流が保たれているといっても過言ではない。
このエッセイを執筆している頃は、このような事態が起きることなど想像すらしていなかった。
3月上旬には日本への一時帰国を予定し、演奏会を行う企画も立てていた。
もちろん、プログラムはアニバーサリーイヤーにちなみ、オールベートーヴェンプログラム。
チェロソナタはもちろん、変奏曲や小品を演奏するはずだった。
それらはすべて失われ、日本への一時帰国も断念。
家で一人、チェロと向き合う日々となっている。
折角の記念年。早くこの事態が収束し、彼の曲が世界中で演奏される日が戻ることを、小さな部屋から祈り続けている。
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