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涙にまつわるエトセトラ

前々回『"泣いてもいいやん!"な曲』、前回『泣くわたし』に引き続いての今回、最終回です。短いながらも、いつかは挑戦してみたかった三部作。
タイトルを「きゅう」の字で揃えたかったのですが、迷いに迷い『涙にまつわるエトセトラ』に決定。聴くと元気になれるPUFFYの曲の「渚」を「涙」に一文字変えて、涙にかんする諸々をまとめてみました。


涙と泪とさんずいへん

この際だからと、”涙”と”泪”を漢和辞典で調べてみました。
泪という字を目にしたときにチラリと頭をよぎる、”涙”と”泪”の違いを知りたい願望に決着をつけたくなったのです。
ネットに頼らず、辞書をひくと決めたのに、図書館へ向かう前にお勧めの漢和辞典をネットで検索してしまった自分に苦笑い。
久しぶりに厚みある辞典(『新漢語林』)を手にしました。
漢和辞典のひきかたの中で「部首索引」が好きだったわたしは、まずは”さんずいへん”からのスタートです。一体いつ以来となる辞典を前に期待が高まりましたが、結果は案外あっけなく――。

【泪】涙と同字(常用外漢字)。
【涙】なみだの常用漢字。
と、それだけの違いでした。

それでも、「なるほど~」となった箇所がありまして、まず、”涙”は新字であり、旧字は”淚”ということです。

ざっくりまとめると、
【淚(旧字)】
  さんずいへんに「」+「
【涙(新字)】
  さんずいへんに「」+「
と、「戶」が「戸」に、「犬」が「大」へと変化しています。

そして、旧字”淚”の「戶」+「犬」には、”すきまなくつらなる”の意味があり、とぎれずにつらなる、なみだを表す、とのことでした。

泣いたあとに立つ

以前、バラエティー番組によく出ていた某女性タレントが、とある番組で座右の銘として挙げたのが「泣いたあとに立つ」で、父親からの伝授だと誇らしげだった彼女の様子とともに、わたしの胸深くへと届きました。
このとき、わたしの頭に浮かんだ”なみだ”の文字は、”涙”ではなく”泪”だったような……。後付けながら、そう思う自分がいて、その根拠も漢和辞典から見つけたかったのですが、そうそう思い通りにはいきませんでした。

ここでふっと思い出したのが、次の詩です。

淋しいという字をじっと見ていると
二本の木がなぜ涙ぐんでいるのか
よくわかる

寺山修司『Diamond ダイヤモンド』
より抜粋

もしや、わたしはこの詩を糸口に、「泣」という字からなんとなく「泪」という字を連想したのかな?
でも、これではあまりに説得力がないので、「なんとなく」を「無意識」に替えて――。
きっと、わたしはこの詩を糸口に、「泣」の字から無意識のうちに「泪」という字を連想したのかもしれません。

涙の味

感情によって涙の味がちがうと知ったのはいつだったのか。
とにかく、衝撃的でびっくりしました。
なんでも、「悔し涙はしょっぱくて、嬉し涙は少し甘め」なのだそうです。

悔しいときは交感神経が働いて微量にナトリウムの分泌が増えるため。
嬉しいときは副交感神経が働いて水分が多くマイルドになるため。
というのがその理由で、
交感神経は活動中に働く神経。
副交感神経は休息中に働く神経。
ということです。

ちなみに、”悲し涙”は”嬉し涙”と同じ休息中の涙であり、それがなんだかちょっと意外な気もしましたが、「なるほどな~」という気もしました。

自身のnote過去記事で、
「泣いている自分を客観的に見られるようにならなきゃ駄目だよ」
という、わたしにとっての名言を取りあげたことがありますが、
「涙の味」を知ったおかげで、
涙する最中その味を想像し、ほんの少し客観的になれるわたしがいます。

おわりに

最近「自分をいたわる」という言葉に惹かれるようになっていたのですが、このたび、自分のマイナス面だと思ってきた「泣くこと」に向き合い、そんな自分を認めることも自分をいたわることだと思えてきました。
そして、前回、泣かなかった姉と泣き虫だった自分を比較した一行に抜けていた「長女だから泣かなかった姉の立場」をここに付け足して、お姉ちゃんにありがとう。大人になって、”泣かない姉”と”泣くわたし”の間でたまに生じる感情のすれ違いは否めないけど、この記事を機に、姉はずっと長女の立場にいてくれることに気づけたことも大きな収穫となりました。

最後は、メモ魔だったわたしが手帳に記していた85歳女性の一文(新聞への投稿)を紹介したいと思います。

泣きぼくろある。
泣かなかった。
最近、鏡を見て泣きぼくろなくなっていることに気づいたら、
ボロボロ涙が出てあふれて止まらなかった。

この投稿に感銘をうけて挑んだショートショートが『泣きぼくろあるのに』です。
自分でいうのも何ですが、自身のお気に入り作品です。



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